奴
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概要[編集]
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武家に働く者の中でも低い身分にあたり、「中間(ちゅうげん)」や「折助(おりすけ)」と呼ばれていた武家奉公人を、蔑むときの呼び名である。「家つ子」(やつこ)が語源であるとされる。「ヤケ=家の子」の意味(鬼頭清明 『大和朝廷と東アジア』 吉川弘文 1994年 p.217.ギリシア語でもラテン語でも奴隷は「家の人」と言う意味を有する)。
奴は農民や一般町民の次男三男が雇われてなることが多かった。武士が出かける時の荷物持ちなど、雑務をこなしていた。参勤交代の時には大勢の奴が必要となるため、このときだけ臨時で雇われるということもあった。
奴は、大きな四角形を染めた半纏を着ていることが多かった。この紋所は、「釘抜紋」と呼ばれる。この紋所から、食材を大きめの立方体に切ることを「奴に切る」と表現するようになった。「冷奴」は豆腐を奴に切って食べることからその名がついた。
現代でも正月などに凧揚げをする際によく見かける「奴凧(やっこだこ)」は、この奴の筒袖を張った姿を模したものである。
また、遊廓や花柳界の女性がこの身分の男性の言行をまねることがあったことより、遊女や芸者を「○○奴」と呼ぶことがあった。
なお、『古事記』が編纂された古代においては奴は奴隷階級を意味していたと考えられる。
作品中の奴[編集]
歌舞伎、歌舞伎舞踊、祭りの大名行列、等では、上記の奴の扮装、『繻子奴』が登場する場合が多い。上記の半纏を綿入りにして、丸ぐけの太い帯を締め、伊達下がりを見せる場合が多い。
歌舞伎舞踊[編集]
- 供奴(長唄)
- 国入奴(長唄)
祭り・郷土芸能[編集]
- 南部ばやし(遠野市)
- 虎踊り(横須賀市)
- 島田帯祭り(島田市)
- 稚児舞(朝日町)
- 黒島天領祭(輪島市)
- ほうらい祭り(白山市)
- 佐野夏祭り(泉佐野市)
- 坂越の船祭り(赤穂市)
- 高砂神社秋祭(高砂市)
- 荒井神社秋祭り(高砂市)
参考文献[編集]
- 『歌舞伎のダンディズム』(杉本苑子著、NHK出版、後に講談社文庫で再刊)