天満橋 (広島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天満橋
天満橋・広島02.JPG
橋全体
Tenma Bridge Hiroshima 1988.jpg
1988年[1]。上が天満橋、下が広電天満橋。
基本情報
所在地 広島県広島市
左岸:中区小網町 - 右岸:西区天満町
交差物件 太田川水系天満川
座標 北緯34度23分43.6秒 東経132度26分36.9秒 / 北緯34.395444度 東経132.443583度 / 34.395444; 132.443583
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示
Japanese Route Sign Number 2.svgJapanese Route Sign Number 6.svgJapanese Route Sign Number 5.svg
広島県道265号標識

天満橋(てんまばし)は、広島県広島市天満川にかかる道路橋。下流側に人道橋(歩道橋)を併設している。

概要[編集]

橋名の由来は西詰たもとにある天満宮から(下記歴史参照)。ここから東へ道沿いに進み本川橋を渡ると広島平和記念公園に入る。西へ進むと己斐橋がある。上流側に相生通り広瀬橋、下流側に広島電鉄本線の鉄道橋・広電天満橋があり、最寄の駅は東詰下流側にある広電小網町停留場となる。

西詰上流側に広島市立天満小学校がある。

広島城開城当時からある橋で、天満川に唯一架けられた西国街道筋の橋であった。その後、現在の鋼橋に架け替えられた。

諸元[編集]

歴史[編集]

最初の架橋年度は不明。安土桃山時代毛利輝元広島城および城下を整備する時に、この地に普請小屋を置いた。そこからこの地は「小屋新開」[3]「小屋新町」と呼ばれ、河川は「小屋川」、そこに架かる木橋を「小屋橋」と呼ぶようになった[4]。なお毛利氏時代に架橋されたかどうかは不明であり、江戸時代に書かれた毛利氏時代の町割絵図の『芸州広島御分国八州之時御城下屋敷割并神社仏閣割共図』にも描かれていない[5]

江戸時代になると、毛利氏の次に入城した福島正則によって城下町は拡大整備され、それまで山沿いを通っていた山陽道(西国街道)を城下に引き込み、この橋は西国街道筋の橋となった[6]広島藩政時代において、防犯上の理由により橋の架橋制限が行われており[4]、この橋は小屋川に唯一架けられた西国街道筋の橋であった。初期広島城下町の西端に位置した橋で、このあたりは職人町として発達した[3]。寛政8年(1796年)城下で発生した大洪水で落橋している[7]

天明7年(1787年)、小屋新町に火事や水害が多発したため、天神菅原道真)にあやかり災害を抑えようと「天満町」に改名した[4]。これを機に、河川を「天満川」、橋を「天満橋」に改名されている。現在もある天満宮は、文政5年(1822年)に尾長天満宮を分霊しこの地に勧請した[4]ものであり、改名後のことである。

明治以降昭和初期まで国道2号筋の橋として機能した。大正時代になると、市内に広電が整備され、この橋の下流側に広電天満橋が架橋された。1919年(大正8年)には大洪水により一部破損している[7]

画像外部リンク
被爆後の天満橋
Hiroshima aerial A3470 アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。左から天満橋、仮橋、広電天満橋。

1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆(爆心地より約1.05km)。当時天満橋自体は架橋中で隣に仮橋があった状況で、その架橋中の橋の一部が火災により焼失、爆風により桁が緩んだが落橋は免れた[8][9][10]。避難者は、燃え上がるこの橋を渡り西へと逃げて行った[8][11]

しかし同年9月に上陸した枕崎台風に続いて上陸した、10月の阿久根台風による洪水により流失した[12]。同時期に原爆および風水害により天満川に架かる橋が横川橋以外ほぼ落橋してしまい[12]、歩いて市内に向かうには北に回って横川橋まで行かなければならなくなったため、復旧するまでこの橋北側にロープ伝いの渡し舟が仮設された[8][12]

現在の鋼橋は1950年(昭和25年)に再架橋された[8]

地図/上空写真[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
  2. ^ a b ひろしま地図ナビ
  3. ^ a b 原爆戦災誌, p. 514.
  4. ^ a b c d しろうや!広島城 第20号 (PDF)”. 広島城公式. 2014年3月1日閲覧。
  5. ^ しろうや!広島城 第24号 (PDF)”. 広島城博物館. 2014年3月1日閲覧。
  6. ^ 商店街PR”. 広島商工会議所. 2014年3月1日閲覧。
  7. ^ a b 太田川水系の流域および河川の概要 (PDF)”. 国土交通省河川局. 2014年3月1日閲覧。
  8. ^ a b c d 被爆60年 ヒロシマの記憶”. 中国放送. 2014年3月1日閲覧。
  9. ^ 原爆戦災誌, p. 252.
  10. ^ 原爆戦災誌, p. 458.
  11. ^ 原爆戦災誌, p. 262.
  12. ^ a b c 原爆戦災誌, p. 298.

参考資料[編集]

  • 四国五郎『広島百橋』春陽社出版、1975年。
  • 被爆建造物調査研究会『被爆50周年 ヒロシマの被爆建造物は語る-未来への記録』広島平和記念資料館、1996年。
  • 広島市『広島原爆戦災誌』(PDF)、2005年(原著1971年)、改良版。2014年3月1日閲覧。
  • 松尾雅嗣、谷整二「広島原爆投下時の一時避難場所としての川と橋 (PDF) 」 『広島平和科学』第29巻、広島大学、2007年、 1頁-25頁、2014年3月1日閲覧。

関連項目[編集]