大阪府立四條畷高等学校

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大阪府立四條畷高等学校
大阪府立四條畷高等学校2009年平成21年〉12月撮影)
過去の名称 大阪府立四條畷中学校
大阪府立四条畷高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗大阪府
校訓 質実剛健・文武両道
設立年月日 1903年明治35年)
創立記念日 6月4日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 文理学科
学期 3学期制
高校コード 27132C
所在地 575-0035
大阪府四條畷市雁屋北町1-1

北緯34度44分7.78秒 東経135度38分8.52秒 / 北緯34.7354944度 東経135.6357000度 / 34.7354944; 135.6357000座標: 北緯34度44分7.78秒 東経135度38分8.52秒 / 北緯34.7354944度 東経135.6357000度 / 34.7354944; 135.6357000
外部リンク 公式ウェブサイト
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大阪府立四條畷高等学校(おおさかふりつ しじょうなわて こうとうがっこう、: Osaka Prefectural Shijonawate High School)は大阪府四條畷市にある公立高等学校。前身は、明治末期1903年に新設された府立10番目の旧制中学校修業年限5年間の男子校)。

概要[編集]

1903年明治35年)、10番目の府立中学校として創立された。略称は「畷高(なわこう)」。なお、太平洋戦争終戦後の当用漢字の採用以降、条例上の表記(正式表記)は「四畷」となっていたが、2003年平成15年)に表記変更の条例が大阪府議会で可決され、所在地の四條畷市とともに「四畷」表記に戻された。

戦後の1948年昭和23年)学制改革により、新制の高校の大阪府立四条畷高等学校に改編され、大阪府立寝屋川高等学校(旧制の府立寝屋川高等女学校)と生徒を交流(入れ替え)して男女共学が実施された。

全日制課程普通科の高校だったが、進学指導特色校に指定され改編。2011年平成23年)度より文理学科が併置された。

2012年から、文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている(2018年に第2期指定[1])。

沿革[編集]

明治期、大阪府は府立中学校(旧制中学校)について、部では郡役所の所在地に設置[2]していた(八尾中学校茨木中学校岸和田中学校富田林中学校池田中学校〈第九中学校[3]〉)。

当時、都心部にある師範学校大阪府師範学校大阪市北区)が移転を計画(現・大阪教育大学天王寺キャンパス)。その誘致を北河内郡が計画した[4]ものの財政面などから断念し、府立中の誘致へ運動を切り替えた。

四條畷神社

府立中の新設地として、郡役所所在地の枚方町も候補に挙がったが、師範学校を誘致の際に“忠君愛国教育の代表モデル楠木正成の嫡男の楠木正行(小楠公)を祀る別格官幣社四條畷神社が鎮座する甲可村(現・四條畷市)で指導的人物の育成を図るべき”としていた経緯もあり、甲可村へ設置が決定した。また、関西鉄道(現JR西日本片町線)の通る甲可村が、都心部から交通の利便性の良い点も考慮された(当時京阪本線は開業前)。

水野年方画『教導立志基』より『楠正行』。出征直前の楠木正行

1901年7月6日に大阪府立四條畷中学校の設置が告示され[5]1903年2月12日より開校準備事務を開始。4月、甲可村大字南野444番地で開校(現在地)。4月16日に入学式を実施し、翌4月17日より授業を開始した。

開校2年で廃校の危機[編集]

旧制中学校高等女学校など中等教育機関への進学率向上に伴い、かねてから過密の大阪市内の府立中3校(北野〈府立第一中学校〉・天王寺〈第五中学校〉・市岡〈第七中学校〉)の入学難が1905年に顕著化した。日露戦争を挟んで財政難に陥っていた大阪府は、1903年に同時開校し間もない池田中と四條畷中のどちらか1校を廃校として運営費用を捻出。大阪市内に府立中を新設することとした。結果、池田中が1906年3月31日で廃校となり(廃止を3月9日付の文部省告示第41号で認可[6])、代わりに翌4月に府立今宮中が新設された(開校を3月9日付の文部省告示第44号で認可[6])。

当初、立地の辺鄙さから廃校を見越した動きすら見せていた四條畷中が、結果的に廃校を逃れた理由として、四條畷神社や忠君愛国などの事情や、生徒の地元比率が高かった事情がある。対する池田中は北摂地方に立地し、隣接の兵庫県京都府など他府県の生徒が過半数のため、存続に府会が難色を示した上、北河内郡の断念した師範学校誘致について、優位に立てると地元池田町豊能郡)が判断した事情などがあった。

なお、廃校後の池田中の跡地に1908年4月、大阪府池田師範学校が開校した(文部省告示第79号3月12日付で認可[7]。現・大阪教育大学の旧池田キャンパス)。ちなみに、再び府立中の未設置の郡となった豊能郡は、1921年府立豊中中学校設置まで15年以上待つことになる。

学制改革、定時制、交野分校[編集]

太平洋戦争後の学制改革に伴い、1948年(昭和23年)に大阪府立四条畷高等学校となった。大阪府立寝屋川高等学校(旧制の府立寝屋川高等女学校)との生徒交流で男女共学となる際、大阪市立高等学校(旧制の大阪市立中学校)も含めた3校構想もあった。

修業5年制から新制3年制への移行措置の「併設中学校」の3年生と高校1年生について、京阪本線沿線に在住生徒は寝屋川高校に、国鉄片町線沿線に在住生徒は四條畷高校に振り分ける形をとった。四條畷高校の男子は1948年4月に寝屋川高校へ転出したが、寝屋川高校側は四條畷高校へ転入対象の女子の数が少ないうえ、転入を不安視する声が保護者から挙がり急遽、見合わせ。2か月後(1948年6月)転入試験の形で女子生徒を一般募集。翌1949年、寝屋川高校からの転入対象と転入試験で合格した女子生徒が6月26日付で四條畷高校に転入し、男女共学が始まった。

1948年10月に夜間定時制課程が発足。普通科・商業科家政科農業科を募集し、いわゆる高校三原則に基づく総合制高校を構想したが、志願者の関係などから普通科を主体とした。

夜間定時制は2000年代の大阪府立定時制高校統廃合計画の対象となり、2005年平成17年)以降の新入生募集を停止。最後の卒業生を送り出した2008年3月末、廃止(閉課程)となった。

町立裁縫専修学校を継承した交野分校

定時制は「中心校」と称する四條畷本校のほか、1951年昭和26年)に北河内郡交野町(現・交野市)に「交野分校」も設置された。分校は「交野町立裁縫専修学校」(1902年創立)を継承する形で、交野町立交野小学校[8]内に併設され、昼間定時制の家庭科も併置していた。

その後、交野分校に志願者が急増し校舎改築の声も挙がったが、同時期の枚方市での府立高校誘致運動の影響を受け、交野分校は1964年、枚方市で初の府立高の大阪府立枚方高等学校に移転。教育実践を継承させる形をとり、1966年に最後の卒業生を出して閉校した。なお、枚方高校の家政科は1975年に廃止された。

なお、交野分校の母体とも言える裁縫専修学校の源流は、1898年明治31年)に北河内郡交南高等小学校に併設された裁縫専修科。校舎共用のまま1902年に独立し、「北河内郡交野村外四ヶ村学校組合立交南裁縫専修学校」として開校。1909年に「北河内郡交野村外四ヶ村学校組合立女子手芸学校」へ改称。1919年に交南高等小が廃校となり、高等科を交南尋常小学校(現・交野市立交野小学校)内に移管して北河内郡交南尋常高等小学校となった。これに伴い、女子手芸学校も交南尋常高等小に移転し、「北河内郡交南尋常高等小学校附設裁縫学校」へ改称した。

その後、「北河内郡交南尋常高等小学校附設交南裁縫学校」(1929年)、「公立交南裁縫女学校」(1933年)へ改称。1935年青年学校令により農業補習学校などと統合され、「公立交南青年学校交野裁縫女学校」へ改編。「交野町立交南青年学校交野裁縫学校」(1939年)、「交野町立交野高等実践女学校」(1945年)への改編(改称)を経て、1948年に「交野町立裁縫専修学校」となった。しかし1951年に廃校となり、校舎を定時制交野分校が引き継いだ。

年表[編集]

基礎データ[編集]

交通アクセス[編集]

鉄道
バス
  • 京阪バス近鉄バス 「四条畷駅」バス停を下車、北西へ約800m(徒歩で約10分)または京阪バス「国道中野」バス停を下車、南へ約700m(徒歩で約9分)

象徴[編集]

校風[編集]

校風は「自主・自律・自由」を基調。携帯電話の持ち込みも禁止されていない。

制服[編集]

制服1996年平成8年)に自由化。制服に代わる標準服があるものの、私服による登校が認められている[要出典]

諸活動[編集]

生徒会活動が盛んで、「畷高祭」(文化祭)や体育祭などの行事も主導する[要出典]

部活動[編集]

そのほかのクラブ活動も、陸上水泳バドミントンソフトテニス硬式野球サッカーの各部、囲碁同好会等が活発である[要出典]

授業[編集]

2009年平成21年)の進学指導特色校の指定に伴い、授業が1時限65分間に増えた。目標別クラス編成による少人数授業(2年生数学、3年生英語)や、土曜・夏季休業中の補習も実施している[要出典]

また、各界で活躍の卒業生による講演会「飯盛セミナー[12]」を年1、2回実施したり、大学のオープンキャンパスへの積極参加を生徒に促したりしている。

学校施設[編集]

敷地内のほとんどが雁屋遺跡に含まれているため、新校舎建設や改築に伴う発掘調査で、弥生時代遺構土器などが多数出土した。出土品の一部は100周年記念館「楠葉館」の中で展示されている。

校舎

創立時の木造校舎の改築が1930年代に議論され、1932年度と1933年度に予算が付き着工したが1934年9月21日室戸台風で講堂・雨天体操場が倒壊し、教室が半壊した。生徒や教職員は校内にいたが人的被害はなかった。復旧も兼ねて工事が急がれ、1936年12月に鉄筋コンクリート校舎が竣工した(現・本館校舎)。

老朽化に伴い、1993年平成5年)から体育館の改築、新理科棟の建設、校舎(本館・新館・新新館)の改修、グラウンド[13]改修が順次行われ、2007年に完了した。なお、本館校舎は2005年7月、国の登録有形文化財に登録された。

迷彩と転用

校舎は太平洋戦争中に戦時転用の対象となり、1944年10月に日本放送協会(NHK)大阪放送局が校舎内に疎開(大阪市馬場町の局舎が破壊された場合の代替)。12月に大阪陸軍造兵廠の機能も一部移転された。

また、空襲の目標となることを避けるため、1945年4月から5月にかけて生徒も動員し、大阪陸軍造兵廠により、本館校舎に黒タールで迷彩を施した[14]。迷彩は戦後1953年に消されたが、2005年平成17年)の校舎改修まで、雨の日に黒い迷彩模様が表面に滲み出していた。

学制改革の際、アメリカ軍などGHQの意を受けた大阪府は、旧制中等学校校舎の15%を新制の中学校の校舎として貸し出す方針を決定。これに伴い1947年4月28日、校舎の一部を町立四條畷中学校(現・四條畷市立四條畷中学校)に貸し出し、2校で同居した。新制の四條畷中学校は独立校舎の完成で翌1948年5月14日に退去したが、4日後の5月18日より北河内郡学校組合立讃良中学校(現在の大東市立四条中学校および大東市立住道中学校)へ貸し出し、再び2校で同居した(讃良中は1949年3月に退去)。

高校関係者と組織[編集]

関連団体[編集]

  • 大阪府立四條畷高等学校同窓会 楠葉会 - 同窓会。読み方は「なんようかい」。80周年記念事業で財団法人楠葉尚学会を設立し、奨学金制度も発足。同尚学会により四條畷市の複合レクリエーション施設・緑の文化園(大阪府立花の文化園)内に「青少年交流センター(楠葉ロッジ)」が建設された。

高校関係者一覧[編集]

政治・行政[編集]

経済[編集]

学芸[編集]

芸能[編集]

スポーツ[編集]

そのほか関係者[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 大阪府立四條畷高等学校(学校紹介のページ)” (日本語). 大阪府立四條畷高等学校. 2020年12月12日閲覧。
  2. ^ 堺中学校は、堺市境すぐの郡部のため、市部として扱われている。
  3. ^ 。のちに第十六中学校として設置された現大阪府立池田高等学校と連続性はない
  4. ^ 大阪府師範学校は当時大阪市北区常安町(現・北区中之島4丁目)にあり、校地狭隘化と設備拡充が課題になっていた。
  5. ^ a b c 明治34年7月6日付官報(第5402号) 文部省告示第百四十二号
  6. ^ a b 官報明治39年(1906年)3月9日第6805号
  7. ^ 官報明治41年(1908年)3月12日第7401号
  8. ^ 町立交野小学校(交野市立交野小学校)はその後、別の場所に移転した。
  9. ^ GLHS:グローバルリーダーズハイスクール
  10. ^ “【ダンス部選手権】同志社香里が4年ぶり奪還、登美丘は3連覇ならず vol.1” (日本語). 産経新聞. (2017年8月18日). https://www.sankei.com/photo/story/news/170818/sty1708180014-n1.html 2020年12月12日閲覧。 
  11. ^ “【スニーカーエイジ】大阪府勢が上位独占、清水谷高校はベストスマイル校賞” (日本語). 産経新聞. (2017年12月24日). https://www.sankei.com/west/news/171224/wst1712240057-n1.html 2020年12月12日閲覧。 
  12. ^ 飯盛セミナーの名称は、近隣の飯森山にちなむ
  13. ^ グラウンドは1958年7月に隣接池を埋め立て造成された。
  14. ^ 迷彩を施された校舎の写真は、外部サイト『私の履歴書 四条畷中学』で確認できる。

参考文献[編集]

  • 大阪府立四條畷高等学校 畷八十年史編集委員会『畷八十年史』、1986年。

関連項目[編集]