太平洋奇跡の作戦 キスカ

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太平洋奇跡の作戦 キスカ
監督 丸山誠治
脚本 須崎勝彌
製作
出演者
音楽 團伊玖磨
撮影
編集 藤井良平
配給 東宝
公開
  • 日本の旗 1965年6月19日
  • アメリカ合衆国の旗 1973年8月24日
上映時間 104分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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太平洋奇跡の作戦 キスカ』(たいへいようきせきのさくせん キスカ)は、1965年昭和40年)6月19日に公開された日本戦争映画。モノクロ、東宝スコープ[1]。同時上映は『喜劇 駅前金融』。

日本海軍によって行われたキスカ島撤退作戦を題材にしている。出演俳優は東宝男優総出演の趣であり豪華な顔ぶれとなっている。史実を下地にしたストーリーであるため、他の作品に見られるヒロイン役の女優は一切登場しない。合成技術の都合から、モノクロで制作された[1]

あらすじ[編集]

昭和18年(1943年)、アリューシャン列島アッツ島守備隊が玉砕した。同列島のキスカ島守備隊も、連日に渡って米海軍の砲爆撃による猛攻を受け、間近と予想される敵軍上陸により玉砕する日を待つという悲壮な状況となった。海軍軍令部は、北方担当の第五艦隊司令長官川島中将の説得により、キスカ島守備隊5千名の救出を決意する。川島は、作戦実行部隊である第一水雷戦隊司令官に海兵同期の大村少将を指名した。キスカ島守備隊の運命は、海軍兵学校を「ドンケツ」で出たという[注釈 1]出世コースを外れた現場叩き上げの司令官、大村少将の手腕に託されることになる。

出演者[編集]

スタッフ[編集]

エピソード[編集]

史実の『キスカ島撤退作戦』を映画化した作品であるが、史実の木村昌福少将を大村少将に、第五艦隊司令長官・河瀬四郎中将を川島中将に名前を変更したり、作戦に参加した艦艇が異なるなど、史実と大きく異なる表現や描写が見られるため、「事実を元にしたフィクション映画」の色彩が強い映画である。

劇中で阿武隈に大村が赴任して髭の水兵が迎える場面では、その水兵が木村昌福に酷似しており、大村に「仇名は?」と聞かれて「司令官であります」と答えるシーンが存在する。キスカ島生存者を招いた試写会では、この場面で喝采が起きた。

実際にキスカ島に勤務して撤退作戦に関わった近藤敏直が、全面的にアドバイスしている。劇中では寺井参謀の役職であった。近藤敏直の証言は、DVDに収録されたインタビューで聞くことができる。

天野少佐の潜水艦が空襲されるカットは、1959年(昭和34年)制作の『潜水艦イ-57降伏せず』の流用である。このため、敵機の機体には英軍の国籍表示がマーキングされている(史実ではこの作戦に英軍は参加していない)。

キスカ島のシーンは富士山山麓で撮影され、富士山新二合目付近に監視所や司令部等のセットが作られた。キスカ湾海岸のシーンは本栖湖で撮影されている。艦上および艦内のシーンは海上自衛隊護衛艦あきづき型(初代)くす型(PF)潜水艦くろしお(SS-501)で行われている(艦内のシーンに関してはセットも併用)。

濃霧の中をキスカ島を周回して艦隊が進むシーンについては、円谷英二率いる特撮班が、オープン撮影では風で霧がコントロールできないため、屋内ステージセットで約2か月に渡って撮影した[3]。艦隊が岩の間をすり抜けるカットは、特撮プールの底にレールを敷き、艦艇のミニチュアにその上を走らせることで実現させた。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 劇中の大村の弁による。モデルの木村昌福は、海軍兵学校を118人中107位という下位成績で卒業している。

出典[編集]

  1. ^ a b ゴジラ大全集 1994, pp. 64-65, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 怪獣新シリーズの展開」
  2. ^ 文藝春秋」1957年11月号(文藝春秋新社)掲載、のち『呪われた阿波丸 海戦秘話』(千早正隆、文藝春秋新社、1961年)に収録。
  3. ^ 『日本特撮・幻想映画全集』 勁文社、1997年、163頁。ISBN 4766927060。 

参考文献[編集]

  • テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日。ISBN 4-06-178417-X。

関連項目[編集]