奥村栄清

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奥村 栄清(おくむら はるきよ、慶長19年(1614年) - 寛文11年10月18日1671年11月19日))は、加賀藩年寄。加賀八家奥村宗家第4代当主。父は前田家家老奥村栄政。母は富田重政の娘。正室は前田知好の娘。子は奥村時成通称玄蕃、河内、伊予。

来歴[編集]

慶長19年(1614年)、加賀藩年寄奥村栄政の嫡男として金沢に生まれる。慶安5年(1652年)、父栄政の死去により家督相続する。年寄として藩主前田綱紀に仕えた。万治元年(1658年)、江戸城修復普請の課役で御普請惣奉行を務める。万治3年(1660年)10月、前田利常三回忌の御法事惣奉行を務める。寛文元年(1662年)7月、藩主綱紀が初めて金沢に入部する。9月に老臣の屋敷を順次訪問、11日に栄清の屋敷に御成を受ける(1日本多政長邸、4日横山忠次邸、9日前田孝貞邸、15日奥村庸礼(和豊)邸、25日今枝近義邸)。寛文11年(1671年)10月18日没。享年58。家督は嫡男時成が相続した。

参考文献[編集]

  • 近藤磐雄 編『加賀松雲公』