大泉サロン

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大泉サロン(おおいずみサロン)とは、かつて東京都練馬区南大泉に存在した借家の通称である。漫画家の竹宮惠子萩尾望都1970年から1972年にかけて同居し、「24年組」と呼ばれ、のちに日本の少女漫画界をリードした女性漫画家達が集った。

概要[編集]

1970年5月徳島県から上京した竹宮と、同年10月福岡県から上京した萩尾が、2人の共通の友人であった増山法恵(のち漫画原作者、小説家、音楽評論家)の紹介で同居生活を始めた借家である[1]。2階建て2戸連棟のうちの1戸で、増山の家の斜め向かいにあった。2人が1972年杉並区下井草の別々のアパートにそれぞれ転居するまで、当時の若手女性漫画家たちが集う場となり、彼女らが「大泉サロン」と通称した。1950年代手塚治虫や当時の若手漫画家が集った「トキワ荘」(東京都豊島区)と比べられることが多い。

東京に生まれ育ち、プロのピアニストを目指していた増山は、幼いころからクラシック音楽、文学、映画、そして漫画にも親しみ、少女漫画・少女漫画家が低く扱われることを不満に思い[2]、少女漫画家の共同体構築を視野に入れていた[1]。増山は芸術として高いレベルの少女漫画を目指し、竹宮、萩尾にヘルマン・ヘッセの小説や映画、音楽など様々なものを紹介した[2]。のちに二人の作品のテーマになる「少年愛」も、もともとは増山の趣味で、こういった作品を描いてほしくて二人に教えたと述べており[3][2]、竹宮も増山からいろいろ聞いているうちに少年同士の世界「耽美」を認識するようになったと述べている[2]。2人が同居をはじめる際、『別冊少女コミック』の編集長であった山本順也は、一つ屋根の下に作家が2人住むのは前代未聞だとして反対したという[4]

「大泉サロン」には、山岸凉子(1947年生)、山田ミネコ(1949年生)、ささやななえこ(1950年生)、伊東愛子(1952年生)、佐藤史生(1952年生)、奈知未佐子(1951年生)、それに少女同人サークル「ラブリ」(石川県金沢市)の坂田靖子(1953年生)、花郁悠紀子(1954年生)、波津彬子(1959年生)など、いわゆる24年組と呼ばれる世代を中心とする若手女性漫画家やアシスタントが集まった。

肉筆回覧誌『魔法使い』の制作をはじめ、互いの作品制作協力、少女漫画の今後のあり方に関する議論などの活動が行われた[1]ほか、1972年には竹宮、増山、萩尾、山岸の4人[2]が45日間をかけて、ハバロフスク、モスクワ経由の欧州旅行を行い、竹宮ら24年組がヨーロッパを舞台にした漫画を描く原動力になった[5]。「サロン」解散後も、参画した漫画家同士はそれぞれに親密な関係を持ち続けた。

参考文献[編集]

  • 竹宮惠子:「少年の名はジルベール」小学館 (2016年1月27日)ISBN 978-4093884358

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「漫画ノススメ」大泉へ... 『地球へ』の竹宮先生が語る、大泉サロンの思い出 「マンガナビ」、有限会社翠猫館、2007年
  2. ^ a b c d e 石田美紀 『密やかな教育―“やおい・ボーイズラブ”前史』 洛北出版、2008年
  3. ^ 別冊宝島『70年代漫画大百科』P.166~173
  4. ^ 竹宮惠子:「少年の名はジルベール」(小学館)p47・p48
  5. ^ 電子まんがナビゲーター 第2回 竹宮惠子編 その2「「大泉サロン」の時代の巻」(3)