大平透

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おおひら とおる
大平 透
プロフィール
本名 大平 透[1]
性別 男性
出生地 日本の旗 日本東京府荏原郡蒲田町
(後の東京市蒲田区、現:東京都大田区
死没地 日本の旗 日本東京都
生年月日 (1929-09-24) 1929年9月24日
没年月日 (2016-04-12) 2016年4月12日(86歳没)
血液型 O型[2]
身長 180 cm[3]
職業 声優俳優
事務所 大平プロダクション
81プロデュース(最終所属)
配偶者 あり(2000年死別)
声優活動
活動期間 1963年 - 2015年
ジャンル アニメゲーム吹き替えナレーション
俳優活動
活動期間 1952年 - 2015年
ジャンル テレビドラマ映画
声優:テンプレート | プロジェクト |

大平 透(おおひら とおる、1929年昭和4年〉9月24日[1][4] - 2016年平成28年〉4月12日[5])は、日本声優俳優アナウンサー大平プロダクション代表。日本俳優連合副理事長。最後は81プロデュースに所属していた。

生涯[編集]

東京府荏原郡蒲田町(後の東京市蒲田区、現・東京都大田区)出身[6]。父の仕事関係から生後8か月でインドネシアに移住し、5歳までジャワ島バンドンで過ごす[4]。帰国後は蒲田区で過ごしたが、住んでいた家屋が防火帯工事に伴う立ち退き対象にされたため、これを契機に疎開を兼ねて四国などに移り住む。

終戦後は東京に戻り、東京都立城南高等学校[注釈 1]を経て明治大学政治経済学部[4]に入学。明治大学硬式野球部で活躍するが、肺結核に罹患したため、3年間休学を余儀なくされる。病も癒えて復学しようと考えていたところ、クリスチャンであった父の勧めで受けたオーディションに合格したことで、1952年に「ルーテル・アワー(日本ルーテル・アワー)」専属アナウンサーでデビュー[8]。大学は夜学に転籍して、仕事と並行しながら1954年に卒業した。その後、フリーアナウンサーを経て、ニッポン放送開局と同時にフリーのアナウンサー・制作プロデューサー・ディレクターとして、週2本のドキュメンタリーを制作していた。

1955年、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)開局と同時にTBS劇団へ入団し[4]フライシャー・スタジオ制作短編アニメシリーズ『スーパーマン』を再編集した『まんが・スーパーマン』で日本のテレビ史上初の日本語吹き替えを行う。翌年には実写版テレビシリーズ『スーパーマン』で主演のジョージ・リーヴスの吹き替えを担当。好評を博すも、リーヴスがスーパーマン以降のキャリアが伸び悩み自殺に至った事から、自身もスーパーマンでキャリアを終わらせたくないと考え、1960年小林清志に引き継がせて降板する。

1958年、TBS劇団解散に伴いフリーとなり[4]1963年大平プロダクションを設立[4]1982年からは大平透声優ゼミナールを開校し[4]、後進の指導にあたっていた。この間には、『スーパーマン』等のシリアス路線から『恐妻天国』のフレッド・フリントストーン役や『ハクション大魔王』のハクション大魔王役などの主役に抜擢され、コメディ路線の新境地を開拓した[9]

1989年には『笑ゥせぇるすまん』の主役・喪黒福造役やディズニーキャラクターピート役に抜擢され演じており、最晩年に病気療養で降板するまで専属で担当し続けた。

2000年8月26日、妻と死別。2005年頃には体力の衰えを感じ引退を考えるも、仕事をしていたスタッフの後押しを受けて病気療養するまで現役で活動し続けた。

2007年3月3日、第1回声優アワード功労賞を受賞[10]2013年には、第7回声優アワードで森功至小原乃梨子岡本茉利と共に「シナジー賞(タツノコプロ50周年)」を受賞した[11]3月23日、24日に開催された「東京国際アニメフェア2013」では第9回功労賞を受賞[12]

2014年11月1日付けで81プロデュースに所属。2015年頃から体調を崩しがちになり、同年12月からは病院でリハビリに入ったため、持ち役には代役が立てられた[13]。同年12月14日、ディズニー主催の謝恩会に出席。これが公の前に現した最後の姿となった[14]

2016年4月12日肺炎で死去。86歳没[5]6月20日に、パレスホテル東京で偲ぶ献花式が執り行われた[15]

特色[編集]

アニメでは主役から悪役や老人役、コメディーリリーフなど幅広い役柄を担当している。

演じる役によって声の音域を変えているが、一番地声に近いのは『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造だという。

知名度の高い作品で主役やレギュラーを務める事が多かったため、晩年のインタビューでは自身のキャリアについて「つくづく私はラッキーだなって思いますよ。来る仕事、来る仕事、みんな当たっちゃうんですよね(笑)」と自負していた[16]

1970年から2001年まで毎日放送 - NET系(1975年4月からはTBS系)で土曜日の朝に放送されたワイドショー『八木治郎ショー』⇒『八木治郎ショー・いい朝8時』⇒『すてきな出逢い いい朝8時』では、1994年まで番組筆頭スポンサーだった田辺製薬(現:田辺三菱製薬)の生コマーシャルを担当した。

人物[編集]

大橋巨泉とは50年来の大の親友であった。大平の逝去からちょうど3か月後に巨泉は世を去っている。弟子に安富史郎浜田健作らがいる。

身長180cmと大柄であった。アテレコ黎明期には狭いスタジオの中、一つのマイクを何人もが奪い合って収録するという環境において、大平がいると「邪魔っけでしょうがなかった」と比較的小柄な納谷悟朗は冗談混じりにインタビューで語ったことがある。なお、大平自身は多くの声優にそう思われていた当時を振り返り、「でも私が主役だったからねえ」とこれまた冗談混じりに語っている。

仕事に対する姿勢[編集]

ラジオ出身ということもあり、「声優」という呼称は抵抗なく用いていた。反面、声優業に強いプライドを持ち、芸能人(声優業が専業ではない者)が声優業をすることには批判的であった。

デビュー時に監督やプロデューサーとしても活動していたことから、共演する後輩声優にはアドバイスや指導をすることが多かった。手を抜いた演技をした共演者がいた際は叱りつけ[17][16]、自身がふり幅の少ない役を演じる際には「俺は喪黒福造の調子でしかしゃべれないんだから、お前ら脇を固めるやつらがフルスイングしてくれなきゃ、いい番組にならないだろう」と言ったという。このことに関して大平は「何か言われたりしても、それで番組がヒットするなら、それで番組が少しでも良くなるなら、全然かまわない」と語っていた[9]

ランチタイムの時にビールを飲んでいた者に対しては直接怒らず、プロデューサーに「午後に仕事を控えてを飲むヤツとは一緒に仕事したくないから、そいつを下ろすか、俺を下ろすか決めてくれ」と話したという[16]。本人いわく「意地悪じゃなくてね、そういう“適当にやっている姿勢”が嫌なんです。私の弟子には、絶対そういう中堅にならないように指導していますけどね」とのこと[16]。この姿勢に対しては、田中真弓は「現代だとパワハラ、セクハラと何かと言われて穏便になりがちだけど、大平さんの様に怖かったけど厳しい先輩はありがたかった」とその姿勢を高く評価している[要出典]

同年代の大塚周夫はインタビューを受けた2009年当時、現役でアテレコをやっている80代で芝居を真剣に勉強してきた役者の一人に大平の名前を挙げていた[18]

スーパーマン役で有名になった影響で仕事に制限がかかってしまった過去があることから、オーディションには参加せず、デモ用テープは一切作らなかった[19]

自分がCMに出た企業は、その企業の製品しか使わないことをモットーにしていた[9]

持ち役には拘りが強かった。『ハクション大魔王』の続編『よばれてとびでて!アクビちゃん』では低予算のため、大平の演じた大魔王役にギャラが安い別の声優をキャスティングしようとしたところ、それを聞いた大平は新人ランクのギャラで出演を引き受けたという[20]。『ザ・シンプソンズ』が起用されたCCレモンのCM収録では、通常のスタッフが関わっていないことから台本にあったホーマーの口調がいつもと違い、それを自身で修正している[9]

ファンを大切にしており、2008年の「第1回シンプソンズファン感謝祭」には無償で参加。また、この時に行われたサイン会は抽選にする予定でスタッフは大平にそれを勧めたが、「それじゃ、かわいそうでしょ?不公平でしょ?ある人は貰って、ある人は貰えないんじゃ、とってもかわいそうです。僕は全員に方にサインをしてあげたい」と大平の強い意向で来場者500人全員へのサインが実現した[9]

エピソード[編集]

声優デビューにより、日本ルーテル・アワーの専属アナウンサーではなくなった後も『ルーテル・アワー』や『この人を見よ』などに引き続き出演したほか、ラジオのキリスト教伝道番組『心の友』[21]太平洋放送協会製作のテレビ伝道番組『特別番組・メリークリスマス』にも出演している。

1970年代、立ち寄った通産省前のガソリンスタンドでバイトしていた下積み時代のビートたけしが給油したという話があり、タケちゃんマンロボのナレーション収録で楽屋に居た大平をたけしが訪れ、このエピソードを披露したという[22]

出演作に関して[編集]

『まんが・スーパーマン』では、当初は録音をせずに生放送の生吹き替えで、1人5役(スーパーマンの恋人ロイス・レーンを含む)を演じ分けていた。これが大ヒットし、翌年1956年には実写版テレビシリーズ『スーパーマン』で主演のジョージ・リーヴスの吹替えを務めた(最高視聴率74.2%)。放送当時の人気は非常に高く、大平の名を一躍全国区に高めた。また番組宣伝ではリーヴス並みの大柄な体躯を買われ、自らスーパーマンの衣装を身につけて貢献している[23]。また、1978年の映画版『スーパーマン』のテレビ朝日版にも大平は出演し、スーパーマンの父親ジョー・エル(マーロン・ブランド)の吹き替えを担当した。機内上映版ではクラーク・ケント(クリストファー・リーヴ)を担当しており、大平はジョージ・リーヴス版とクリストファー・リーヴ版の両方でスーパーマン役の日本語吹替を担当した唯一の声優である。このことから、日本では大平=スーパーマンのイメージが強い[17]。地方でもスーパーマンだと指さされることが多く、リーヴスが死去した際にはファンから大平のもとに弔電が送られてきたこともあったという[17]。『スーパーマン』の再放送時に再アフレコを依頼された際には、「スーパーマンで一生を終えたくない」としてこれを断ったが、小林清志が演じた再放送や広川太一郎が演じた『スーパーマンの新冒険』も大平が演じていたと誤解されることもあった[17]

デビューからしばらくは低音で演じる役柄が多かったが、ハンナ・バーベラ・プロダクション制作の『恐妻天国』(1961年フジテレビ)で主人公・フレッドの「情けない感じ」を出すために高い声色を使って演じたところ、たまたまそれを観ていた広告代理店読売広告社の当時の常務が『おらぁグズラだど』(1967年)の製作にあたり「絶対にグズラは大平透だ」と推薦し[16]、グズラ役に抜擢される。以来、『ハクション大魔王』(1969年)ほか読売広告社 / タツノコプロ制作のアニメ作品に数多く出演するきっかけとなった[24]。特に『ハクション大魔王』からは、フジテレビ系列日曜夕方6時台枠のアニメに放映された全てのタツノコアニメにレギュラー出演。『未来警察ウラシマン』(1983年)途中での放送枠変更を挟んで、『よろしくメカドック』(1984年)まで連続して出演している。また『カバトット』(1971年)、『かいけつタマゴン』(1972年)では「台詞なしで声の表情だけで演じるギャグアニメ」という制約の中、主役を演じ切っている。現場での信頼も厚く、タツノコ作品の収録では「座長」と呼ばれ、共演者のまとめ役的役割を果たした[24]。『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)では、番組後半にささきいさお演じるコンドルのジョーを中心とするストーリー展開となったために、主演である大鷲の健を演じる森功至が憤慨し降板を申し出て現場を騒然とさせたため、「自分の都合で番組をやっているのではない」と森を説得し、現場の混乱を収めたこともある[25]。 タツノコプロとは仕事以外でも親交があり、自身が支援していた北海道の障害者団体の児童のために、タツノコプロ創設者である吉田竜夫の夫人を介して、タツノコ作品の上映会を開催している[26]。また、上記のような経緯から読売広告社との関係も親密で「読広の社外取締役」とも言われた[27]

笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造役について、当初は熊倉一雄が99%内定していたものの[9][28]、総監督の意向でオファーを受け喪黒の声を披露したところ、原作者の藤子不二雄Aも大絶賛し満場一致で大平に決まったという[16][注釈 2]

特撮ヒーロー番組ではピー・プロダクション制作の作品に関わりが深い。『マグマ大使』(1966年)では、当初は宇宙の帝王ゴアの声だけを担当する予定だったが、「表情の動かないぬいぐるみの動きと吹き替えのタイミングが合わせづらい」と、自ら申し出てゴアの着ぐるみを着け、これを演じている[17][注釈 3]。着ぐるみでの演技は大量の汗をかくため、自宅の家政婦を連れて来て冷却や汗ふきを行っていた[17]。『俺は透明人間!』(1970年)では俳優として第1話にギャング団のボス役でゲスト出演、『スペクトルマン』(1971年)では主人公が所属する組織「公害Gメン⇒怪獣Gメン」のリーダー・倉田室長役でレギュラー出演している。『スペクトルマン』では、自身の行きつけのブティックとタイアップして他のレギュラー出演者のスーツを用意していた[17]

東映作品には、『スパイキャッチャーJ3』(1965年)から出演[7]。「スーパー戦隊シリーズ」では『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)の第15話より参加。以後、『科学戦隊ダイナマン』(1983年)までの7作品、および『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)のナレーターを担当した。『ダイナマン』では、編成上の都合から第10話より放送時間が短縮され、番組予告もそのあおりを受けたがアドリブを随所に入れ、時間的な制約をカバーした。ナレーションの際には、台本を読んで作品の状況を把握してから、監督と相談して作品の情景にあわせてナレーションするように心掛けていたという[7]。ナレーター以外では『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)で敵組織の首領・皇帝バッカスフンドの声を担当している。また、『メタルヒーローシリーズ』では『宇宙刑事シャイダー』(1984年)から参加、『超人機メタルダー』(1987年)[注釈 4]以外の、『機動刑事ジバン』(1989年)までの5作品のナレーターを担当した。『宇宙刑事シャイダー』で主演を務めた円谷浩は、後年『THEウルトラ伝説』という円谷プロの集大成・再編集ビデオで初めてナレーターを担当した際、『シャイダー』のナレーターだった大平の語りが強く印象に残っているといい、「あれは凄いよね」と敬意を払っていた[30]

洋画作品では、テリー・サバラスの吹き替えを多く演じている。サバラス主演のテレビシリーズ『刑事コジャック』(1975年 - 1979年、TBS系)は当初、大平が吹替える予定だったが、当時の演出担当ディレクターが「吹き替えのためには、声優もオリジナル俳優と同じ格好で生活してリアリティを出すべきだ」と主張し、大平に対して丸坊主になるよう要求したが、当時田辺製薬の生CMに出演していた都合から不可能だったため大平は降板[9]森山周一郎が吹替えることになった[注釈 5]。海外テレビシリーズでは『スパイ大作戦』(1967年 - 1973年、フジテレビ系)の番組プロローグに登場する「指令の声(演:ボブ・ジョンソン)」の吹き替えでも知られる。

ザ・シンプソンズ』のホーマー・シンプソンの吹替声優に抜擢される。他の声優陣がオーディションで選ばれた中、大平のみ制作側の指名であった。『ザ・シンプソンズ MOVIE』では話題性重視のため一度声優が変更されたものの、ファンの抗議や活動によりDVD発売時にオリジナル声優による吹替が制作されホーマー役に復帰。2008年5月4日にはこのことに感謝して「シンプソンズファン感謝祭」を主催。これをきっかけに『ザ・シンプソンズ』のDVDが発売されるとファンと声優でシンプソンズファン感謝祭を開催するようになり、2013年までに5回開催されていた。なお、大平は原語版のホーマー役であるダン・カステラネタや原作者のマット・グレーニングと対面しており本人公認となっている[9]

スター・ウォーズ・シリーズ』では旧三部作でダース・ベイダーの声を担当、新三部作エピソード3『シスの復讐』(2005年)でも引き続き声を担当した。これは監督であるジョージ・ルーカスが、日本語吹替え版の大平の声を気に入り直々に指名したものだという[16]。シリーズを通して、旧シリーズと新シリーズの両方で同一キャラクターを吹き替えを担当したのは大平のみである[注釈 6]。また、大平没後、映画版の後任である楠大典がキャスティングされるがそれ以外の後任は土師孝也中村浩太郎がキャスティングされている。

後任・代役[編集]

入院で降板した際の代役は以下の通り。

代役 キャラクター名 概要作品 代役の初担当作品
楠大典 ダース・ベイダー スター・ウォーズ・シリーズ スター・ウォーズ 反乱者たち』シーズン2
森山周一郎 カザン隊長 ホラー・エクスプレス/ゾンビ特急地獄行 ※当初大平が吹き替える予定だったが変更。
北川勝博 ピート ディズニー ミッキーマウス!』第43話
福田信昭 バック・バロウ 俺たちに明日はない』テレビ朝日版 WOWOW版追加収録部分※当初大平が吹き替える予定だったが変更[31]

死去後の後任・代役は以下の通り。

後任・代役 キャラクター名 概要作品 後任・代役の初担当作品
玄田哲章 喪黒福造 笑ゥせぇるすまん 笑ゥせぇるすまんNEW[32]
徳川家康 バジリスク 〜甲賀忍法帖〜 バジリスク〜桜花忍法帖〜
長嶝高士 デカパン おそ松くん』テレビアニメ第2作 パチスロ『おそ松くん
浦山迅 ホーマー・シンプソン ザ・シンプソンズ ロキとバートたちの大乱闘
山寺宏一 ハクション大魔王 ハクション大魔王 ハクション大魔王2020
銀河万丈 ナレーター グーフィーの短編映画シリーズ 『グーフィーのステイホーム教室』

出演[編集]

太字はメインキャラクター。

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

テレビアニメ[編集]

1963年
1965年
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1972年
1974年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1983年
1984年
1985年
1988年
1989年
1991年
1992年
1999年
2000年
2001年
2004年
2005年
2006年
2008年
2009年

劇場アニメ[編集]

1961年
1978年
1980年
1989年
2001年
2004年

OVA[編集]

ゲーム[編集]

1993年
2001年
2002年
2005年
2008年
2009年
2010年
2012年
2013年
2014年

吹き替え[編集]

俳優[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

アニメ[編集]

特撮[編集]

1964年
1965年
1966年
1967年
  • マグマ大使(藤波博士、ニュースキャスター)
1968年
1971年
1973年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1988年
1989年
1992年
1995年
1996年

ラジオ[編集]

  • ルーテル・アワー
  • この人を見よ - 『ルーテル・アワー』の姉妹番組。
  • 心の友 - キリスト教視聴覚センター(AVACO)製作の宗教番組。
  • 赤胴鈴之助ラジオ東京
  • シーグラー・ゴルフジョッキー「大平透のナイスショット」(ラジオ関西 他)
  • FMバラエティ内「大平透の歌謡大作戦」(FM愛知FM福岡 他)

レコード[編集]

CD[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ バレーボール全日本元監督の松平康隆と同窓[7]
  2. ^ 大平によると、録音制作会社からオーディションテープの提供を求められたものの、大平の「デモテープは作らない」というポリシーから断り、スケジュールの空いた時間に自ら出向いて喪黒の声を録音したという(中公文庫5巻所載のMOGRO CLUBより)。
  3. ^ このページの最下部に大平がゴアの扮装でマスクを外して手にしている画像が掲載されている[29]
  4. ^ ナレーションは政宗一成が担当。
  5. ^ 森山が一時丸坊主にしていたのは、これが理由である。
  6. ^ 旧三部作のテレビ放映や劇場公開など独自の日本語吹替版を含めると、ヨーダ役の永井一郎も挙げられるため2人目となる。
  7. ^ 全40話のオムニバスドラマ。出演者は毎回変わる。

出典[編集]

  1. ^ a b 「掛尾良夫編「声優事典 男性篇 大平 透」」『声優事典』キネマ旬報社、1996年、第2版、64頁。ISBN 4-87376-160-3。
  2. ^ 大平透”. goo人名事典. 2019年12月1日閲覧。
  3. ^ “大平透”. Excite News. エキサイト株式会社. https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/UDAR10064230/ 2020年10月30日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g 大平透プロフィール”. 大平プロダクション. 2014年8月21日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月1日閲覧。
  5. ^ a b “喪黒福造・ハクション大魔王…大平透さん死去”. 読売新聞. (2016年4月14日). オリジナルの2016年4月14日時点におけるアーカイブ。. http://archive.is/saSX4 2016年4月14日閲覧。 
  6. ^ 大平透さんを偲んで”. ふきカエル大作戦公式ホームページ (2016年5月25日). 2017年8月22日閲覧。
  7. ^ a b c 『テレビマガジン特別編集 秘密戦隊ゴレンジャー大全集 - ジャッカー電撃隊』講談社、1988年5月、200頁。ISBN 978-4061784093。
  8. ^ 大平透の声優道 (1)ラジオの番組専属アナウンサーからスタートして役者の道へ”. 声グラWEB. 主婦の友社 (2010年1月31日). 2013年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月29日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h 【追悼】大平透さん伝説エピソード”. シンプソンズ・ファンクラブ・ブログ (2016年4月17日). 2021年7月11日閲覧。
  10. ^ 第一回声優アワード 受賞者発表”. 声優アワード実行委員会. 2013年4月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年1月2日閲覧。
  11. ^ 第七回声優アワード受賞者発表”. 声優アワード実行委員会. 2013年3月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年1月2日閲覧。
  12. ^ 第12回コンペティション受賞者・第9回功労賞顕彰者”. 東京国際アニメフェア2013公式サイト. 2013年10月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年1月2日閲覧。
  13. ^ 小原篤による2015年12月14日のツイート2015年12月14日閲覧。
  14. ^ 大平透(声優)が入院中に死去!「偲ぶ献花式」で最期のお別れ
  15. ^ “大平透さん『偲ぶ献花式』6・20開催”. ORICON STYLE. (2016年5月27日). http://www.oricon.co.jp/news/2072370/full/ 2016年5月27日閲覧。 
  16. ^ a b c d e f g 大平透の声優道 (2)つくづく私はラッキー! 人気アニメに多数出演。”. 声グラWEB (2010年2月10日). 2013年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月29日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h ザボーガー&ピープロ 2011.
  18. ^ 『続・夕陽のガンマン』大塚周夫. 吹替の帝王 -日本語吹替版専門映画サイト-
  19. ^ 中公文庫5巻所載のMOGRO CLUBより
  20. ^ @shiokininmondo (2018年5月23日). "声優の高嶺巌の投稿" (ツイート). Twitterより2021年7月11日閲覧
  21. ^ 日本基督教団提供、キリスト教視聴覚センター(AVACO)製作で1958年から1970年代まで放送された。
  22. ^ 大平透伝説エピソードより
  23. ^ 大平透さんスーパーマン伝説!”. シンプソンズ ファンクラブ ブログ (2012年9月24日). 2013年12月28日閲覧。
  24. ^ a b 但馬オサム 2013, p. 167
  25. ^ 但馬オサム 2013, pp. 168-169
  26. ^ 但馬オサム 2013, pp. 287-288
  27. ^ 斯波重治「Animation Interview Series 斯波重治インタビュー」『まんだらけZENBU』第61号、まんだらけ出版、2013年12月、 218頁、 ISBN 978-4860721008。
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  31. ^ https://mobile.twitter.com/hi_taratara/status/720642647262502913
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参考文献[編集]