女賊と判官

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女賊と判官
The Official And The Princess of Thieves
Jozoku to Hangan.png
公開当時のポスター。
監督 マキノ雅弘
萩原遼
脚本 民門敏雄
村松道平
原案 小国英雄
製作 マキノ光雄
企画 藤川研一
出演者 片岡千恵蔵
宮城千賀子
喜多川千鶴
音楽 大久保徳二郎
撮影 川崎新太郎
照明 中山治雄
編集 宮本信太郎
製作会社 東横映画
配給 日本の旗 東京映画配給
公開 日本の旗 1951年1月5日
上映時間 88分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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女賊と判官』(じょぞくとはんがん[1][2][3])は、1951年(昭和26年)、マキノ雅弘萩原遼が監督し、東横映画が製作、東京映画配給が配給して公開した日本の長篇劇映画である[2][3][4][5]

略歴・概要[編集]

第二次世界大戦後、従来興行会社であった東横映画が大映との協定を結び、1947年(昭和22年)、「大映第二撮影所」(現在の東映京都撮影所)を借りて同撮影所を「東横映画京都撮影所」[6]として製作を開始して以来、4年目に入った同社の正月第二弾映画である。同社でのマキノ雅弘(マキノ正博)の6作目、萩原遼の3作目にあたり、この後同年同社では、マキノは『お艶殺し』、萩原は『夢介千両みやげ 春風無刀流』を撮る[7][8]

本作は、片岡千恵蔵演じる「判官」こと「遠山金四郎」(遠山景元)もので1938年の『弥次喜多道中記』のリメイク、相手役の「女賊」こと「紅燕のおりん」を宮城千賀子が演じる[2][3][4][5]。宮城はこのころ、本作監督のマキノ雅弘、同撮影所長のマキノ光雄の弟であるマキノ真三の妻であったため[9]、真三や雅弘の監督作や、東横映画の作品に多く出演している[10]

東横映画の作品を配給するために東京映画配給(現在の東映)が設立されて1年半が経過しており、本作は東京映画配給が配給して、1951年(昭和26年)1月5日に公開された[2][3][4][5]。本作に「映倫番号」が付されているのは、1949年(昭和24年)6月14日に「映画倫理規程管理委員会」(旧映倫)が結成されたからで、1954年(昭和29年)8月まではレイティングは行われていない[11]

東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の上映用プリント等を所蔵しており[12]東映チャンネルも同作をHD化して放映している[13]

作品データ[編集]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『日本映画人名辞典 スタッフ篇』、p.763.
  2. ^ a b c d 女賊と判官、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月19日閲覧。
  3. ^ a b c d 女賊と判官キネマ旬報映画データベース、2012年7月19日閲覧。
  4. ^ a b c d 女賊と判官日本映画製作者連盟、2012年7月19日閲覧。
  5. ^ a b c 女賊と判官日本映画データベース、2012年7月19日閲覧。
  6. ^ 『映画年鑑 1951』、p.219.
  7. ^ マキノ雅弘、日本映画データベース、2012年7月19日閲覧。
  8. ^ 萩原遼、日本映画データベース、2012年7月19日閲覧。
  9. ^ 『日本映画俳優全集・女優編』、p.666-669.
  10. ^ 宮城千賀子、日本映画データベース、2012年7月19日閲覧。
  11. ^ 映倫の概要[リンク切れ]映画倫理委員会、2012年7月18日閲覧。
  12. ^ 女賊と判官東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月19日閲覧。
  13. ^ 女賊と判官東映チャンネル、2012年7月19日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『映画年鑑 1951』、時事映画通信社、1950年12月1日
  • 「日本映画紹介 女賊と判官」、『キネマ旬報』1951年1月下旬号所収、キネマ旬報社、1951年1月
  • 「日本映画批評 女賊と判官」、『キネマ旬報』1951年2月上旬決算特別号所収、キネマ旬報社、1951年2月
  • 『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報社、1980年
  • 『クロニクル東映 1947-1991』、東映、1992年
  • 『日本映画人名辞典 スタッフ篇』、日本映画史研究会、科学書院、2005年 ISBN 4760303332

関連項目[編集]