大島線 (中国ジェイアールバス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大島本線(おおしまほんせん)は、日本国有鉄道自動車局(国鉄バス)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・中国ジェイアールバス(中国JRバス)が屋代島(周防大島)(山口県大島郡周防大島町)を拠点として運行していた自動車路線である。 国鉄バス時代より、JR系バスとして唯一、鉄道路線のない島を走る路線として知られていたが、2007年(平成19年)9月30日をもって防長交通に路線を移管し、営業廃止となった。

概要[編集]

本路線の開業前、島内には大島自動車の路線バスが走っていたが、車両数が4台しかない小規模事業者によるものであったため、運行本数が少ない上に、道路事情も良くなかった事もあって安定した運転が出来ず、改善が望まれていた。そこで、大島連絡船の経営が山口県から国鉄に移管されたことにより、島内の自治体からの国鉄バス運行に対する要望が高まり、国鉄にバス路線開設を打診した。国鉄としても、航路の培養線としての位置付けが可能になる事もあり、要望を受ける形で大島自動車を買収、1948年3月に大島線として運行開始された。これは国鉄バスでは初にして唯一の離島路線であった。

開業後は、島内の交通を一手に引き受ける形となったが、乗客数も次第に増加し、大島連絡船とともに営業成績も良好であった。1968年(昭和43年)より防長交通が参入したが、これは国鉄バスが、同年10月からの「瀬戸内西線(広島-山口間)」の運行開始にあたって、交換条件として大島線への参入を希望したためである[1]。1963年7月からは、島内を巡る定期観光バスが、小松港を起終点として、日祝日のみ運行されていた。

また国鉄が取り扱う小荷物は、大島航路から継承する形で大島線のバスで輸送しており、最盛期の1970年代前半には、中国地方自動車局管内で扱う小荷物の50%近い個数を、大島線で取り扱っていたが、島内の主要農産物であるみかんの収穫時期には、みかんを小荷物で発送する客が多くなり、バスでは捌き切れない為に、日本通運に輸送委託していた事もあった。

しかし、大島大橋架橋後は、自動車によって島外に自由に行ける様になったことと、島内人口の減少・高齢化が進んだことから、次第に乗客が減少していった。国鉄バスを承継したJR西日本・中国JRバスは、不採算路線の廃止・委託化などを進めてきたものの、2007年、遂に撤退を迎えた。中国JRバスの撤退に際し、周防大島町では、同社の長年の功績を評し、感謝状を贈っている。

沿革[編集]

  • 1948年3月11日 大島本線(小松港~伊保田・周防土居~安高)・安下庄線(小松港~沖浦~安下庄~周防下田)・奥畑線(屋代口~奥畑)運行開始[2]
  • 1950年11月11日 大島本線(伊保田~周防油宇)及び安下庄線(外入~佐連)運行開始。
  • 1968年10月1日 防長交通が参入し、共同運行開始。
  • 1976年7月5日 大島大橋架橋に伴い、大畠駅(一部柳井駅間で運行)への乗り入れ開始。
  • 1976年12月15日 大島本線(大畠駅~東瀬戸~周防油宇)ワンマン化
  • 1979年7月10日 安下庄線(東瀬戸~小松港~安下庄~安高~佐連~周防平野・外入~周防下田・安高~土居口)ワンマン化
  • 1980年11月 奥畑線(屋代口~奥畑)ワンマン化(全線ワンマン化完了)
  • 1983年3月18日 沖家室大橋開通により、沖家室島への乗り入れ開始。
  • 1999年10月2日 奥畑線(屋代口~奥畑)廃止。大島町(現・周防大島町)営バスに移管(大島観光タクシーが乗り合いタクシーとして運行を受託)。
  • 2000年3月11日 安下庄地区の路線を変更し、大島中部病院前(現在の町立橘病院前)への乗り入れ開始。安下庄駅廃止。周防平野~沖家室~佐連~外入~周防下田間および大島中部病院前~周防下田間を、東和町営バスに移管(防長交通が運行を受託)。
  • 2002年4月1日 島内運行路線調整を実施。大島本線を防長交通のみ、安下庄線を中国JRバスのみの運行に変更。
  • 2007年10月1日 東瀬戸~小松港~町立橘病院前間より中国JRバスが撤退、防長交通の運行に変更。

運行系統[編集]

  • 大島本線(防長交通に移管)
    • 柳井駅大畠駅~東瀬戸~周防久賀~土居口~周防下田~周防平野~森野~伊保田~周防油宇
    • 土居口~安高~町立橘病院前
  • 白木半島線(周防大島町営に移管:運行は防長交通へ委託、2007年10月1日よりスクールバスによる運行に変更)
    • 周防平野~沖家室~佐連~外入~周防下田
    • 町立橘病院前~周防下田
  • 奥畑線(周防大島町営に移管:運行は大島観光タクシーへ委託)
    • 屋代口~奥畑
  • 安下庄線
    • 大畠駅~東瀬戸~小松港~屋代口~横見~沖浦~西安下庄~町立橘病院前

施設[編集]

車庫は小松港にある山口支店周防営業所大島支所で、元の大島営業所である。大島連絡船があった頃、バスターミナルは小松港にあり、連絡船と共用の自動車駅が併設されていた。また大島線の開設当初は、安下庄に支区が設置されてそこでも車庫業務を行っていたが、派出所に格下げの後、1953年からは、安下庄駅に職員が常駐する形となった。

連絡線廃止後、バスターミナルは営業所の拡張用敷地となったが、連絡船の駅舎や桟橋入口の上屋は、1979年3月に船舶部門から管理を引き継いで以降もそのまま残り、1985年頃の小松港港湾整備事業の際に取り壊された。一方バス用の駅舎は、営業所に面した道路わきに小型のものが新設されたが、駅業務の廃止に伴い撤去された。

そのほか、島内には周防久賀・周防下田・安下庄・伊保田の4駅が存在していた。既に営業は廃止されているが、建物は現存している。

車両[編集]

路線開設当初は、狭隘道路が多いことから小型のトヨタKC型バスが配備された。その後一般路線車は三菱ふそうといすゞの大型車(4型及び5型)が配置されていたが、それでも満員になるほど乗客が多かった。ワンマン化の際には3型の小型車を導入したが、急に小型車化された事で乗客の積み残しが発生する事が度々あり、臨時便を出す事すらあった。

なお、1976年(昭和51年)のワンマン化の際に導入されたバスは、国鉄バスとして初めての、後方監視用バックカメラ装備車であった。

注記[編集]

  1. ^ バスジャパン・ハンドブックシリーズ5「中国ジェイアールバス」p27
  2. ^ 「運輸省告示第83号」『官報』1948年3月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

  • バスジャパン・ハンドブックシリーズ5「中国ジェイアールバス」(1996年・BJエディターズ)