大垣輪中

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大垣輪中(おおがきわじゅう)は現在の岐阜県大垣市市街地を中心として存在していた輪中。南側に伝馬町輪中、西中之江輪中、古宮輪中、禾ノ森輪中、今村輪中及び浅草輪中を内郭輪中として含む有する大きな複合輪中である。ただし、内郭輪中を含まない大垣輪中のうち最大の輪中を指す場合もある。以下では複合輪中全体を指すときは大垣複合輪中、内郭輪中を含まないものは大垣輪中と呼称する。面積は4260ha

揖斐川杭瀬川牧田川及び平野井川に囲繞され、内側には中之江川、新規川及び水門川が存在した。

大垣藩に戸田氏が封じられた翌年の寛永13年(1636年)に懸廻堤が完成し、大垣輪中が完成した。大垣輪中は他の多くの大型輪中と異なりほぼすべての村が単一の領主である大垣藩戸田氏の領地であり、輪中の維持管理には大垣藩が大きな役割を果たしていた。明治14年3月に大垣輪中揖斐川牧田川杭瀬川堤防組合水利土功会が成立。その後改組して大垣輪中水害予防組合が明治31年8月24日に成立した。

内郭輪中[編集]

伝馬町輪中[編集]

大垣複合輪中のほぼ中心、大垣城の東側に存在した面積約57haの輪中。内郭輪中の中では最も小さい。北側が美濃路、西側に大垣城外堀を挟んで大垣輪中、東側に新規川を挟んで西中之江輪中、南側に禾ノ森輪中(禾森輪中)が存在した。

西中之江輪中[編集]

中之江輪中とも。新規川東側に存在した面積約290haの内郭輪中。北側は美濃路を挟んで大垣輪中、東と南は中之江川を挟んで東中之江輪中、西側は新規川を挟んで伝馬町輪中と禾ノ森輪中が存在した。

東中之江輪中[編集]

古宮輪中、中之江東輪中とも。東側が揖斐川に面する地域に存在した面積648haの内郭輪中。北は美濃路を挟んで大垣輪中、西側は中之江川、水門川を挟んで北から西中之江輪中、禾ノ森輪中、浅草輪中と接していた。揖斐川の対岸には北から結輪中、北今ヶ渕輪中、牧輪中があった。牧輪中との間で揖斐川が西に大きく湾曲していたため、明治改修で東側へ付け替えが行われ牧輪中の一部を含むようになった。

禾ノ森輪中[編集]

水門川と新規川に挟まれた地域にあった面積約246haの内郭輪中。西側に水門川を挟んで今村輪中、南側は水門川を挟んで浅草輪中、東側は新規川を挟んで西中之江輪中、中之江川を挟んで東中之江輪中、北側は伝馬町輪中と大垣輪中に接していた。輪中北端の禾森が最も古くから存在し、次に新田、その後に築捨が開発された。禾森と築捨の間には新規川と水門川を結ぶ堤防が存在し、古い時代においては禾森だけで輪中が形成されていたとみられる。

今村輪中[編集]

大垣複合輪中南西部に位置し、水門川と杭瀬川に挟まれた地域にある面積約1306haの内郭輪中。東に水門川をはさんで禾ノ森輪中、大江(新江、現江西排水路)をはさんで浅草輪中、西側には杭瀬川を挟んで静里輪中、綾里輪中、祖父江輪中、江月輪中などの小輪中が存在した。輪中内に標高差が存在するため、高位部からの悪水が低位部に流れ込まないように除(よげ)と呼ばれる低い堤防が何か所か設けられていた。別の内郭輪中、浅草輪中を含むと見なされる場合がある。

浅草輪中[編集]

大垣複合輪中を占める面積約668haの輪中。西に大江(新江、現江西排水路)をはさんで今村輪中があり、東側北部は水門川、南部は揖斐川が流れていた。最南部の横曽根は上流部からの水を防ぐための除を備えていた。

参考文献[編集]

  • 角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年
  • 輪中-その形成と推移- 安藤萬壽男著 昭和63年