天保山町 (鹿児島市)

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天保山町
—  町丁  —
天保山公園内にある共月亭
天保山町の位置(鹿児島市内)
天保山町
天保山町
天保山町の位置(鹿児島県内)
天保山町
天保山町
座標: 北緯31度34分22秒 東経130度33分40.4秒 / 北緯31.57278度 東経130.561222度 / 31.57278; 130.561222
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 中央地域
地区 鴨池地区
人口 (2010年(平成22年)2月末現在)
 - 計 1,990人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 890-0061

天保山町(てんぽざんちょう Tenpozan-Chō)は、鹿児島県鹿児島市町名。旧鹿児島郡西武田村大字武の一部(飛地)。郵便番号は890-0061。人口は1,990人、世帯数は980世帯(2009年9月末現在)[1]。天保山町の全域で住居表示を実施している。

「天保山」という地名は天保年間に甲突川をさらい、その砂を揚げた地であることに由来している[2]

地理[編集]

鹿児島市中部、甲突川河口部に位置し、東側は鹿児島湾(錦江湾)に面している。町域の北方は甲突川を境として錦江町、南方は与次郎、西方は国道225号を境として下荒田に接している。

1935年から2006年までは町域内にはNHK鹿児島放送局の局舎があったが、2006年に本港新町に移転した。

歴史[編集]

天保山には島津斉興によって砲台が備えつけられ、後に島津斉彬によって改修された。1863年天保山に備えられた11門の砲台からイギリス艦隊に対して砲撃を行ったのが薩英戦争の始まりになった[3][4]

1911年(明治44年)に西武田村の大字武(現在の)の一部(飛地)より分割、それと同時に天保山の区域が鹿児島市に編入され鹿児島市の町名「天保山町」となった。1973年(昭和48年)には町域の一部を下荒田一丁目から四丁目に分割した。

町域の変遷[編集]

実施後 実施年 実施前
鹿児島市天保山町 1911年明治44年) 西武田村大字武(飛地)
下荒田一丁目から下荒田四丁目 1973年昭和48年) 天保山町の一部

施設[編集]

公共
医療
  • JA鹿児島厚生連病院
寺社
  • 西大宣寺

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[5]

町・町 番地 小学校 中学校
天保山町 全域 鹿児島市立八幡小学校 鹿児島市立天保山中学校

脚注[編集]

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  1. ^ 統計情報 Archived 2010年6月9日, at the Wayback Machine. - 鹿児島市ホームページ。
  2. ^ 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.689
  3. ^ 薩英戦争で先陣を切って砲撃した天保山砲台, 鹿児島県観光サイト かごしまの旅, http://www.kagoshima-kankou.com/industrial-heritage/52629/ 
  4. ^ 『天保山砲台跡』 鹿児島市明治維新 150 年カウントダウン事業http://www.meijiishin150countdown.com/cust-map/244/ 
  5. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年9月14日閲覧。

関連項目[編集]

  • 鹿児島市
  • 天保山町 (今治市) - 愛媛県今治市の町名。同じく「天保期に山のようにみえる構造物が建築されたこと」を由来とする。
  • 天保山 - 大阪市の山。同じく「天保期に成立した築山」を由来とする。

座標: 北緯31度34分22秒 東経130度33分40.4秒