奥村則英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥村 則英(おくむら のりひで、1865年3月12日(慶応元年2月15日[1]) - 1930年昭和5年)7月15日[1]) は、元加賀八家奥村分家第16代当主。男爵

父は加賀藩士奥村英章。養父は奥村則友。先妻は奥村則友の娘峯。後妻は不破為則の娘鈴。子は奥村内膳。初名乙菊。家紋は「丸ノ内九枚笹」。

生涯[編集]

慶応元年(1865年)、加賀藩士奥村英章の四男として生まれる。明治23年(1890年)、先代奥村則友の娘峯の婿となって家督を相続する。養家は加賀藩家老奥村易英に始まり、代々知行1万2000石を領し、加賀藩人持組頭、年寄を務める家であった。明治33年(1900年)、則友の明治維新への功績により、男爵に叙され華族となる。石川県学術講習評議委員、大澤野開墾配水会社取締役を務めた。

昭和5年(1930年)死去。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻、374-375頁。
  2. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。

参考文献[編集]


日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
奥村家(内膳家)初代
1900年 - 1930年
次代:
奥村内膳