大宇陀町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
おおうだちょう
大宇陀町
大宇陀町中心部の町並
大宇陀町中心部の町並
大宇陀町旗 大宇陀町章
大宇陀町旗 大宇陀町章
廃止日 2006年1月1日
廃止理由 新設合併
大宇陀町榛原町菟田野町室生村宇陀市
現在の自治体 宇陀市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 奈良県
宇陀郡
市町村コード 29381-4
面積 47.44km2
総人口 8,781
(2004年5月1日)
隣接自治体 桜井市
宇陀郡 榛原町菟田野町
吉野郡 吉野町
町の木 クヌギ
町の花 カザグルマ
町の鳥 ホオジロ
大宇陀町役場
所在地 633-2166
奈良県宇陀郡大宇陀町大字迫間25番地
現・大宇陀地域事務所
外部リンク 大宇陀町
座標 北緯34度28分44秒 東経135度55分41秒 / 北緯34.47889度 東経135.92811度 / 34.47889; 135.92811座標: 北緯34度28分44秒 東経135度55分41秒 / 北緯34.47889度 東経135.92811度 / 34.47889; 135.92811
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

大宇陀町(おおうだちょう)は、かつて奈良県宇陀郡にあった。2006年(平成18年)1月1日に菟田野町榛原町室生村と合併して宇陀市が発足し、自治体としての大宇陀町は廃止された。2011年(平成23年)3月までは宇陀市の地域自治区として大宇陀区が存在した。

地理[編集]

奈良県東北部、大和高原の南端部に位置していた。宇陀川流域の小盆地に中心市街地(旧松山町域)が形成されていた。町域の東及び南は音羽三山など標高800〜900mの竜門山地桜井市吉野町との境界をなす。町域の北部と西部は標高350〜400mの丘陵地からなり、榛原町菟田野町と接する。町域の中心部、旧松山町域の西には標高471mの城山がそびえる。

町域の大部分は淀川水系の宇陀川及びその支流の流域だが、南部の旧上龍門村域の西半分は紀の川水系の津風呂川流域だった。

面積の大部分を山林が占め、丘陵間の谷地は田畑として利用されていた。市街地は宇陀川と城山の間の細長い平地にのびていた。

町域の中心を宇陀川・津風呂川沿いに国道370号が縦断していた。桜井市より延びる国道166号は北西女寄峠より町域に入り、旧松山町域で国道370号と交差して東の菟田野町へ抜ける。最寄りの鉄道駅は北方の近鉄大阪線榛原駅で、町域に鉄道はない。

歴史[編集]

古代には阿騎野と呼ばれ、宮廷の狩場となった。柿本人麻呂は阿騎野で「東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾ぬ」という和歌を詠んでいる。『延喜式』内の阿紀神社(迫間)が鎮座する。

日本書紀』には「菟田野」と記され、薬草の採取(薬猟)や栽培、生薬製造が江戸時代にかけて栄えた。現代でも「薬の館」が市の歴史文化館として公開されている[1]

中世には地侍出身の秋山氏が支配したが、その後は支配者が入れ替わり、江戸時代の17世紀には織田松山藩3万石の城下町となった。織田氏転封後は江戸幕府直轄領となり、明治維新を迎える。

年表[編集]

姉妹都市[編集]

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

交通[編集]

道路[編集]

施設[編集]

  • 畜産技術センター
  • 大宇陀土木事務所

名所・旧跡・観光スポット[編集]

出身著名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 【みちのものがたり】宇陀松山 薬草の道(奈良県)『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2019年11月16日6-7面
  2. ^ 2016年(平成28年)4月には田原小学校の跡地に日本教育学院高等学校が開校した。
  3. ^ 出典は『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。同文献を出典とする1960年の映画館(近畿地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。
  4. ^ 一歩ずつ 積み重ねを 母校・畝傍高で講演 奈良新聞
  5. ^ 宇陀市誕生10周年記念式典が開催されました 宇陀市

関連項目[編集]