大橋進 (法曹)

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大橋 進(おおはし すすむ、1916年6月13日 - 2003年12月11日)は、日本弁護士、元最高裁判所裁判官東京都出身。

概要[編集]

1941年(昭和16年)に東京帝国大学法学部を卒業[1]。1942年(昭和17年)に司法官試補となり、1944年(昭和19年)5月に大阪地裁を振り出しに裁判官生活に入ったが、間もなく海軍に召集されて海軍法務官となり、中尉で横須賀鎮守府軍法会議付きのとき終戦を迎えた[1]1946年(昭和21年)4月から東京地裁に勤務、ついで1949年(昭和24年)10月から法務府法制違憲第一局長補佐を2年余り勤め、再び東京地裁に戻った[1]

1954年(昭和29年)7月に弁護士に転じた[1]中小企業約10社の顧問をし、商事、工事所有権、家裁事件などが中心にもっぱら民事を手掛けた[1]司法研修所教官を3年間務めたほか千代田区教育委員を12年間、保護司を14年間務め、少年非行問題にも関心をもった[2]

1981年(昭和56年)1月30日最高裁判所裁判官に就任[3]

1983年(昭和58年)7月8日、最高裁判所第三小法廷にて、永山則夫連続射殺事件の上告審判決公判にて、裁判長を務めた。この判決で、死刑を求めた検察側の上告を認め、控訴審東京高等裁判所・船田三雄裁判長、1981年8月21日)の無期懲役判決を破棄し、審理を東京高裁に差し戻したが、この際に傍論として、後に死刑適用基準を示した最高裁判所判例として用いられる、永山基準(Nagayama Criteria)を示した。

1986年(昭和61年)6月、最高裁判所裁判官を定年退官した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 野村二郎「最高裁全裁判官」(三省堂)245頁
  2. ^ 野村二郎「最高裁全裁判官」(三省堂)245・246頁
  3. ^ 野村二郎「最高裁全裁判官」(三省堂)246頁