太秦供康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太秦供康

太秦 供康(うずまさ ともやす、 1866年5月16日(慶応2年10月29日[1])- 1925年大正14年)1月30日[1][2])は、日本の陸軍軍人政治家奈良華族。最終階級は陸軍歩兵少佐貴族院男爵議員。旧姓・堀河[1]

経歴[編集]

山城国京都右近衛権佐・堀河親賀の三男として生まれ、元興福寺慈尊院住職・太秦供親の養子となり、養父の隠居に伴い明治5年5月4日1872年6月9日)に家督を相続[1][3]1875年3月、華族に列せられ、1884年7月8日、男爵を叙爵した[1][3][4]

陸軍士官学校(旧10期)に入り[5]1888年7月28日、歩兵少尉に任官[6]。以後、歩兵第37連隊中隊長、歩兵第49連隊大隊長、皇族附武官(彰仁親王[7])、元帥副官、第1師管軍法会議判士長、天長節観兵式諸兵指揮官副官、被服装具陣具及び携帯食糧改良審査委員などを歴任[2][8]。歩兵少佐に昇進し、1908年予備役に編入された[2]

1911年3月、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[9]研究会に所属して活動し、死去するまで在任した[2]

親族[編集]

  • 養母:太秦周子(ちかこ、高野保美二女)[1]
  • 妻:太秦信子(山井氏胤三女)[1]
  • 長男:太秦康光(男爵・北海道大学名誉教授)[1]
  • 長女:登美子(平山洋三郎夫人)[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』上巻、244頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』65頁。
  3. ^ a b 『人事興信録』第6版 、う21頁。
  4. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  5. ^ 『陸軍士官学校』230頁。
  6. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治36年7月1日調』128頁。
  7. ^ 『官報』第4767号、明治32年5月25日。
  8. ^ 『日本人名大辞典』第276頁。
  9. ^ 『官報』第8316号、明治44年3月15日。

参考文献[編集]

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。
  • 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治36年7月1日調』陸軍省、1903年。


日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
太秦家初代
1884年 - 1925年
次代:
太秦康光