大阪府立今宮高等学校

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大阪府立今宮高等学校
大阪府立今宮高等学校
過去の名称 大阪府立今宮中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
校訓 誠実剛毅、和親協同
輝け個性、磨け知性
設立年月日 1906年明治39年)4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 総合学科
学期 3学期制
高校コード 27153F
所在地 556-0013
大阪府大阪市浪速区戎本町2丁目7-39
外部リンク 大阪府立今宮高等学校 (日本語)
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大阪府立今宮高等学校(おおさかふりつ いまみや こうとうがっこう)は大阪府大阪市浪速区にある公立高等学校

概要[編集]

1906年明治39年)に大阪府立今宮中学校として創立した。大阪市内の旧制中学校としては四番目の創立である。校章は旧制中学の「中」を表す六稜に「今」で、左右に付した四本線は「市内第四中学」であることを表している。

新制高等学校への改編当初は全日制・定時制を併設する普通科高等学校だったが、全日制課程は1996年平成8年)、柴島松原の各高等学校とともに、大阪府内の公立高等学校としては初めて総合学科へと改編されている。また定時制課程は大阪府の定時制高校再編策により、1998年3月に閉課程となった。

総合学科単位制。2010年度まで2期制を採用していたが、2011年度より3期制に戻した。「個性の伸張」と「知性の育成」の2つを大きな柱としている。2年目より希望により5系列に分かれて学習する。「医薬学入門」「航空宇宙工学」など、大学との連携によって開設される理系科目もある。情報や音楽などの授業では、社会人講師が招かれハイレベルな授業も行われている。一方で「カイロプラクティック」「看護・福祉」など実学的な科目もある。

国外への修学旅行や留学生の受け入れなど、様々な教育活動を積極的に展開している。屋上に開閉ドーム式のプールがある。「学校を美術館に」とのスローガンのもと、校内の各所に生徒の美術書道・書画等の芸術作品が展示されている。

服装については校則ではなく服装自主規制を定めており、生徒自身による風紀の是正を行っている。そのため風紀委員会では具体的な規制案やその精神について毎年議論が行われている。規定によると学生服はあくまで標準服であり、式典等以外で強制されることはない。

同窓会は「自彊会」と称し、構内に「自彊会館」という建物を所有している。なお、自彊会館は、特別授業や文化祭などでも幅広く利用され、昼休みには軽音楽部、エレクトーン和楽器の科目選択者による演奏会が開かれている。

沿革[編集]

旧制中学校時代[編集]

1906年(明治39年)3月9日文部省告示により、大阪府立今宮中学校が大阪市南区馬渕町350番地(現在の浪速区恵美須西3丁目)に設置され、同年4月より開校することが決定した。開校準備作業や新入生募集などを経て、1906年4月22日に第一回入学式が実施された。

開校前の1903年(明治36年)に大阪府立池田中学校(第九中学校。第十六中学校としてのちに設置された現在の大阪府立池田高等学校との連続性はない)と大阪府立四條畷中学校(第十中学校。現在の大阪府立四條畷高等学校)の2校が開校している。当校設置の目的は大阪市内3校(北野天王寺市岡)の過密解消であるが、大阪府は日露戦争後の財政難を理由に、開校間もない池田中学校を廃校にして当校設置・運営にかかる費用を捻出した。このような経緯から、当校が実質的に10番目の府立中学校となっている。

馬渕町校舎は仮校舎の扱いだった。現在地での校舎新築工事が1907年よりおこなわれ、1908年3月25日に南区宮津町(現在地)に移転している。

1933年昭和8年)には鉄筋コンクリート校舎が竣工した。柱やレンガの階段に縦の線が強調された近代的なデザインだった。

太平洋戦争の影響により、1944年以降勤労動員がおこなわれるようになった。また校庭を畑として開墾する作業も実施された。校舎の一部は兵舎に転用されている。

1945年3月13日の第一次大阪大空襲では、柔剣道場や食堂などを焼失する被害を受けた。1945年6月26日には今宮駅付近に落下した爆弾の爆風により、校舎の窓ガラスを破損する被害を受けた。

終戦直後の1945年10月1日には大阪府立市岡中学校(現在の大阪府立市岡高等学校)が水害で被災したため、仮校舎として同年11月まで一部教室を市岡中学校に貸し出している。

GHQ1946年6月27日プールとその周辺の校庭を接収し、進駐軍専用の建物を建設した。プールと校庭は1951年10月19日に返還されている。

新制高等学校[編集]

1948年学制改革により大阪府立今宮高等学校が発足した。全日制普通科と夜間課程(のち定時制に改称)普通科を設置している。

1948年5月28日大阪府立泉尾高等学校と男女生徒・教職員を交流し、次いで同年6月15日には大阪市立南高等学校と男女生徒・教職員を交流して男女共学となった。

かつては制服制度があったが、1973年には服装の自由化を実施している。

1933年に建設した鉄筋コンクリート校舎が老朽化したことから、同時期に鉄筋コンクリート校舎を建設した他の大阪府立高校とともに、1990年代に校舎建て替えの予算が付くことになった。新校舎は1995年平成7年)に竣工している。

1994年12月1日に「将来構想研究グループ」が発足し、学校改革についての検討を始めていた。2学期制導入や教育課程の全面見直し、少人数授業の拡大などを検討することにした。議論の中で総合学科への改編が提案され、他県の総合学科高校の視察など研究や具体化が進んだ。1995年9月19日には職員会議で研究グループの原案が可決され、また直後の1995年9月22日には大阪府教育委員会が「今宮・柴島松原の3府立高校を総合学科に改編する」と発表した。

「将来構想研究グループ」は「今宮総合学科設置準備委員会」に改組され、準備作業を経て1996年度新入生より総合学科へと移行した。

第19代校長・田村昌平を中心にした当時の教職員は大阪教育大学教授(教育学)・大脇康弘の協力を得て、開設初期の総合学科の取り組みをまとめた書籍『学校を変える・授業を創る-今宮総合学科の挑戦』(学事出版、大脇康弘・田村昌平編、ISBN 978-4761908300)を2002年6月に出版している。

定時制[編集]

旧制今宮中学校内に1941年各種学校の大阪府立今宮夜間中学校が併設されたことが、今宮高校定時制の起源となっている。翌1942年には中等学校令に基づき、大阪府立今宮第二中学校と改称された。

1948年の学制改革に伴い今宮中学校・今宮第二中学校が再編されて全日制・定時制併設の大阪府立今宮高等学校となり、夜間課程と称した。夜間課程は1950年に定時制課程と改称した。定時制課程では普通科を設置した。

しかし大阪府が定時制高校を大幅に再編する策を打ち出したことに伴い、1995年に今宮・勝山高津守口和泉佐野の6校の定時制が統廃合の対象となることが発表された。反対運動なども起こったが覆すことはできず、定時制は1996年以降の募集を停止し、1998年3月に閉課程となった。

同時期に近隣の大阪府立今宮工業高等学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)定時制に普通科が併設され、今宮高校定時制の実質的な後継と位置づけられた。なお今宮工科高校定時制は後年、普通科と工業科を統合・再編して総合学科となっている。

年表[編集]

部活動[編集]

放送部は1996年度大阪代表としてNHK全国高校放送コンテストに出場した。

野球部は1947年第19回選抜中等学校野球大会に出場している。当時の野球部長(顧問教諭)は、のちに芥川賞作家となる庄野潤三だった。

大阪府下には水球部を持つ高校は5校存在するが、そのうちの1校がこの今宮であり、大阪選抜にも数名が選出されている。

ダンス部は、『夏の日本高校ダンス部選手権』全国大会において、2014年全国優勝、2009年2012年2013年2015年2016年2017年優秀賞を受賞している。

出身者[編集]

学校関係者[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 大阪府立今宮高等学校創立100周年記念誌部会『今宮史記 -百年の歩み-』、2008年。
  • 大阪府立今宮高等学校創立90年記念誌編集委員会『創立九十周年記念誌』、1996年。
  • 大阪府立今宮高等学校創立80周年記念誌編集委員会『創立八十周年記念誌』、1986年。
  • 大阪府立今宮高等学校定時制『今宮高校定時制課程30年のあゆみ』、1972年。

関連項目[編集]