大阪府立大手前高等学校

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大阪府立大手前高等学校
OtemaeHighSchool.jpg
2010年平成22年〉7月撮影)
過去の名称 大阪師範学校附属裁縫場
附属女子師範科
附属女学科
大阪府女学校
大阪府高等女学校
市立大阪高等女学校
市立大阪第一高等女学校
大阪府中之島高等女学校
大阪府立中之島高等女学校
大阪府立堂島高等女学校
大阪府立梅田高等女学校
大阪府立大手前高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
設立年月日 1886年明治19年)
創立記念日 5月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程定時制課程
単位制・学年制 学年制(全日制)
単位制(定時制)
設置学科 全日制:文理学科
定時制:普通科
学科内専門コース 定時制:生涯学習コース(4年制)
定時制:定通併修コース(3年制)
学期 2学期制
高校コード 27126J
所在地 540-0008
大阪府大阪市中央区大手前二丁目1番11号

北緯34度41分14.0秒 東経135度31分8.4秒 / 北緯34.687222度 東経135.519000度 / 34.687222; 135.519000座標: 北緯34度41分14.0秒 東経135度31分8.4秒 / 北緯34.687222度 東経135.519000度 / 34.687222; 135.519000
外部リンク 公式サイト
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大阪府立大手前高等学校(おおさかふりつ おおてまえ こうとうがっこう、英語: Osaka Prefectural Otemae Senior High School)は、大阪府大阪市中央区大手前にある公立高等学校。源流は明治初期1882年大阪師範学校(現・大阪教育大学)に設置された附属裁縫場で、大阪で最初の公立女学校として創立した。

概要[編集]

1886年明治19年)北区常安町(現在の北区中之島4丁目)に創立された師範学校の附属裁縫場に起源を持つ。この期間を「揺籃時代」(学校沿革誌『五十年史』[1])として、師範附属から独立し大阪府女学校を称した1886年明治19年)を創立の年としている[2]

その後、幾度も移管や移転、改称を経て、大阪府庁舎の北側で、校名の由来「大手前」の地に校舎を構え大阪府立大手前高等女学校となり、太平洋戦争第二次世界大戦)後の1948年昭和23年)4月23日、新制の高校の大阪府立大手前高等学校に改編。大阪府立北野高等学校旧制府立北野中学校)と生徒・教職員を交流(男女を交換)し男女共学となった。

このため、2016年平成28年)度の入学生まで、出席番号は女子から始まり、校歌キーも女子に合わせており、やや高めだった。

課程は全日制定時制を併置。全日制は長らく普通科のみだったが、1993年に「理数科」を併置(2クラス。大手前と天王寺高校のみ開設[3])。2011年度から大阪府教育委員会のグローバルリーダーズハイスクール(GLHS)の指定校となり、理数科を廃止し「文理学科」を併置(4クラス)。2018年度より、普通科を廃止し、文理学科のみとなっている(9クラス)[2]

同年度の入学生(73期生)の場合、「SSコース」(3クラス)と「一般コース」(6クラス)に分かれ、SSコースの生徒は自らの考案したテーマに沿って課題研究に取り組んでいる(2019年令和元年〉現在)。

また、2008年文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定。以後も続けて再指定されている。

定時制は、生徒の「就職アドバイザー」として産業カウンセラーを配置。生徒の就職を支援している[4]

沿革[編集]

学校創立[編集]

1882年明治15年)北区常安町(現在の大阪市北区中之島4丁目、大阪大学中之島センター付近)にある大阪師範学校(現・大阪教育大学)に、附属裁縫場が設置された。小学校の裁縫担当の教員を養成する課程で、師範学校女学校の役割が未分化の時代、女子教育小学校教員養成を中心に行われていた。

裁縫場は女子師範科、のちに女学科に改編され、1886年9月に大阪府女学校として独立した。校地は大阪府立模範幼稚園跡。翌1887年1月、「東京高等女学校お茶の水女子大学附属高等学校の前身)に見倣い[5]」大阪府高等女学校と称するようになった。

市へ移管・清水谷と姉妹関係[編集]

1889年4月1日市制の施行により、大阪市が発足。大阪府高等女学校は10月1日付で市に移管され、市立大阪高等女学校へと改称された。市への移管について『大阪府立大手前高等学校 七十年史』(1958年)は「此の間の資料は皆無で、事情は一切不明[5]」と説明。『大手前百年史』(1987年)は内務省からの指示があったと推定している。

1890年から1891年にかけ、不況を背景に大阪市は財政難となり、「数年来、全廃論のやかましかつた高等女学校[5]」という状況に陥った。しかし廃校に反対する運動を在校生や関係者がおこし、存続が決定した。

その後、1899年勅令高等女学校令施行を受け、翌1900年2月に大阪府知事菊池侃二が『大阪府教育十カ年計画』を策定。都心部の中等教育について、府が旧制中学校・高等女学校の普通教育学校を、大阪市は商業学校など実業学校を設置することに決まった[6]

このため、大阪府が府立第一と府立第二の高等女学校2校を新設し、高女を一元的に運営することとなったが、市立大阪高女が「法令規定の人員(生徒数)を超過」したため、1900年4月に市立大阪第二高等女学校が開校[7]。市立大阪高女も、市立大阪第一高等女学校へ改称した[8]

ただ、この二重行政が「経済上不得策」で「府立及ひ市立を合併」すべきと指摘され、同年11月17日の大阪府会の市部会で建議となった。検討の結果、9月5日付の文部省告示第194号で設置認可[9]された「大阪府第一高等女学校」の校長として、市立第二高女の校長大村忠二郎へ兼務を発令(翌1901年2月21日)。3月5日、市立第一と市立第二の高女2校を府へ引き継ぐ案を大阪市会で可決[7]、3月30日付の文部省告示(第78号)で市立の高女2校は廃校となった[10]

廃校2週間後の大阪府告示(4月15日付の第105号)で府第一高女の「大阪府清水谷高等女学校」(現・大阪府立清水谷高等学校)と、府立第二高女に当たる「大阪府中之島高等女学校」の開校が告げられ、清水谷は4月17日に、中之島は2日遅れて19日に入学式を挙行した[7]

堂島・梅田時代、同窓会「金蘭会」[編集]

創立以来の中之島校舎は狭い校地で長らく問題となっていたため、北野村に移転した堂島中学校(旧制中学校。現・大阪府立北野高等学校)の跡地を転用。1902年、北区堂島浜通3丁目2番地([5]現在の福島区福島1丁目、朝日放送敷地・ほたるまち)へ移転し、大阪府立堂島高等女学校へ改称した。

ただ、堂島校舎は老朽化していたため大阪駅北側の梅田の地に再移転が決定。移転予定地で1909年度より校舎を新築し始めた矢先の7月29日、市街地を襲った大火災(北の大火)で堂島校舎を一部焼失。焼け残った校舎と江戸堀小学校(1946年廃校。現・大阪市立花乃井中学校敷地)の2ヶ所に分かれ授業を行った。

梅田校舎の工事は急ピッチで行われ、翌1910年4月に北区北梅田町(現在の北区大深町)に移転。大阪府立梅田高等女学校へと改称した。移転先の隣には、同窓会「金蘭会」の運営する金蘭会高等女学校(現・金蘭会高等学校)があり、合同で遠足や運動会などを実施する協力関係にあった。

その後、梅田校舎は大阪駅(梅田貨物駅)拡張予定地となり立ち退きを迫られたため、学校側は1920年大正9年)以降、移転候補地として北野の地などを検討。結果、十三への移転を希望した。

しかし、大阪府は東区大手前之町(現在の中央区大手前)の輜重兵第4大隊兵舎跡地を買収し、一画を梅田高女の移転用地に充てることを決定。1922年に大阪府会で建築案が可決され、校舎建設工事が行われた。なお、このとき見送られた十三の地へ1922年、北野中学校(かつての堂島中学校)が移転している。

大手前に移転、学制改革[編集]

郵便局で使用された創立50周年記念印に描かれた当時の校舎(1936年)

1923年4月に大手前に校舎が完成し移転、大阪府立大手前高等女学校へ改称した[11]

昭和時代に入り太平洋戦争の戦局悪化により、1944年以降勤労動員が実施。3年生以上の生徒は大阪造兵廠(現在の大阪城公園など)および陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所(北河内郡枚方町大字中宮)へと動員された。

また校舎の戦時転用により、大戦末期1945年4月に豊中市の大阪府立豊中高等女学校(現在の大阪府立桜塚高等学校)内に一時移転。終戦後12月に大手前の地に復帰した。

戦後の学制改革に伴い、1947年に新制の中学校を一時的に併設し、2年生と3年生を移行させた。翌1948年に新制の高校へ改編され、大阪府立大手前高等学校となり、大阪府立北野高等学校(府立北野中学校)と生徒・教職員を交流して男女共学となった。

また、この年に通信教育部(のち通信制課程と改称)が、1950年に定時制課程も併置した。その後、通信制課程は大阪府立桃谷高等学校として独立した。

年表[編集]

  • 1882年明治15年) - 9月、大阪府北区常安町府立大阪師範学校(現・大阪教育大学)に附属裁縫設立[5]
  • 1885年 - 7月、附属裁縫場を廃止。仮の附属女子師範科設置[5]
  • 1886年 - 6月、女子師範科を廃止。女学科設置。9月21日、女学科より独立し、「大阪府女学校」と称する[5]
  • 1887年 - 1月、「大阪府高等女学校」と改称[5]
  • 1889年 - 高等女学校令に基づく高等女学校として、大阪市に移管され、「市立大阪高等女学校」と改称
  • 1900年 - 4月、「市立大阪第一高等女学校」と改称(4月24日付の文部省告示第132号で改称を認可[8]
  • 1901年 - 3月31日、市立第一高等女学校を廃校[10]。4月1日、「大阪府中之島高等女学校」開校(3月29日付の文部省告示第67号で設置開校を認可[12][5])。6月3日、「大阪府立中之島高等女学校」に改称。
  • 1902年 - 4月1日、「大阪府立堂島高等女学校」と改称(3月29日付の文部省告示第65号で改称を認可[13]。生徒数は本科500人、技芸専修科100人)。6月9日、大阪市北区堂島浜通3丁目2番地に移転[5]大阪府立堂島中学校跡)
  • 1904年 - 4月、補習科を設置(卒業生を1年間教育)
  • 1910年 - 大阪市北区北梅田町に新築移転し、「大阪府立梅田高等女学校」と改称(3月29日付の文部省告示第104号で改称を認可[14]
  • 1911年 - 技芸専修科を廃止し、実科を設置
  • 1920年大正9年) - 2月、実科および補習科を廃止(本科生徒定員760人)。4月、家事裁縫専攻科を設置
  • 1921年 - 3月22日、本科の修業年限(4年)を5年に(1年間延長)
  • 1922年 - 4月1日、家事裁縫専攻科を廃止し、高等科を設置(高等科生徒定員120人)
  • 1923年 - 大阪市東区大手前之町に新築移転し、「大阪府立大手前高等女学校」と改称(現在地)
  • 1934年昭和9年) - 1月24日、高等科の修業年限(3年)を2年に(1年間短縮。高等科生徒定員80人)
  • 1941年 - 2月18日、本科生徒定員1250人に増加
  • 1945年 - 3月、戦時中の特例として本科修業年限を4年に(1年間短縮)。4月、豊中市の大阪府立豊中高等女学校内に疎開移転。10月、終戦に伴い上級生より大手前校舎に復帰(12月に復帰完了)
  • 1948年 - 4月23日、「大阪府立大手前高等学校」設置(大阪府条例第98号[5])。同日、大阪府立北野高等学校と教職員、生徒を半分ずつ交換(男女共学)。9月、通信教育部を設置
  • 1949年 - 3月31日、高等女学校高等科および、付設新制中学校を廃止
  • 1950年 - 4月1日、定時制課程を設置(定時制定員600人)
  • 1962年 - 通信教育部を通信制課程に改称
  • 1966年 - 通信制課程が大阪府立桃谷高等学校として分離独立
  • 1993年平成5年) - 全日制に理数科を併置
  • 2002年 - 全日制が、大阪府教育委員会よりエル・ハイスクール事業に指定(2003年-2007年
  • 2008年 - 全日制が、文部科学省スーパーサイエンスハイスクール校に指定
  • 2009年 - スーパーサイエンスハイスクール重点枠校に指定[2]
  • 2010年 - コア・スーパーサイエンスハイスクールに指定[2]
  • 2011年 - 全日制が、府教委のグローバルリーダーズハイスクールに指定(理数科を募集停止し、文理学科を設置)
  • 2011年 - コア・スーパーサイエンスハイスクールに再指定[2]
  • 2013年 - スーパーサイエンスハイスクール校に再指定、重点枠校に再指定[2]
  • 2014年 - 府教委の「骨太の英語力養成事業」対象校に指定
  • 2015年 - スーパーサイエンスハイスクール重点枠(中核拠点)校に再々指定[2]

基礎データ[編集]

交通アクセス[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

象徴[編集]

制服[編集]

制服がある(着用も義務)。校外教授(遠足)および修学旅行には私服で参加。

授業[編集]

前・後期制(2学期制)のため、秋期休業日(秋休み)が数日間ある。

授業は65分×5コマ。時間割は2週間サイクルで組み(コマ数の都合)、授業数の合計を2で割り「ユニット」単位を算出し、留年等を決定している(前期は年度中に追認試験があるが、後期の追試は次年度となり、3年生は後期の追試はない。また、年度末に、6教科12ユニットを超えて単位保留になった場合、留年となる)。

なお、文系理系分けが2年生の前期終了の時点となるため、クラス替えは「1年生」「2年生前期」「2年生後期・3年生」という変則的な期間で行われる(つまり2年生後期からは1年半の間、同じクラスとなる)。

学校行事がある日や終業式など式典の日も可能な限り授業を行っている。2007年から年間15回、土曜日の午前中のクラブ活動を禁止にして、大学別進学講習や希望者補習などの学習活動日にあてている。

学校施設[編集]

校舎は、本館・理科棟・別館・新館・金蘭会館(同窓会館)などに分かれている。本館は7階建てでエレベーター2機、生徒が自由に使用できる。施設上の理由(駐輪場を確保できない)のため、全日制生徒の自転車乗入れを禁止(定時制生徒は除く)。不定期で自転車指導があり、本校教員が学校周辺を巡回し、違法駐輪した生徒に厳重注意を促している。また、原動機付自転車(ミニバイク)の運転免許取得も禁じられている。

1955年の映画『ゴジラの逆襲』に登場し、ゴジラアンギラスの戦いで校舎の一部が破損された(設定)エピソードがある。ちなみに、隣接の大阪府庁舎1989年公開のアメリカ映画『ブラック・レイン』で大阪府警本部庁舎という設定となり、ロケ地として使用された。

学校行事[編集]

5月に体育祭・コーラス大会、6月に青桐祭(文化祭)、12月に球技大会(1・2年生)等があり、自治会(生徒自治会)本部が主として行う。4月中旬と10月下旬に自治会選挙も行われ、会長、副会長、書記、会計、議長各1名、会計監査2名、学年代表各学年1名が選出。また、庶務、運動、文化、厚生、集会の各委員会から部長も選出される。また、本部役員のサポートを行う補佐を募っている。

1年生を対象の百人一首大会では、英語タイ語など外国語で読まれることもあり、盛り上がりをみせる。

また、海外(外国)研修が盛んであり、過去にアメリカ(2・3年生)、オーストラリア(サイエンス研修、2年生)、オーストラリア(語学研修、1・2年生)、シンガポール(語学研修、1・2年生)等が行われた。

諸活動[編集]

部活動[編集]

定時制の始業に合わせて、全日制の生徒は17時50分に完全下校。クラブ活動を行う時間も限られている。

不祥事[編集]

入試で採点ミス、2人を不合格に[編集]

2013年平成25年)に行われた2014年度の入学者選抜(入学試験)で、正誤の間違いや配点などで採点を間違い、合格圏の受験生2人を不合格にしていた。この影響で、別の生徒が私立高に通うこととなり、大阪府教育委員会は慰謝料の支払いや損害賠償のほか、大手前高への転学措置を検討する事態となった[15][16]

高校関係者と組織[編集]

高校関係者組織[編集]

  • 金蘭会 - 同窓会。読み方は「きんらんかい」。本部は高校内にあり、卒業生の寄附金で、高校のLAN教室(パソコンルーム)及び生徒の利用できるトレーニングルームが創設された。

また、1986年昭和61年)に開校100周年を記念して大阪府立国際児童文学館と共同で、児童文学に関する優れた研究を表彰する国際グリム賞を創設した[17]学校法人金蘭会学園(金蘭会中学校・高等学校千里金蘭大学)の母体となった。

高校関係者一覧[編集]

政治[編集]

行政[編集]

法曹[編集]

経済[編集]

学者[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

スポーツ[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 『五十年史』(大阪府立大手前高等女学校編、1934年昭和9年〉
  2. ^ a b c d e f g 学校概要 大阪府立大手前高等学校” (日本語). 大阪府立大手前高等学校. 2020年10月19日閲覧。
  3. ^ 「学問への扉」開設記念シンポジウム・座談会報告書” (日本語). 大阪大学 (2019年3月31日). 2020年10月19日閲覧。
  4. ^ “高校に就職支援のプロ 人事経験者やカウンセラー”. 朝日新聞. (2010年7月9日). http://www.asahi.com/edu/university/shushoku/TKY201007090368.html 2020年10月19日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『大阪府立大手前高等学校 七十年史』(1958年
  6. ^ 『新修大阪市史 第七巻』(1994年平成6年〉)
  7. ^ a b c 『清水谷八十年史』1981年(昭和56年)
  8. ^ a b 官報 明治33年(1900年)4月24日 第5040号)
  9. ^ 官報 明治33年9月5日 第5154号
  10. ^ a b 官報 明治34年(1901年)3月30日 第5319号
  11. ^ 校名について幾つか候補があったものの、大阪府の学校では地名を校名につけることが慣例となっていたこともあり、所在地の地名からとった「大手前」が学校名として選定されることになった。
  12. ^ 官報 明治34年3月29日 第5318号
  13. ^ 官報 明治35年(1902年)4月5日 第5622号
  14. ^ 官報 明治44年(1910年)3月29日 第8026号
  15. ^ “採点ミスで1人不合格に 大阪府立大手前高校の入試 賠償も検討 府教委”. 産経新聞. (2013年6月7日). https://www.sankei.com/west/news/130607/wst1306070004-n1.html 2020年10月19日閲覧。 
  16. ^ “大阪府立高入試、54校採点ミス 4人の不合格取り消し”. 朝日新聞. (2013年6月14日). http://www.asahi.com/edu/articles/OSK201306140163.html 2020年10月19日閲覧。 
  17. ^ 国際グリム賞大阪府立国際児童文学館

参考文献[編集]

  • 大阪府立大手前高等学校百年史編集委員会『大手前百年史』大阪府立大手前高等学校同窓会・金蘭会、1987年。
  • 大阪府立大手前高校 全日制課程 生徒手帳

関連項目[編集]