この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)

女流棋士 (将棋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

女流棋士(じょりゅうきし)は、将棋を職業とし、女流棋戦に参加する女性のことを指す(引退者も含む。退会者は含まない)。女流棋士には、日本将棋連盟所属の者、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の者、無所属の者がいる。

概説

棋士と女流棋士

元来、将棋の棋士の制度は男女の区別がなく、新進棋士奨励会(通称「奨励会」)に入会して所定の成績を修めて四段になれば、棋士となる。奨励会に入会した女性は多数存在するが、2018年現在、奨励会三段まで昇段した例が2例ある段階に留まっており、棋士となった女性はいない。

一方、女流棋士の制度は女性だけに適用されるもので、上述の棋士の制度から分離されたものであり、女性への将棋の普及を目的とする側面を持っている。

なお、囲碁界(日本棋院関西棋院)においては、男女混合で運営される棋士の制度のみが存在し、囲碁界の「女流棋士」は「女性である棋士」を指すに過ぎない。ただし、囲碁界でのプロ入りとなる初段入段についてのみは、男性棋士とは別に女性棋士採用枠が設けられているが、女性が正規の採用枠で初段に入段することも可能で、その実例も複数ある。

蛸島彰子が1961年に高校1年で女性として初の奨励会員になった際は[1]日本将棋連盟の副会長であった丸田祐三の裁量により[2]、正規の昇級規定「6連勝・9勝3敗・11勝4敗・13勝5敗・15勝6敗」が緩和され[3]、蛸島のみの昇級規定「4勝4敗(指し分け)」が適用された[3]。この緩和された昇級規定により、蛸島は高校3年で1級に昇級し、20歳になった1966年の4月、結婚を機に奨励会を退会する際に初段の免状が授与された[3][注釈 1]

以後、のちに女流棋士となる者(例:林葉直子岩根忍伊藤沙恵)、既に女流棋士である者(例:中井広恵矢内理絵子碓井涼子甲斐智美、ほか多数)など、多くの女性が奨励会に入会したが、正規の昇級昇段規定が適用されるため、2011年までに、岩根忍・甲斐智美・伊藤沙恵・加藤桃子の4名が1級に昇級したのが最高であった。

2011年5月に里見香奈が1級で奨励会に入会すると、8か月後の2012年1月に、女性としては初めて正規の昇級昇段規定によって初段に昇段した。その後2013年7月に二段に昇段し、同年12月に三段に昇段した。いずれも女性としては史上初となる。奨励会三段リーグでは3期の休場を挟んで計5期出場したが、2017年度後期の第62回三段リーグを最後に年齢制限により退会となった。

西山朋佳は2014年1月に18歳6ヶ月で初段昇段した。西山は2010年3月に研修会A2クラスから14歳・6級で関西奨励会に編入入会(2014年3月より関東に移籍)しており、6級で奨励会入会した女性としては初めて正規の基準で初段に昇段した。同年9月に19歳2ヶ月で二段、2015年12月には20歳5ヶ月で三段に昇段した。いずれも女性としては最年少の昇段記録となる。奨励会三段リーグ在籍中の2018年にマイナビ女子オープンで初の女流タイトルを獲得した。

加藤桃子は2006年9月に関東奨励会に入会し、2014年5月に19歳で初段に昇段した。これに先立ち、2011年には第1期女流王座戦に奨励会員として参加し、初の非女流棋士としての女流タイトルホルダーとなって防衛1回、初段昇段の直前にはマイナビ女子オープンで里見から女王位を奪取しており、初段昇段前に女流棋士ではない身分で女流タイトルを3期獲得していた。

2018年6月現在、初段以上の女性奨励会員は、西山朋佳(三段)・加藤桃子(初段)・中七海(初段)の3名である[4]

2018年現在、女流棋士と奨励会の掛け持ちが認められている。しかし、1998年途中から2011年途中までの間は認められておらず、奨励会に籍を置く際には女流棋士を休会しなければならなかった(1998年の甲斐智美の休会が初のケース)。それ以前は、中井広恵碓井涼子矢内理絵子らが、奨励会と掛け持ちをしていた。その後、2011年5月に、当時19歳で既に女流タイトルを6期獲得し、女流棋士として顕著な実績を上げていた里見香奈が、奨励会の1級編入試験を受験し合格した[5]のを機に、掛け持ちが再び解禁された[6]

女流棋士が棋士となるためのもう一つの方法としては、2006年に制度化されたフリークラス編入試験がある[注釈 2]。これに合格すれば、奨励会を経由せずに、即、四段の棋士となることができる。ただし、受験資格を得るだけでも、女流棋戦でトップクラスの活躍をして男性棋戦に女流棋士枠で出場する権利を得た上、さらに男性棋士や男性トップアマを相手に規定の成績を挙げねばならない。

活動

女流棋戦

女流棋士は、棋士の棋戦とは区別された女流棋戦に参加して対局を行うことが、原則として義務である。

女流棋戦の一覧は、棋戦 (将棋)#女流棋戦 を参照。

現状、「棋士」は男性しかいないため、便宜的に、棋士は「男性棋士」、棋士の棋戦は「男性棋戦」などと呼ばれる場合もある。

棋士の棋戦のうち女流枠のある棋戦

女流タイトル保持者など、成績優秀な女流棋士は、女流棋士枠を設けている男性棋士の棋戦に参加し、棋士と公式戦を対局することができる。

棋士の棋戦の一覧と各々の女流枠については、棋戦 (将棋)#棋士の棋戦 を参照。

女流棋士の棋士との対局で、特筆すべきものを示す。

しかし、女流棋士の棋士に対する通算勝率は1割台に留まるのが現状である(2018年7月現在)[10]

エピソード

斎田晴子は第8期銀河戦(1999年)で2連勝し、師匠の佐伯昌優と対局した。女流棋士が一般公式戦でプロ棋士の師匠と対局した最初の例で、かつ、2012年現在で唯一の例。 石橋幸緒は、女流棋士の清水市代が師匠であったため、タイトル戦を含め、多数の師弟対局を行った。

待遇

2007年の時点で、棋士とは異なり、女流棋士には「給料」がなかった[11]。 タイトル保持者など一部の女流棋士を除いては、対局料・賞金収入で生活することは難しく、イベント出演などの副収入が頼みであった[12]。こうした状況などから、後述する日本将棋連盟からの独立への動きが発生した。

連盟の運営への女流棋士の関与

1974年に女流棋士制度が発足してからも、長きにわたり、日本将棋連盟の正会員として、棋士総会に出席して議決権を行使できるのは棋士のみであった。女流棋士が日本将棋連盟の運営に関与できない状況が続いていた。

しかし、2010年11月12日に行われた日本将棋連盟臨時総会で、「女流四段以上またはタイトル経験者」である女流棋士を正会員とすることが決議された[13]。同日時点での該当者は、甲斐智美女王・女流王位、里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花、清水市代女流六段、関根紀代子女流五段、長沢千和子女流四段、斎田晴子女流四段、矢内理絵子女流四段、千葉涼子女流三段(タイトル経験者)、および、引退女流棋士の谷川治恵女流四段であり(肩書・段位は2010年11月12日現在)、日本将棋連盟所属の存命女流棋士42名のうち9名が正会員となることが決まった。

2011年4月1日付で、社団法人日本将棋連盟が公益社団法人となると同時に施行された定款では、下記のように規定されている[14]
※『第1項』『第2項』は理解の便のため引用者が挿入。
「第3章 会員
(会員の構成)
第5条
第1項 本連盟に次の会員を置く。
(1) 正会員 本連盟の目的に賛同し入会した者で日本将棋の伝統を存続し、 普及発展を図るため棋力が一定の水準に達したことを理事会で確認した棋士(四段)、女流棋士(日本将棋連盟所属、タイトル獲得者又は女流四段以上)とする。
(2) 準会員 本連盟の目的に賛同し入会した者で日本将棋連盟の伝統を存続し、普及発展を図るため棋力が一定の水準にある女流棋士(女流2級から女流三段)、指導棋士とする。
(3)略
(4)略
第2項 前項の正会員をもって一般社団法人及び一般財団法人に関する法律上の社員とする。」

2017年(平成29年)3月31日現在の日本将棋連盟正会員たる女流棋士は12名である[15]。なお、高群佐知子が2018年1月21日の対局に勝ったことで同日付で女流四段に昇段し[16]、連盟正会員となっている。

さらに、清水市代が2017年5月に日本将棋連盟常務理事に就任し[17]、女流棋士として初めて、連盟の業務執行に携わることとなった。

女流棋士になる条件

日本将棋連盟の規定

女流棋士になるには、以下のルートがある。

女流2級昇級規定(2018年度から)

満27歳未満の女性で以下のいずれかの条件を満たした者は、女流2級の資格を得る[18]。資格獲得後所定の期間内に、プロ棋士または女流棋士(引退者も可)を師匠として日本将棋連盟へ申請を行い、常務会の承認を受けた日の翌月1日時点で女流2級となる。女流2級昇級後半年間は研修期間として、公式戦の棋譜採譜などの義務が課される。また、研修会・アマチュア時代に女流棋士昇級昇段規定で女流1級以上に昇級昇段できる成績を修めていてもこの時点では適用されず女流2級からのスタートとなる。

研修会から女流棋士へ
研修会でB2クラスへ昇級するか、あるいは最初からB2以上へ入会し、入会後48局以上の対局数を満たす女流棋士志望の研修生は、女流2級の資格を得る。B2在籍開始時点で48局の対局数に満たない場合は対局数を満たした時点で女流2級の資格を得、この間にC1以下に降級したときは資格を取り消される。女流2級申請資格の有効期間は1年間であるが、資格獲得日から2週間以内に申請を行わない場合、半年間は新たな申請ができない。申請を行わなかったときは半年後と1年後にそれぞれ2週間の申請期間が設けられ、1年後に申請を行わなかった場合資格は消滅する。また、この期間中に研修会から退会、または長期休会した場合も資格は消滅する。
アマチュアから直接女流棋士へ
アマチュア出場枠のある下記の公式棋戦で所定の成績をおさめた場合に、研修会・奨励会を経ずに女流2級になる資格(権利)を得られる(研修会員もアマチュア枠での出場は可能)。ただし、権利を得た日から2週間以内に日本将棋連盟へ申請を行わない場合、権利は消滅する。

新進棋士奨励会員(2級以上)から女流棋士へ(2003年度から)

奨励会を2級以上で退会した女性には、即、女流棋士になる権利が発生する。この権利を行使すると、奨励会退会時の奨励会員としての段級位が、そのまま女流棋士としての段級位になるが、奨励会員時に女流棋戦に参加して女流棋士の昇段級規定をクリアしていれば、即日該当する段級位が適用される。この制度を利用して女流棋士になったのは岩根忍(奨励会1級→女流1級、2004年4月1日)と伊藤沙恵(奨励会1級→女流初段[注釈 3]、2014年10月1日)の2名。

かつての制度

女流育成会時代
  • 女流育成会で所定の成績を収めること。
    • 2003年後期 - 2008年度後期の条件: 女流育成会で昇級点(=1位)を累積2回
    • 2003年前期までの条件: 女流育成会Aクラスで1位を1回
女流育成会終了後2017年度まで
研修会から女流3級を経て女流棋士へ(2009年度~2017年度)
研修会でC1クラスへ昇級し研修会入会後48局以上の対局数を満たしていると女流3級[注釈 4]になる資格(権利)を得られた。C1クラスに昇級しても、対局数を満たさないと資格を得ることはできない[19]。この制度で女流3級の資格を得た初のケースは、室谷由紀である(2009年6月28日に関西研修会でC1に昇級)[20]。なお、女流3級となる以前にアマチュア扱いで参加した女流棋戦において、「女流棋士の昇段級規定の『女流1級』に該当する」成績を上げた場合、女流3級を経験せずに直接女流2級となる[21]
申請をすると、ひとまず女流3級になり、女流の公式戦に参加となった。女流3級から正規の女流棋士(女流2級)になるためには、下記のいずれかの条件を満たすことが必要であった。
  1. 1年間で参加公式棋戦数と同数の勝星を得る(2017年度では年度7勝以上)。
  2. 2年間で参加公式棋戦数の4分の3以上の勝星を得る(2017年度では2016年度からの2年間で11勝以上)。
  3. 女流棋士の昇段級規定の「女流1級」に該当した場合。
  4. 女子将棋YAMADAチャレンジ杯でベスト4に進出した場合(2016年より)。
2年間で上記のいずれも満たせなかった場合は、女流3級の資格を取り消される。その場合でも年齢制限に達していなければ、再度研修会から女流棋士資格をめざすことが可能であった。
2018年度の女流2級昇級規定の設置により、2017年度末において女流3級である女流棋士と、2017年度末に研修会に所属する女流棋士志望の研修会員で旧規定を選択する者を除いて、女流3級制度は消滅した。後者の研修会員については、2018年5月末日までに、新規定と旧規定のいずれかを選択し、旧規定を選択した者のみ2019年3月31日までの間女流3級の申請が可能となる。ただし、資格を得てから2週間以内に申請せねばならず、また申請は1度に限られる。
アマチュアから女流3級を経て女流棋士へ(2013年度~2017年度)
アマチュア出場枠のある公式棋戦で本戦ベスト8に進出した場合に、研修会・奨励会を経ずに女流3級になる資格(権利)を得られた[22]。ただし申請時点で27歳未満であること、連盟所属の場合は師匠がいること(不在の場合は半年以内に師匠を決めること)、未成年者の場合は親権者または保護者の同意があることが必要[22]。また申請は資格取得から2週間以内に行う必要がある[22]
女流3級になってからの処遇は基本的に研修会経由の場合と同じだが、例外規定として、アマチュア出場可能棋戦でそのまま本戦ベスト4に進出した場合は即時女流2級に昇級する。また資格を失った時に研修会に入会できる規定はない。
なお資格を失った場合、再度公式棋戦で前述の条件を満たせば、最大3回まで資格(権利)を再取得することが可能であった。

日本女子プロ将棋協会の規定

日本女子プロ将棋協会(LPSA)においては、発足当初は独自の棋士規程を定めていたが、2014年5月[23]と2018年4月[24]の二度の改定により、女流棋士になるための条件は連盟のものとほぼ同一となった。ただし、LPSAの規程では以下の点が異なる。

  • 師匠の有無を不問とする
  • アマチュアから女流2級でプロ入りする際の年齢制限が「満40歳未満」である

2012年7月1日から上記改定までは[25]、以下のLPSA主催棋戦の戦績をもって2級ないし3級になるものとしていた[26]

  • 日レス杯または天河戦:優勝1回ないし準優勝2回
  • 1dayトーナメント:個人戦で優勝3回
  • 女子アマ王位戦・小学生中学生女子将棋名人戦:優勝3回ないし準優勝4回以上

この規定により、LPSAが2012年7月に渡部愛を女流3級としたことに端を発し、日本将棋連盟、棋戦主催社、LPSAの間で深刻な問題が発生した。

引退

「自らの意志による引退」と、『女流棋士総則』の『降級点規定』による引退(後述)[27]が存在する。引退すると公式戦に出場することはできなくなるが、引退しても日本将棋連盟から退会しなければ、女流棋士を名乗ることができる。日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の女流棋士も同様である。なお現役のまま故人となったケースは2018年現在無い。

LPSA所属の山下カズ子は規定により2012年3月31日付で(女流棋士としての)公式戦出場資格が無くなったが、LPSA公認プロ資格である「ツアー女子プロ」に転向した(2015年からはツアー女子プロを廃止しLPSAプロ)。LPSA公認棋戦には引き続き出場することが可能である[28]

ただ引退後も、公式戦にアマチュアとして出場することは可能である。過去に女流王座戦アマチュア予選では、藤田麻衣子・山下カズ子(本名の「中川カズ子」名義)がアマチュアとして出場したことがある[29]

降級点規定

女流棋士は、年度成績の順位下位者に該当すると降級点がつく。ただし出産・病気による休場の場合は、降級点の対象外となる。

  • 女流棋士は、3つ目の降級点がつくと引退となる。
  • 女流棋士は65歳の誕生日を迎えた年度まで現役を続けることができる。
  • ただし、65歳になった年度終了時に降級点を1つも持っていない場合、翌年度も現役を続けることができる。
  • 女流棋士は65歳を過ぎると、降級点が1つでもつくと、その年度をもって引退となる。

降級点の人数は、当該年度の起点となる4月1日現在の女流2級以上の女流棋士数を基準とする。ただし、4月1日現在の休場者数は基準人数に含まない。

  • 降級点の人数は、基準人数36名のときに降級点の人数を1名とし、その後は、基準人数が5名増えるごとに、降級点の人数が1名ずつ増える。
  • 年度途中に自主引退者が出た場合は、降級点の人数から自主引退者の人数を引き算した数が、その年度の降級点の人数となります。
  • 年度途中に休場者が出た場合も、原則として、降級点の人数は変動しない。
降級点の決め方
  1. 降級点は、女子将棋YAMADAチャレンジ杯を除く女流6棋戦における活躍度によって年度成績の順位を決定し、その順位下位者から順につく。
  2. 年度成績の順位を決める棋戦サイクルは、便宜上、大山名人杯倉敷藤花戦、リコー杯女流王座戦、マイナビ女子オープン、女流王位戦(予選)、岡田美術館杯女流名人戦(予選)、霧島酒造杯女流王将戦(予選)までとする。
  3. 女流王位戦の予選免除者(前期挑戦者決定リーグ残留者)、岡田美術館杯女流名人戦の予選免除者(女流名人リーグ残留者)、霧島酒造杯女流王将戦の予選免除者(本戦シード者)は、前期の実績を活躍度とする。
  4. 出産・病気による休場者は、休場の時期に関わらず、休場期間を含む当該年度において降級点の対象外となる。
  5. 出産・病気以外の理由による年度単位の休場者には、年度終了時に降級点0.5がつき、0.5の降級点は2回で降級点1となる。
  6. 出産・病気以外の理由による年度途中の休場者は、年度成績の順位下位者に該当した場合、降級点の対象となる。
  7. 当該年度における年度成績の順位に差がない場合は、前年度の年度成績に遡って順位を決定します。前年度の年度成績でも差がない場合は、そのさらに前年度と1年ずつ遡って順位を確定する。
降級点の消し方
  1. 女流1級の昇級規定に該当した場合、降級点を取り消すことができます。ただし、女子将棋YAMADAチャレンジ杯による昇級規定は対象とならない。
  2. 年度内指し分け以上には、女子将棋YAMADAチャレンジ杯の成績を含まない女流6棋戦の良い所取りで6勝指し分け以上も対象となる。
  3. 降級点の消し方について、複数の規定に該当した場合も、年度内に消せる降級点は1つとなる。

歴史

レッスンプロ時代

1966年に奨励会を退会すると同時に初段になった蛸島彰子について[3]スポーツ報知は「(19)67年に初の女流棋士になった」としており[30]日本将棋連盟の機関誌『将棋世界』2018年9月号に掲載された蛸島のインタビュー記事の蛸島の経歴には「(19)67年、女流二段」とある[2]。未だ女流棋戦が存在しないため、蛸島はレッスンプロとして、将棋連盟の女性教室[31]の講師などの普及活動で生計を立てていた[3]。なお、将棋連盟の女性教室は、蛸島が奨励会員であった時期に、日本将棋連盟会長であった原田泰夫(1961年5月 ー 1967年5月 日本将棋連盟会長)の肝煎りで創設された[2]。蛸島はNHK杯の棋譜読み上げを務めるようになり[3]、20年以上にわたった[2]

1968年の第1回女流アマ名人戦で優勝した吉田紀代子は[32]、アマチュアの女性強豪として著名であった[31]。吉田はアマチュアであったが、多くの棋士に声をかけられて各地での普及活動に携わっており、実質的なレッスンプロの立場にあった[33]。吉田は棋士の関根茂と結婚して関根紀代子となり、出産と育児のために5年ほど将棋から離れ、1974年の女流棋士制度の発足を迎えた[33]

将棋連盟の女性教室の参加者が増え、女流アマ名人戦が回数を重ねるなど、将棋を指す女性が次第に増加し、現在の女流棋士の制度に相当する「女流プロ制度」を創設する機運が高まってきた[31]。そうした中で、奨励会出身の蛸島と、純粋なアマである関根を対戦させてみたい、と将棋界が盛り上がったことが、女流棋戦の創設・女流棋士制度の決め手となった[31]

報知新聞の編集局長と関根紀代子は旧知の間柄であり[33]、報知新聞社がプロ野球のオフシーズンに紙面で取り上げる題材を探していた経緯もあり[31]、報知新聞社の全面協力によって最初の女流棋戦が開始される運びとなった[33]。関根紀代子、夫の関根茂、連盟理事を務めていた米長邦雄の3名の尽力があった[33]

女流棋士の誕生

1974年、最初の女流棋戦として、報知新聞が主催する、女流名人位戦(現・女流名人戦)が創設された[31]。なお、創設当初の棋戦名称は「女流プロ名人位戦」と「プロ」が入っていた[34]

この時点で、連盟に所属する女性プロ(広義の女流棋士)は蛸島のみであったが、新たに5人が加えられ、6人が制度上の女流棋士となった[31]。唯一の女性プロであり、奨励会員を経験した唯一の女性であった蛸島が女流三段[31]。蛸島に匹敵する棋力の最強女性アマとされていた関根が1974年10月31日付で女流二段[35][31]、女流アマ名人戦で何度も優勝していた多田佳子も女流二段[31]寺下紀子村山幸子山下カズ子の3名が女流初段[31]。この6名が女流棋士1期生である[34]

日本将棋連盟は、女流名人位戦が開始された1974年に女流棋士が誕生したとしており、2014年6月28日に女流棋士会の主催で「女流棋士発足40周年記念パーティー」が開かれた[34]

蛸島は、1974年に女流棋士の制度ができた時に感じたことを、次のように回想している[2]

それはもう青天の霹靂でした。私には女流棋士制度という発想がありませんでしたから。棋士は奨励会を卒業してなるものだと思っていました。 — 蛸島彰子[2]

第1期女流名人位戦では、蛸島は別格とされ、他の5人によるトーナメントの優勝者と蛸島が三番勝負を行い、勝者が初代女流名人となるシステムであった[31]。蛸島は、関根と三番勝負を戦うことになると予想していた[31]。挑戦者決定戦は関根と寺島の対局になったが、風邪を引いていた関根はゆったりしたセーターを着ており、対局中にセーターの袖に引っ掛けて落した香車を持ち駒として使ってしまい、関根の反則負けとなった[33]

蛸島と寺下による第1期女流名人位戦三番勝負は1974年11月に行われた[31]。持ち時間は各3時間であった[31]。第1局の振り駒で先手番となった蛸島が第1局・第2局を連勝して三番勝負を制し、第1期女流名人となった[31]。蛸島は女流名人位戦で3連覇を果たしたが、第4期で山下に奪取された[31]。蛸島は対局以外の棋界の仕事や育児の負担があり、将棋に専念している山下より、将棋の勉強をする時間が少なかったという[31]

女流タイトル戦は女流名人位戦1つしかない状態が続いていたが、関根が懇意な愛棋家から「自分がスポンサーになるので、新しい女流タイトル戦を始めたらどうか」という申し出を受けたのがきっかけで、第2の女流タイトル戦、女流王将戦が創設された(1978年度[36][33]。蛸島が女流名人を失冠したのと同じ年のことであった[31]。蛸島は第1期女流王将となり、第3期(1980年度[36])まで3連覇を果たした[31]

女流名人位戦では第8期(1981年度[37])まで蛸島・山下がそれぞれタイトルを4期づつ獲得しており、蛸島・山下の二強時代が続いていた。しかし、1980年、当時まだ中学生だった林葉直子が女流2級としてプロ入りし、1981年度に女流王将を奪取する(第4期女流王将戦)と、中学生タイトルホルダーとして話題を呼び、女流棋士の認知度を大いに高めた。その後、林葉は女流王将を10連覇、これは、現在、未だに破られていない同一女流タイトル連覇記録である。他にも女流名人位4期、初代倉敷藤花を獲得。80年代 - 90年代前半を代表する女流棋士となった。

初期は、女流棋士になるには、ある程度の実力を持ち、棋士の推薦があればよかったが、1983年、育成組織として女流育成会が発足し、そこで所定の成績を収めなければならなくなった。その卒業生第1号が清水市代である。

1989年には、女流棋士発足15周年パーティが開催されたのを契機に、女流棋士会が発足した。

棋士との対局開始

1981年からは棋士(いわゆる「男性棋士」)の公式戦に参加が認められ、第12期新人王戦で蛸島彰子が飯野健二四段(当時)、山下カズ子が高橋道雄四段(当時)と戦ったが、2人とも敗れた。女流棋士が公式戦で初勝利を挙げたのは、1993年12月9日に行われた中井広恵池田修一戦(竜王戦6組)である。実に35戦目にしての対男性棋士初勝利であった。

なお、非公式戦では林葉直子が1991年6月3日に白星を挙げている(銀河戦、当時は非公式戦)。

女流棋士の公式戦参加は平成に入ると急増する。1990年に王座戦に女流棋士の出場枠が設けられると、1993年NHK杯、竜王戦にも設けられた。そして、女流棋士に門戸が開かれた直後、前述の中井の公式戦初白星が竜王戦で挙げられた。

現在は出場権は基本的にはタイトルホルダーや挑戦者になった女流棋士に与えられる場合がほとんどだが、新人王戦については、26歳以下・年間成績によって選抜される。これにより、2005年の同棋戦では中村真梨花が史上最年少の18歳(当時)で公式戦に出場した(2007年10月現在、最年少出場記録は第37期同棋戦の里見香奈の15歳)。王座戦の一次予選では2006年から出場する女流棋士4名の初戦の対局が同日一斉に行われるようになり、大盤解説会やネット中継なども行われる。

女流棋戦の拡大および清水・中井の二強時代

一方、女流棋士による棋戦も拡大を見せ、女流名人位戦女流王将戦の2つのタイトル戦に続き、1987年に公式棋戦レディースオープントーナメント(2007年に、タイトル戦「マイナビ女子オープン」へ発展移行)、1990年にタイトル戦女流王位戦、1993年にタイトル戦大山名人杯倉敷藤花戦、1996年に公式棋戦鹿島杯女流将棋トーナメント(2006年で終了)、2007年に公式棋戦大和証券杯ネット将棋・女流最強戦(2013年で終了)、2011年にタイトル戦女流王座戦、2015年からは女子将棋YAMADAチャレンジ杯(現:YAMADA女流チャレンジ杯)が創設され、現在は棋戦数がタイトル戦6、公式棋戦1の合計7棋戦となっている。他方ではLPSAが独自で1dayトーナメントを公認棋戦として継続している。

2008年10月に、同年度(30期)限りでの女流王将戦の休止が決まったが、2009年7月に再開が決定し、2009年度女流王将戦(31期)が実施され、女流タイトル戦の減少が回避された。女流王将戦#休止と再開参照。

1995年にそれまで多くの女流タイトルを獲得し女流棋士の第一人者だった林葉直子が失踪騒動、および将棋連盟を退会し将棋界から去った後は1980年代後半から活躍している清水市代・中井広恵の二強時代が長く続き、2人とも前例のない女流六段まで上り詰めた。

一方、1997年に女流王位を獲得し、2006年からは女流名人や女王の座についた矢内理絵子、1999年に女流王将を獲得し、2008年に女流王位を連覇した石橋幸緒、2006年に女流王将を連覇した千葉涼子の「花の55年組」「若手三羽ガラス」が、二強の牙城に割って入るようになったが、結果的に凌駕するまでには至らなかった。

なお、2006年には、千葉及び清水・中井より少し年上の斎田晴子が清水市代から倉敷藤花を奪取することにより一時4タイトルを4人が分け合う形になった。

しかしながら1992年3月に女流王将を獲得して以来、1つ以上のタイトルを維持してきた清水は、2010年10月の女流王将戦三番勝負で防衛失敗して、18年7か月ぶりに無冠となり、それ以降はタイトルを獲得できていない。中井は、2006年度の女流名人位戦を最後にタイトル戦に登場できていない。

LPSAの設立

2006年11月、女流棋士会日本将棋連盟から独立する動きが報じられた。女流棋士は対局料などの面で棋士と格差があること、棋戦を自ら運営できないこと、連盟の意思決定に参画できないこと、などの点で待遇改善を求める声があった。また、将棋連盟としては引き止めるどころかむしろ、独立を促すような言動があったとされている[38]。女流棋士会側ではこれ以前から制度委員会を発足させており、独立も視野に入れて体制改革への意見集約が進められていた。

同年12月1日、女流棋士会は臨時総会を開き、独立に向けた新法人設立のための設立準備委員会の設置を賛成多数で可決した。しかし、「これで独立が決まった」と解釈する者と「単に設立準備委員会の設置のみが決まった」と解釈する者とがいた[39]。独立に至る過程で、準備委員会と連盟理事会との間の交渉が難航し、また、女流棋士の中の意見も一つにまとまらなかったため、結果的に56名(引退女流棋士を含む)中39名の女流棋士が残留を表明し、女流棋士会は分裂することとなった。2007年4月24日に、連盟の米長邦雄会長、西村一義専務理事、田中寅彦常務理事から正式な説明と発表がなされた[40]

2007年5月30日に、日本将棋連盟を退会した女流棋士17名によって「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」が設立され、2018年現在に至っている。

外国人女流棋士の誕生、女流棋士1期生の引退

インターネット将棋対戦サイトで実力をつけた後、女流棋士を目指し、来日して研修会に入会したポーランド人のカロリーナ・ステチェンスカが、2017年2月に女流2級となり、棋士・女流棋士を通じて将棋界初の日本国籍を有さないプロとなった。

2018年2月、蛸島彰子が引退したことにより、1974年に女流名人位戦が開始した際の女流棋士1期生6名が全て現役を退いた。

女流棋界の現在

里見香奈が、史上3番目の若さ(16歳8か月)で2008年に初タイトル(倉敷藤花)を獲得して以来、2018年現在まで女流タイトルの大半を獲得している。

甲斐智美は、2006年の鹿島杯と2008年のネット将棋・女流最強戦で優勝し、2010年には女王・女流王位を相次いで獲得した。上田初美は2011年にその甲斐から女王、香川愛生は2013年に里見から女流王将、渡部愛は2018年に里見から女流王位(奨励会を経験せずにタイトルを獲得したのは、上記の上田以来7年ぶり)のそれぞれタイトルを奪った。

2011年には、女性奨励会[注釈 5]の女流棋戦参加が解禁された[6]ことにより、奨励会1級の加藤桃子が初代女流王座に輝いた(加藤は16歳9か月で女流王座を獲得した。初タイトル獲得時の年齢では、里見に1か月遅れるのみである)。里見に続いて奨励会で三段となった西山朋佳が2018年に女王のタイトルを獲得した。2018年7月現在、タイトル獲得に至っていないが、奨励会を1級で退会してから女流棋士に転向した伊藤沙恵は、2017年度は6つの女流タイトル戦のうち4つに登場する活躍を見せた[41]

里見香奈・西山朋佳・加藤桃子・伊藤沙恵・香川愛生・岩根忍らの奨励会員・元奨励会員を中心に、上田初美・渡部愛・谷口由紀らが加わってタイトルを争っているのが、2018年現在の女流棋界の状況である。

将棋ネット中継と女流棋士

ネット動画中継を手掛けるニコニコ生放送が、2011年にタイトル戦の生中継を開始した[42]。タイトル戦は午前9時に始まって夜まで続く。これを、時間の制約が緩く[43]、視聴者からのコメントという双方向のやり取りが可能なネット動画中継の利点を活かして最初から最後まで完全中継することで[43]、ニコニコ生放送は「将棋ネット中継」というコンテンツを何もないところから作り上げた[42]

2017年にAbemaTVが将棋ネット中継に新規参入した[42]。同年、藤井聡太の活躍などによって空前の将棋ブームが起きた[44]。この将棋ブームは2018年現在も継続し、様々な分野に広がりを見せている[45]

将棋ブームを受け、ニコニコ生放送・AbemaTVの2つの事業者が、タイトル戦に限らずに多くの対局をネット中継するようになった[43]

女流棋士はNHK杯NHK Eテレ)や囲碁・将棋チャンネルで以前から「聞き手」を務めてきた[46]。しかし、聞き手の女流棋士の役割は、ニコニコ生放送・AbemaTVの2社による将棋ネット中継では格段に大きくなり、番組の進行に欠くことのできない、一般のテレビ番組の「司会者」に相当するものとなっている[46]

将棋ネット中継の大半の時間は、解説者たる棋士と、聞き手たる女流棋士のトークで占められるため、将棋ネット中継を視聴することで棋士・女流棋士のファンになる例も多く、将棋界の未来を大きく広げる可能性を有している[46]。将棋ネット中継の隆盛は、女流棋士の仕事の場(=収入を得る機会)、ひいては存在価値を大きく増やしている。

女流棋士の中でも、とりわけ「名聞き手」として知られる中村桃子は、ネット将棋中継で聞き手を務めることは、報酬を得られる仕事であると同時に、将棋を研究できる機会でもあり「実に『役得』である」と語っている[46]

脚注

注釈

  1. ^ 2018年現在、奨励会員に段位免状が授与されるのは、初段以上で奨励会を退会して指導棋士(かつての名称は準棋士)となる場合のみ。この場合は、棋士・女流棋士への免状と同じ様式で免状が授与される。
  2. ^ フリークラス編入試験の制度は、女流棋士とアマチュアで変わりはない。
  3. ^ 女流棋士の昇段級規定の「女流初段」に該当したため。伊藤沙恵奨励会1級が10月より女流初段に- 日本将棋連盟・2014年9月30日
  4. ^ 2009年4月制度変更の当初は「女流棋士仮会員」という名称であったが、同年7月に「女流3級」に名称変更された。「女流棋士仮会員」の名称変更について(日本将棋連盟)
  5. ^ 2011年4月現在3名が在籍していた

出典

  1. ^ “【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(2) 史上初の女性奨励会員に” (日本語). 産経新聞. (2018年4月3日). オリジナル2018年7月16日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180716081454/https://www.sankei.com/life/news/180404/lif1804040017-n1.html 2018年7月16日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f 鈴木宏彦(聞き手)「インタビュー 蛸島彰子女流六段(LPSA) 「歩み続けた道」」、『将棋世界』(2018年9月号)、日本将棋連盟 pp. 126-131
  3. ^ a b c d e f “【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(3)結婚で退会、普及活動に” (日本語). 産経新聞. (2018年4月4日). オリジナル2018年7月16日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180716081454/https://www.sankei.com/life/news/180404/lif1804040017-n1.html 2018年7月16日閲覧。 
  4. ^ “棋譜の余白:将来像不透明な女流将棋界=山村英樹” (日本語). 毎日新聞. (2018年6月25日). オリジナル2018年7月16日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180716085700/https://mainichi.jp/articles/20180625/dde/018/070/010000c 2018年7月16日閲覧。 
  5. ^ 里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花、奨励会1級編入試験に合格(日本将棋連盟 2011年5月21日)
  6. ^ a b 「奨励会と女流棋士の重籍に関する件」について(日本将棋連盟 2011年5月27日)
  7. ^ 女流棋士の本 p52 歴史的な勝利
  8. ^ 君島俊介「第89期棋聖戦-1次予選特選局-第5局 先▲女流二段 伊藤沙恵 △六段 大平武洋-第3譜」 『産経新聞』(東京本社)2017年10月6日付朝刊、12版、21面、囲碁・将棋欄。
  9. ^ 前夜祭(1) | 第11期マイナビ女子オープン五番勝負第3局” (日本語). マイナビ女子オープン中継ブログ in 将棋情報局. マイナビ出版. 2018年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月18日閲覧。
  10. ^ “女流棋士通算成績” (日本語). 日本将棋連盟. オリジナル2018年7月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180711141617/https://www.shogi.or.jp/game/record/all_lady.html 2018年7月11日閲覧。 
  11. ^ 女流棋士会分裂の経緯のご説明”. 日本将棋連盟女流棋士会 (2009年4月3日). 2009年4月6日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。
  12. ^ 女流棋士会の独立”. 北海道新聞『もっと知りたい』 (2007年1月20日). 2007年3月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。
  13. ^ 臨時総会について(日本将棋連盟 2010年11月12日)
  14. ^ 公益社団法人日本将棋連盟 定款 (PDF)”. 日本将棋連盟. 2016年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月18日閲覧。
  15. ^ 公益社団法人日本将棋連盟 正会員名簿 平成29年3月31日現在”. 日本将棋連盟. 2018年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月12日閲覧。
  16. ^ “高群佐知子女流三段が女流四段に昇段” (日本語). 日本将棋連盟. オリジナル2018年7月16日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180716135252/https://www.shogi.or.jp/news/2018/01/post_1643.html 2018年7月16日閲覧。 
  17. ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2017年5月29日). 2018年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月21日閲覧。
  18. ^ 女流棋士規定変更のお知らせ 日本将棋連盟 2018年4月2日 2018年4月2日閲覧
  19. ^ 山根ことみ研修会員が女流棋士3級の資格を取得(日本将棋連盟 2013年9月10日)
  20. ^ 室谷由紀研修会員が女流棋士仮会員の資格を取得(日本将棋連盟 2009年6月30日)
  21. ^ この条件を満たしたのは長谷川優貴竹俣紅飯野愛塚田恵梨花中澤沙耶石本さくら頼本奈菜の7名。
  22. ^ a b c 女流棋士仮会員(女流3級)資格付与規程 - 日本将棋連盟・2013年10月1日
  23. ^ 公益社団法人日本女子プロ将棋協会 棋士規程(2014年5月30日版) 2018年6月20日閲覧 2017年10月21日時点のアーカイブ
  24. ^ 公益社団法人日本女子プロ将棋協会 棋士規程(2018年4月4日版) 2018年8月3日閲覧
  25. ^ 当協会所属新女流棋士誕生のお知らせ”. 日本女子プロ将棋協会 (2012年7月2日). 2013年8月20日閲覧。
  26. ^ 公益社団法人日本女子プロ将棋協会 棋士規程
  27. ^ 良くある質問ー女流棋士の降級点と引退制度について”. 日本将棋連盟. 2018年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月27日閲覧。
  28. ^ 日本女子プロ将棋協会 (2012年3月30日). “山下カズ子女流五段「ツアー女子プロ」転向のお知らせ”. 2012年9月8日閲覧。
  29. ^ アマチュア予選 - 第4期リコー杯女流王座戦<リコー>
  30. ^ “強豪撃破引退表明の71歳・蛸島女流六段が最年長勝利” (日本語). スポーツ報知. (2018年1月16日). オリジナル2018年7月20日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180720135520/https://www.hochi.co.jp/topics/20180116-OHT1T50069.html 2018年7月20日閲覧。 
  31. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(4) 初の女性棋戦でタイトル獲得” (日本語). 産経新聞. (2018年4月5日). オリジナル2018年7月16日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180716104858/https://www.sankei.com/life/news/180405/lif1804050018-n1.html 2018年7月16日閲覧。 
  32. ^ 女流アマ名人戦歴代優勝者一覧”. 日本将棋連盟. 2018年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月16日閲覧。
  33. ^ a b c d e f g 古川徹雄「引退・関根紀代子女流六段 "女流棋士第1期生" 将棋と共に歩んできた人生」、『将棋世界』(2011年11月号)、日本将棋連盟 pp. 114-117
  34. ^ a b c 古川徹雄「特集1 写真で見る女流棋界の40年 - 女流棋士たちの足跡 -」、『将棋世界』(2014年9月号)、日本将棋連盟 pp. 22-29
  35. ^ 関根紀代子女流五段が引退”. 日本将棋連盟 (2011年9月1日). 2018年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月6日閲覧。
  36. ^ a b “霧島酒造杯女流王将戦” (日本語). 日本将棋連盟. オリジナル2018年7月20日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180720213806/https://www.shogi.or.jp/match/jo_oushou/ 2018年7月20日閲覧。 
  37. ^ “岡田美術館杯女流名人戦” (日本語). 日本将棋連盟. オリジナル2018年7月20日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180720213956/https://www.shogi.or.jp/match/jo_meijin/ 2018年7月20日閲覧。 
  38. ^ 将棋連盟から女流棋士が独立/自立促した財政改革”. 東奥日報 (2006年12月2日). 2006年12月19日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年7月11日閲覧。
  39. ^ 女流棋士会分裂の経緯・公式見解”. 女流棋士会 (2009年6月26日). 2009年6月27日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年7月11日閲覧。
  40. ^ 女流棋士独立問題について”. 日本将棋連盟 (2007年4月24日). 2010年12月19日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年7月11日閲覧。
  41. ^ 里見女流名人への挑戦者に伊藤沙恵女流二段 リーグ戦8連勝で決める”. スポーツ報知 (2017年10月24日). 2018年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月5日閲覧。
  42. ^ a b c AbemaTVはニコニコといかに差別化するか? 将棋チャンネルから見るそれぞれの戦略”. BuzzFeed Japan. 2018年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月11日閲覧。
  43. ^ a b c “放送局で棋士や内容が違う将棋解説 コアファン向けの専門局、初心者OKのネット局” (日本語). AbemaTV. (2017年9月22日). オリジナル2018年7月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180711160844/https://abematimes.com/posts/2982826 2018年7月11日閲覧。 
  44. ^ “藤井四段フィーバー、“飛”躍の1年…とに“角”すごかった” (日本語). スポーツ報知. (2017年12月29日). オリジナル2018年7月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180711162256/https://www.hochi.co.jp/topics/20171228-OHT1T50186.html 2018年7月11日閲覧。 
  45. ^ “空前の将棋ブームでマンガも熱い!魅力は勝つか負けるか弱肉強食の対比” (日本語). スポーツ報知. (2018年7月10日). オリジナル2018年7月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180711162555/https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180709-OHT1T50180.html 2018年7月11日閲覧。 
  46. ^ a b c d “女流棋士が担う将棋対局番組のMC「聞き手」 中村桃子女流初段「勉強にもなるし、おもしろい仕事」” (日本語). AbemaTV. (2017年12月23日). オリジナル2017年12月26日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180101000000*/https://abematimes.com/posts/3427203 2018年7月11日閲覧。 

参考文献

  • 中島一『女流棋界ヒストリー』(1) - (3) (『近代将棋』2004年1月号 - 3月号連載)

関連項目