大浦天主堂停留場

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大浦天主堂停留場
Oura Cathedral Tramstop 20180819 01.jpg
道路側から見た停留場全景
おおうらてんしゅどう
Oura Cathedral
48 大浦海岸通 (0.2km)
(0.3km) 石橋 51
所在地 長崎県長崎市大浦町3番25号先
駅番号 50
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 大浦支線(5号系統
キロ程 0.8km(新地中華街起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面1線
乗降人員
-統計年度-
800人/日
-2015年-
開業年月日 1916年(大正5年)12月27日
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大浦天主堂停留場(おおうらてんしゅどうていりゅうじょう、大浦天主堂電停)は、長崎県長崎市大浦町にある長崎電気軌道路面電車停留場。駅番号は505号系統が停車する。

名前の通り大浦天主堂のほか、グラバー園の最寄り停留場でもある[1]

歴史[編集]

当停留場は1916年(大正5年)に松ヶ枝橋停留場(まつがえばしていりゅうじょう)として開業した[2][3]。その後1930年(昭和5年)に弁天橋停留場(べんてんばしていりゅうじょう)に改称[2]。50年近く同名を名乗り続けたが、付近にあるバス停の名称に合わせて1980年(昭和50年)に大浦天主堂下停留場(おおうらてんしゅどうしたていりゅうじょう)へ改称した[1][4]。2018年(平成30年)には停留場の最寄り施設を明確にするため、「下」を外した大浦天主堂停留場に改称している[5]

年表[編集]

構造[編集]

大浦海岸通側より見た停留場。線路の左側、電車が止まっているのがバス停と共用の石橋方面行き、右側が新地中華街方面行きのホームである。
大浦川と道路の間に敷かれた単線の軌道

大浦天主堂停留場は併用軌道区間にある停留場だが[12]、軌道敷は路面より若干高い位置にあり、半ば道路から独立した専用軌道のような状態である[4]。軌道は単線で大浦川と並走する道路との間に敷かれ、ホームは軌道を挟んで両側に1面ずつ設けられている[12][13][14]。河川側にあるのが新地中華街方面行きのホーム、道路側にあるのが石橋方面行きのホーム[14]。互いの乗り場の位置は斜向かいにずれていて、新地中華街寄りから見ると河川側・新地中華街方面行きの乗り場が手前にある[14]。停留場がある区間の軌道には芝生が植えられ緑化されている[14]

かつては河川側のホームのみで(片面ホーム)、これが新地中華街寄りから見て右側であるため、前中扉[15]360形500形は当停留場を使用できなかった[1][4]。利便性のため道路側にホームを新設したのは2000年(平成12年)[7]。このときホームの反対側にはバス停留所を併設し、日本で初めて路面電車とバスを一つのホームで乗り換えられるようにした[7]。ただホーム幅は狭く乗客があふれる恐れがあるため、一部防護柵を取り付けている[13]。河川側のホームは1999年(平成11年)に改良され、上屋の取り換えやホームのかさ上げ、スロープの設置がなされた[7][16]

このほか、停留場には案内放送装置や電車接近表示装置を備える。

利用状況[編集]

長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。

  • 1998年 - 2,259人[1]
  • 2015年 - 800人[17]

周辺[編集]

一帯には大浦天主堂グラバー園のほか観光施設が点在し、当停留場を利用する観光客も多い[4]。それ故、日によっては1800形が3両すべて(1801、1802、1803号)5号系統に入る事がある。

隣の停留場[編集]

長崎電気軌道
大浦支線(5号系統)
大浦海岸通停留場(48) - 大浦天主堂停留場(50) - 石橋停留場(51)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 田栗 & 宮川 2000, p. 67.
  2. ^ a b c d e 今尾 2009, p. 57.
  3. ^ 100年史, p. 126.
  4. ^ a b c d 田栗 2005, p. 95.
  5. ^ a b 電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年4月4日閲覧。
  6. ^ a b c 田栗 2005, p. 156.
  7. ^ a b c d e 100年史, p. 123.
  8. ^ 100年史, p. 198.
  9. ^ 100年史, p. 201.
  10. ^ 100年史, p. 202.
  11. ^ 浅野孝仁 (2018年7月31日). “長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから”. 毎日新聞(地方版・長崎) (毎日新聞西部本社): p. 23 
  12. ^ a b 100年史, p. 130.
  13. ^ a b 川島 2007, p. 123.
  14. ^ a b c d 川島 2013, p. 49.
  15. ^ 前中扉の車両は運転席の左側にしか降車扉がない。
  16. ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 69.
  17. ^ 100年史, p. 125.

参考文献[編集]

  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
  • 川島令三全国鉄道事情大研究』九州篇 2、草思社、2007年。ISBN 978-4-7942-1562-8。
  • 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6。
  • 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2。
  • 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4。
  • 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』、2016年。

関連項目[編集]