奈良文化財研究所

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奈良文化財研究所(2009年3月5日)

座標: 北緯34度41分30.1秒 東経135度47分17.9秒 / 北緯34.691694度 東経135.788306度 / 34.691694; 135.788306

奈良文化財 研究所の位置(奈良県内)
奈良文化財 研究所
奈良文化財
研究所

奈良文化財研究所(ならぶんかざいけんきゅうじょ)は、奈良県奈良市二条町2丁目9-1に所在する独立行政法人国立文化財機構の一部門。古都奈良文化財埋蔵文化財の研究や平城宮跡、藤原宮跡の発掘調査も手がける。また奈良市明日香村に資料館などを公開している。略称、奈文研(なぶんけん)。現所長は松村恵司(元文化庁文化財鑑査官)。所のシンボルマークは平城宮跡から出土した「隼人の楯」である[1]

沿革[編集]

  • 1952年(昭和27年)に平城宮跡が特別史跡に指定されたことにともない、同年4月奈良市春日野町で奈良文化財研究所として発足した。
  • 1954年(昭和29年)7月、奈良国立文化財研究所と改称、1960年(昭和35年)、所内に平城宮跡発掘調査事務所(後、調査部)を設置し、1968年(昭和43年)、文化庁発足により文化庁付属機関となった。
  • 1973年(昭和48年)4月、飛鳥藤原宮跡発掘調査部を設置し、翌年4月には埋蔵文化財センターを開設した。
  • 1975年(昭和50年)3月、明日香村奥山に飛鳥資料館をオープン。
  • 1980年(昭和55年)4月、本庁舎を奈良市二条町2丁目9-1に移転。
  • 1986年(昭和61年)から1989年(平成元年)にかけて長屋王邸宅の発掘を行った。
  • 1998年(平成10年)には平城宮跡を含む古都奈良の文化財ユネスコ世界遺産に登録されている。
  • 2001年(平成13年)4月、東京文化財研究所と統合され、独立行政法人文化財研究所の奈良文化財研究所となった。
  • 2007年(平成19年)4月、独立行政法人文化財研究所は独立行政法人国立博物館と統合し、独立行政法人国立文化財機構が発足した。
  • 2013年(平成25年)8月、本庁舎の老朽化に伴う建替事業を開始[2]。11月、奈良市佐紀町247番1に仮設庁舎を設置。旧本庁舎は解体。
  • 2014年(平成26年)4月、本庁舎建替事業に伴う発掘調査(平城第530次)開始[3]
  • 2015年(平成27年)6月、機関リポジトリシステム「全国遺跡報告総覧」運用開始[4]
  • 2018年(平成30年)3月、新本庁舎完成。9月25日より新本庁舎での業務開始[5]

組織[編集]

研究部門としての企画調整部(5室)、文化遺産部(4室)、都城発掘調査部(5室)、埋蔵文化財センター(4室)、事務局としての研究支援推進部(3課)、展示施設としての飛鳥資料館を設置している。

公開施設[編集]

  • 平城宮跡資料館(奈良市) - 8世紀の日本の都城平城京の出土遺物や建物模型などを展示する。
  • 都城発掘調査部 藤原宮跡資料室(橿原市) - 飛鳥・藤原地域の古代遺跡の発掘調査や藤原京跡出土遺物の展示を行う。
  • 飛鳥資料館(明日香村) - 6世紀から7世紀にかけての飛鳥時代の古代遺跡の出土品や模型を展示する。
  • 平城宮跡に復元された朱雀門や遺構展示館、第一次大極殿は文化庁所有だが、管理・研究に協力する。

国際協力[編集]

大韓民国の国立文化財研究所や中華人民共和国中国社会科学院考古研究所とも共同研究を行い、発展途上国の文化財担当者の研修を行う。今後は東アジア規模での研究テーマを設定する予定である。

その他[編集]

遺跡誤認問題[編集]

2010年(平成22年)7月に、同研究所は、藤原宮跡で天皇の即位儀礼が行われる「大嘗宮」の可能性がある建物跡などが発見されたと発表した。根拠としては、柱穴跡が42本見つかり、これらが建物跡や塀跡、門跡であると確認され、これが「平城宮の大嘗宮跡と類似した構造」であるとされた。ところが、その中で藤原宮があった時代の柱穴は1基しかなかったなど、矛盾点が多数見つかり、同研究所は11月18日に、調査結果を撤回する事態になった[6]

被災史料の修復[編集]

2011年(平成23年)3月の、東日本大震災津波によって海水や泥で被害を受けた岩手県宮城県古文書史料を真空凍結乾燥機(フリーズドライ)を用いて乾燥させた後、泥や異物を除去する作業をしている[7][8]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 奈良文化財研究所編 2014年(平成26年)9月10日『独立行政法人国立文化財機構・奈良文化財研究所概要2014』