天塚古墳

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天塚古墳
Amatsuka Kofun, funkyu.jpg
墳丘(右に後円部、左奥に前方部)
所在地 京都府京都市右京区太秦松本町
位置 北緯35度0分25.57秒
東経135度42分43.45秒
座標: 北緯35度0分25.57秒 東経135度42分43.45秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長73m
埋葬施設 横穴式石室2基
出土品 副葬品多数・円筒埴輪
築造時期 6世紀前半
史跡 国の史跡「天塚古墳」
地図
天塚古墳の位置(京都市内)
天塚古墳
天塚古墳
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天塚古墳(あまづかこふん[1][2]/あまつかこふん[3])は、京都府京都市右京区太秦松本町にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

概要[編集]

京都盆地(山城盆地)西部、嵯峨野台地の南縁に築造された古墳である[1]。これまでに発掘調査は行われていないが[4]1887年明治20年)に多数の副葬品が出土している[1]

墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける[1][4]。墳丘は2段築成[1][5][4]。墳丘表面では円筒埴輪が検出されているほか[5]、墳丘周囲には周堀が巡らされる[1][5]。主体部の埋葬施設は2基の横穴式石室からなり、いずれも後円部に構築される[4]。古墳周囲では、北西に陪塚と推定される円墳1基がある[5]

この天塚古墳は、古墳時代後期の6世紀前半頃の築造と推定される[1][5][4]。嵯峨野地域では、本古墳のほかにも蛇塚古墳(墳丘長約75メートル、国の史跡)・垂箕山古墳(墳丘長約63メートル、仲野親王墓)・清水山古墳(墳丘長約60メートル、非現存)などの後期古墳の分布が知られ、これらは嵯峨野一帯を開発した渡来系氏族の秦氏一族の墓と推測されている[6]

古墳域は1978年昭和53年)に国の史跡に指定されている[2]

来歴[編集]

規模[編集]

古墳の規模は次の通り。

『日本古墳大辞典』[5]
『国指定史跡ガイド』[3]
国指定文化財等データベース[2]
『京都市の地名』[1]
『京都府埋蔵文化財情報』[4]
墳丘長 73m 71m
後円部 直径 40m 45.5m
高さ 8m[5] / 9m[3][2] 8m
前方部 50m 58m
高さ 8.5m[5] / 9m[3][2] 8.4m

墳形は前方部が発達した後期古墳の様相を示す[1]。墳丘長は嵯峨野の古墳のうちで蛇塚古墳(墳丘長75メートル)に次ぐ規模になる[4][2]

埋葬施設[編集]

主体部の埋葬施設には横穴式石室2基が使用されている。2基はいずれも後円部に構築され、一方は後円部西側に、もう一方はくびれ部に開口する(両者は直交)。

後円部西側開口石室
無袖式石室で、後円部中央から北西方向に開口する。石室の規模は次の通り[5]
  • 全長:約10メートル
  • 幅:2メートル(中央)、1.1メートル(入り口)
  • 高さ:約2メートル(中央)
側壁は壊石の乱石積みによる。現在は奥壁寄りで稲荷の祠を祀る[5]
くびれ部開口石室
右片袖式石室で、後円部中央から南西方向に開口する。推定規模は次の通り[5]
  • 全長:7.7メートル
  • 玄室
    • 長さ:4.7メートル
    • 幅:1.7メートル(中央)
    • 高さ:約2メートル
  • 羨道
    • 長さ:約3メートル
    • 幅:1.2メートル
    • 高さ:1.5メートル
側壁は壊石の乱石積みによる。こちらも現在は奥壁寄りで稲荷の祠を祀る[5]

出土品[編集]

1887年(明治20年)出土の副葬品は次の通り[5]。『日本古墳大辞典』ではいずれの石室からの出土か不明とするが[5]、『京都市の地名』ではくびれ部開口石室からの出土とする[1]

  • 玉類
  • 金銅製中空丸玉 7
  • 仿製鏡
  • 鉄刀 3
  • 鉄鏃
  • 馬具類 - 鉄地金銅製杏葉・鏡板など。
  • 須恵器 - 器台・広口壺。

現在、これらの出土品は京都大学総合博物館に所蔵されている[4]

清水山古墳[編集]

清水山古墳跡碑

天塚古墳の北東には、かつて清水山古墳(しみずやまこふん)が存在した[1]。形状は前方後円墳。1973年(昭和48年)に破壊されて消滅している[1]

墳丘長は約60メートルを測った[1][4]。主体部の埋葬施設は横穴式石室[1][4]。築造年代は5世紀末-6世紀初頭頃と推定され、天塚古墳に先行する首長墓とされる[1][4]

文化財[編集]

国の史跡[編集]

  • 天塚古墳 - 1978年(昭和53年)3月3日指定[2]

現地情報[編集]

所在地

交通アクセス

周辺

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 天塚古墳(平凡社) & 1981年.
  2. ^ a b c d e f g h 天塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ a b c d 天塚古墳(国指定史跡).
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 京都府埋蔵文化財情報 第65号 & 1997年, pp. 41-42.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 天塚古墳(古墳) & 1989年.
  6. ^ 「太秦の古墳を歩く」 (PDF) (京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館、2004年)。

参考文献[編集]

(記事執筆に使用した文献)

関連文献[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 太秦村天塚及び清水山古墳」『京都府史蹟勝地調査會報告 第三冊』 京都府、1922年 - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。

関連項目[編集]