大阪府立八尾高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2018年9月) ( |
大阪府立八尾高等学校 | |
---|---|
![]() (2007年〈平成19年〉2月撮影) | |
過去の名称 |
大阪府第三尋常中学校 大阪府第三中学校 大阪府八尾中学校 大阪府立八尾中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
![]() |
設立年月日 | 1895年(明治28年)2月21日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 27151K |
所在地 | 〒581-0073 |
![]() 北緯34度37分25.2秒 東経135度35分42.3秒 / 北緯34.623667度 東経135.595083度座標: 北緯34度37分25.2秒 東経135度35分42.3秒 / 北緯34.623667度 東経135.595083度 | |
外部リンク | 公式サイト |
![]() ![]() |
大阪府立八尾高等学校(おおさかふりつ やお こうとうがっこう、英: Osaka Prefectural Yao High School)は、大阪府八尾市にある公立の高等学校。生徒の約9割が自転車通学で[1]、事実上の地元集中校となっている。
概要[編集]
1895年(明治28年)に「大阪府第三尋常中学校」(旧制)として創立した。教育課程は全日制課程で普通科を設置し、教育目標は「文武両道の骨太の人材育成」。大阪教育大学と高大連携を行っていて、2・3年生の希望者は大阪教育大学天王寺キャンパス(大阪市天王寺区)で週1回大学生と一緒に講義を受講できる。他にも「出前講義」を行うなどしている。
卒業生の多くが大学進学を希望しており、元府教育長の中西正人によると「国公立大学への進学者では、大阪教育大学への進学者が一番多い」[2]。そのほか環境教育と人権教育にも注力している。
なお2007年(平成19年)度まで、夜間に授業を行う定時制課程が併設されていた。
部活動の硬式野球部は過去に甲子園大会に出場10回の古豪で、2019年(平成31年)春の第91回選抜高等学校野球大会でも21世紀枠の候補に挙がっていた[3]。
新型コロナウイルス感染症の流行で中止された2020年(令和2年)夏の第102回全国高等学校野球選手権大会の代替として、7月に開かれた大阪府高等学校野球大会では大阪府立美原高等学校と2回戦で対戦。八尾高校が登録していない選手を出場させたため、大会規定に従い没収試合となり、美原にスコア9-0で敗北した形となる珍事が起きた[4][5]。
沿革[編集]
1894年(明治27年)の中学校令改正で道府県1ヶ所の中学校(旧制)の複数設置が可能となり、大阪府は郡部にも1校増設する計画を立てた。若江郡八尾村のほか、堺市・南郡岸和田町・住吉郡平野郷町・東成郡天王寺村などが誘致に動き、3校の増設が決定。翌1895年4月、大阪府第二尋常中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)・大阪府第四尋常中学校(現・大阪府立茨木高等学校)と同時に、「大阪府第三尋常中学校」として開校した。
当初、若江郡八尾村大字八尾(現・本町4丁目)の大信寺対面所を仮校舎として授業していたが、1897年に中河内郡八尾村大字大信寺新田に校舎が完成し移転。1900年には長瀬川左岸の中河内郡龍華村大字安中に運動場が完成した。この左岸の校地が漸次拡張され、のちの校舎新築移転を期に現所在地となる。
その後、大阪府は中学校令施行規則に基づき、府立のすべての中学校・高等女学校の校名を、所在地名に基づく名称に変更[6]。これに伴い1901年4月1日に「大阪府八尾中学校」へ改称された。
しかし改称直後の4月8日に文部省令第11条が出され、中学・高女の名称に、「○○県立・○○郡立」などの形で設置者の名称を冠することが義務づけられた[7]ため、改称2ヶ月後の6月3日付で「大阪府立八尾中学校」へと再改称された。
太平洋戦争後の1948年(昭和23年)の学制改革により、大阪府立八尾高等女学校(現・大阪府立山本高等学校)と交流(生徒・職員を交換)。男女共学の新制の大阪府立八尾高等学校に改編された。
年表[編集]
(年表の主な出典は公式サイト沿革のページ[8])
- 1895年(明治28年) - 2月21日、「大阪府第三尋常中学校」設置が告示(大阪府告示38号)。4月1日、若江郡八尾村大字八尾に開校
- 1897年 - 4月25日、中河内郡八尾村大字大信寺新田に校舎が完成し移転
- 1899年 - 「大阪府第三中学校」と改称
- 1901年 - 4月1日、「大阪府八尾中学校」と改称。6月3日、「大阪府立八尾中学校」と改称
- 1934年(昭和9年) - 6月、中河内郡龍華町大字安中に新校舎が完成し移転(現在地。昭和校舎)
- 1944年~1945年 - 校庭に兵舎が建設される、生徒が近隣の工場に勤労動員
- 1948年 - 4月、戦後の学制改革により新制の高校「大阪府立八尾高等学校」に改編(全日制課程普通科)。大阪府立八尾高等女学校(現・大阪府立山本高等学校)と職員・生徒の交流。10月、定時制課程を設置
- 1994年(平成6年) - 新校舎が竣工(現在の平成校舎)
- 2002年 - 3月22日、大阪教育大学との高大連携協定締結。7月18日、大阪府教育委員会からエル・ハイスクール事業に指定(2003年度より5年間)
- 2003年 - 6月19日、エコハイスクールに指定
- 2005年 - 文部科学省の人権教育課題研究校に指定
- 2006年 - 特別教室棟屋上に太陽光発電システム設置
- 2008年] - 3月31日、定時制課程を廃止(閉課程)
基礎データ[編集]
交通アクセス[編集]
- 鉄道
諸活動[編集]
部活動[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
学校施設[編集]
敷地面積は、大阪府立鳳高等学校に次いで府立高校で2番目に広いとされる。
1948年(昭和23年)大阪府立山本高等学校の校舎が新制の中学校に転用となったため、山本高校が八尾高校内に移転。また同年5月より9月まで、久宝寺村立中学校(現・八尾市立久宝寺中学校)も八尾高校の校舎を借用したため、一時3校が同居していた。なお山本高校は1950年に元の校舎に復帰している。
- 昭和校舎 - 1934年、長瀬川左岸の校地に鉄筋コンクリート造で建設し移転(現在地)。太平洋戦争中の一時期、空襲の目標になることを避けるため迷彩が施された。
- 平成校舎 - 1994年(平成6年)に建て替えられた(現校舎)。
不祥事[編集]
教員スマホ操作ミス、生徒42名の写真流出[編集]
2019年(令和元年)5月12日、学級担任教員がスマートフォンでSMS(ショートメッセージ)を送る際、間違えて入力。生徒の写真を掲載したウェブページ「URL」と閲覧「パスワード」を、無関係の第三者に送った[9]。
入試で採点ミス、二重チェック効かず[編集]
2018年3月の入試の数学と理科で採点ミス。各教科の採点後、別の教員が再確認する点検体制を取っていたが結局、見落とす。6月になり発表された[10]。
高校関係者と組織[編集]
関連団体[編集]
- 大阪府立八尾高等学校同窓会 - 同窓会。固有の団体名は無し
高校関係者一覧[編集]
- 政治・行政
- 一柳良雄 - 経営コンサルタント。元通商産業省総務審議官(高16期)
- 岡本泰明 - 柏原市長(第4代)
- 塩川正十郎 - 財務大臣(第2代)(中40期)
- 伏見格之助 - 東大阪市長(第2代)(中37期)
- 長尾淳三 - 東大阪市長(第5・7代。初の共産党員市長)
- 西辻豊 - 八尾市長(第4代)
- 山西敏一 - 柏原市長(第3代)
- 経済
- 学術
- 奥田昌道 - 法学者。元京都大学法学部長、元最高裁判事(高3期)
- 豊川義明 - 弁護士。関西学院大学客員教授
- 仲村研 - 元同志社大学教授
- 西岡京治 - 農業指導者(高3期)
- 安井宏 - 元関西学院大学教授
- 文化・芸能
- 青木崇高 - 俳優(高50期)
- 石田長生 - ギタリスト(高23期)
- 今中楓溪 - 歌人(中3期)
- 大月みやこ - 演歌歌手(高17期)
- 佳山隆生 - ペン画・水彩画家、ネームポエム作家、ラジオパーソナリティー(高34期)
- 神立尚紀 - 写真家・ノンフィクション作家(高34期)
- きのしたゆうこ - 声優、ナレーター、コラムニスト
- 五味康祐 - 小説家。『喪神』で第28回芥川賞(中40期)
- 坂上みき - パーソナリティー、ナレーター(高29期)
- 清水脩 - 作曲家。カワイ楽譜(現カワイ出版)元社長(中30期)
- 須川栄三 - 映画監督
- 鈴木哲彦 - 作詞家・作曲家。little by littleメンバー。アイアンクリエイティヴ社長
- 田中友幸 - 映画プロデューサー(中32期)
- 花愛望都 - 元宝塚歌劇団(高31期)
- 本間昭光 - 音楽プロデューサー、作曲家 (高35期)
- 山野さと子 - 歌手(高34期)
- スポーツ
- そのほか関係者
脚注[編集]
- ^ “平成21年度 大阪府高等学校交通安全連絡協議会モデル事業報告書”. 大阪府立八尾高等学校. 2021年2月3日閲覧。
- ^ 広島県にローカライズした小学校教員の養成・採用・研修の一体化に向けた研究 -地域拠点としての広島県小学校教員養成コンソーシアムの設立に向けて- - 広島大学2018年
- ^ 春のセンバツ 履正社「優勝目指す」 大阪 - 産経新聞2019年(平成31年)1月26日
- ^ 規定では、ベンチ入り選手数の上限20人で、事前登録の30人から試合ごとに登録し直す必要がある
- ^ 登録ミス 高校野球大阪大会で没収試合 - 産経新聞2020年(令和2年)7月29日
- ^ 1901年3月に文部大臣から認可
- ^ この命名規則に沿っていない既存校については6ヶ月以内に変更することを指示したものであった。これに伴い、すべての「大阪府○○中学校/高等女学校」は「大阪府立○○中学校/高等女学校」へと一斉に再変更されることになった
- ^ “沿革 - 大阪府立八尾高等学校”. 大阪府立八尾高等学校. 2021年2月3日閲覧。
- ^ 大阪府/報道発表資料/個人情報が保管されたURLの誤送信について - 大阪府庁2019年(令和元年)5月23日
- ^ 産経新聞2018年6月30日朝刊 八尾高で入試採点ミス
参考文献[編集]
- 大阪府立八尾高等学校創立100周年記念会「百年誌」編集委員会『八尾高校百年誌』、1995年。
関連項目[編集]
- 大阪府立山本高等学校 - 府立13番目の高等女学校
- 大阪府立八尾北高等学校
- 大阪府立八尾翠翔高等学校 - 大阪府立八尾東高等学校と大阪府立八尾南高等学校を統廃合し設置
- 大阪府高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (大阪府)
外部リンク[編集]
- 大阪府立八尾高等学校HP
- 大阪府立八尾高等学校同窓会 - ウェイバックマシン(2001年3月5日アーカイブ分)