大道寺重時

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大道寺 重時(だいどうじ しげとき、生没年不詳)は戦国時代武将で、後北条氏の家臣。発専(ほっせん)の法名で知られている。通称は太郎。大道寺盛昌の父。

伊勢宗瑞(北条早雲)の従兄弟とされ、初めは山城国にいたが、後に早雲と共に駿河国へ同行した御由緒六家の一人とされている。後に宗瑞の伊豆国平定に従事して同国の政務を補佐した。後に小田原城を守備したが戦死したとされる。

戦死した時期として有力なのは明応5年(1496年)に宗瑞が大森藤頼の依頼を受けて(旧来の明応4年小田原城奪取説は誤りとされる)、弟の伊勢弥次郎らを小田原城に派遣して関東管領上杉顕定と戦った際に多数の犠牲者を出したとされている事から、この時の戦いであるとも考えられるが、その後の宗瑞による小田原城奪取、更に永正7年(1510年)の三浦義同の小田原城攻撃の時などの可能性もあるために明確な年次は明らかにしがたいとされている。