大塚同庵

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大塚 同庵(おおつか どうあん、寛政7年(1795年) - 安政2年5月30日1855年7月13日))は江戸時代蘭学者。砲術指南を専門にしていた。

略歴[編集]

江戸の人。寛政7年(1795年)に江戸で幕臣の子として生まれた。名は勝蔵(かつぞう)または庵のち良。通称は八郎。蜂良、蜂郎、星臨堂、瑪蜂とも称した。幕臣として普請役を務めていた。医者を開業してから同庵と号した。医学を志して大槻磐里に師事、さらに長崎に遊学し楢林宗建について蘭学および西洋医学を修めた。文政9年(1826年)にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが江戸参府をした際、7代目市川団十郎をシーボルトに引き合わせた。天保4年(1833年)に江戸に帰り、本所小梅町において開業した。渡辺崋山と親しく、天保10年(1839年)の蛮社の獄に連座、押込め処分を受けた。長崎留学中には高島秋帆と交わり天保12年(1841年)に秋帆が武州徳丸ヶ原において西洋銃隊の演習を行った際に参観している。以後、西洋砲術に関心を示し、下曽根信敦に入門、修業して高島流砲術の普及に努めた。弘化3年(1846年)に江戸下谷三味線堀において砲術指南を掲げてその身を立てるにいたり、名を蜂郎と改め瑪蜂と号した。川原慶賀と交流、蘭画も能くした。著訳書に『遠西砲術略』(弘化3年)、『和蘭官軍抜隊竜学校全書』(安政3年)がある。安政2年5月30日に死去。享年61。墓所は文京区本駒込1-5-22の竜光寺。法号は節巌道綱居士[1]。 弟子に大槻磐渓、林八千雄、西村茂樹らがいる。

著作[編集]

  • 『気海観瀾』青地林宗述、篠田元順校 文政10年(1827年)序
  • 『夷警雑録』
  • 『異船防禦建白書』
  • 『遠西砲術略』 弘化3年(1846年)刊
  • 『嘉永己酉大屋同庵上書』 嘉永2年(1849年)刊
  • 『嘉永庚戌大屋同庵上書』 嘉永3年(1850年)刊
  • 『熕砲射擲表訳』 嘉永6年(1853年)刊
  • 『粧台間具』
  • 『東西銃炮論』
  • 『和蘭官軍抜隊竜学校全書訳』 安政3年(1856年)刊
  • 『銃薬起原考』
  • 『瑪蜂崎奥雑記』
  • 『瑪蜂随筆』
  • 『蘭訳四十八引』

出典[編集]

  1. ^ 『国書人名辞典』第1巻、332頁。

参考文献[編集]

  • 呉秀三 『シーボルト先生その生涯と功業三』 平凡社東洋文庫、1968年
  • 市古貞次監修 『国書人名辞典』第1巻 岩波書店、1993年
  • 武内博 『日本洋学人名事典』 柏書房、1994年