奥村嘉蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
11代 奥村嘉蔵

11代[1] 奥村 嘉蔵(おくむら かぞう、1885年明治18年)12月26日[2][3]- 1967年昭和42年)1月20日[1][2][注 1])は、日本の実業家政治家商・奥村嘉蔵家11代当主[1][注 2]貴族院多額納税者議員。旧名・馨[4]

経歴[編集]

徳島県板野郡奥野村(現藍住町奥野)で、10代奥村嘉蔵の長男として生まれる[2][3][4]。1895年に父が、1896年11月に祖父・9代[注 3]嘉三が死去したため、同年12月に家督を相続し11代嘉三を襲名し、家業については叔父・国太郎が後見人となった[1][4]。1902年、徳島県立徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)を卒業した[2][3][5]一年志願兵として入隊し、1905年、見習士官として日露戦争旅順に出征[2]歩兵少尉に任じられ小隊長として戦傷を受け、善通寺に帰還し回復後に除隊した[1][2][3]

家業の藍商、肥料商を営み、東京支店で事業を行った[2][3]。その後、政界に目を向け、藍園村会議員を経て、徳島県会議員を3期務め、1941年、貴族院多額納税者議員補欠選挙で当選し、同年2月17日に就任し[6]研究会に所属して1947年5月2日の貴族院廃止まで1期在任した[2][3][5]

その他、阿波国共同汽船取締役社長、阿波製紙取締役、日本赤十字社徳島県支部長などを務めた[1][2][3][5][7]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『徳島県百科事典』221頁では「1月2日」、『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』193頁では「1月6日」。
  2. ^ 『徳島県人名事典 別冊』87頁では8代としている。
  3. ^ 『徳島県人名事典 別冊』87頁では10代としている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 『阿州藍屋奥村家文書 第1巻』11-12頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『徳島県人名事典 別冊』87頁。
  3. ^ a b c d e f g 『徳島県百科事典』221頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録』第3版、を240頁。
  5. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』193頁。
  6. ^ 『官報』第4233号、昭和16年2月18日。
  7. ^ 『人事興信録』第14版 上、オ250頁。

参考文献[編集]

  • 『徳島県人名事典 別冊』徳島新聞社、1994年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 藍住町教育委員会編『阿州藍屋奥村家文書 第1巻』藍住町教育委員会、1986年。
  • 『徳島県百科事典』徳島新聞社、1981年。
  • 徳島名鑑編纂会編『徳島名鑑』徳島日日新聞社、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、人事興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第3版、人事興信所、1911年。