奴隷制

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ブーランジェ 『奴隷市場』
主人によって鞭打たれた奴隷(1863年)

奴隷制(どれいせい)とは、一般に人格を否認され所有の対象として他者に隷属し使役される人間つまり奴隷が、身分ないし階級として存在する社会制度

制度[編集]

供給[編集]

奴隷制は、有史以来あまねく存在したが、時代的・地域的にその現われ方は複雑かつ多様であった。抽象的にいえば生産力発達が他人の剰余労働搾取を可能とした段階以降の現象であり、始原的には共同体間に発生する戦争捕虜、被征服民に対する略奪・身分格下げ、共同体内部の階層分化、成員の処罰や売却、債務不払いなどが供給源であった。この奴隷化手段は、いずれも奴隷制の終末に至るまで主要な奴隷供給手段であり続けた。このほか、海賊盗賊、武装勢力などによって所属する社会から誘拐された人々もまた、奴隷の供給源として非常に大きな割合を占めていた[1]。国家間では戦争以外にも、属国から宗主国に向けて服従のしるしとして奴隷を貢納することが広く行われ、とくに19世紀までのイスラム圏やアフリカにおいては主要な奴隷供給源の一つだった[2]。婚資としての奴隷贈与は広く見られ、また通貨の発行・流通していないような未開社会においては奴隷そのものが貨幣として使用されることが多かったため、こうした取引の結果としての奴隷取得も多く見られた[3]。しかし多くの場合、奴隷身分の親から生まれた子供、つまり出生奴隷が奴隷の中で最も大きな部分を占めていた[4]

貿易[編集]

奴隷制は自前の奴隷補給が困難であったため、古来戦争による奴隷供給と奴隷商業の発達を不可欠とした。ローマ帝国ではパクス・ロマーナによる戦争奴隷の枯渇により、奴隷制大農園であるラティフンディウムからコロナートゥス農奴制)への移行の一因となったともされる。奴隷の取得において最も大きなものは対外貿易であり、歴史上世界各地でいくつもの大規模奴隷貿易システムが成立してきた[5]。奴隷は未開の社会においてすら主要交易品の一つであり、こうした社会では対外商業活動が奴隷輸出のほかに存在しないことすらあった[6]。国内での奴隷取引は歴史を通じてどの社会でも常に存在したものの極めて低調であり、ほとんどの社会において新規奴隷の供給は国外からのものによった。ただし、19世紀初頭にヨーロッパ諸国が奴隷貿易を停止すると様相が変わり、いまだ大規模な奴隷制を残置していたアメリカ南部諸州およびブラジルでは国外からの供給が停止したため国内での奴隷取引が盛んとなった[7]

実態[編集]

同一民族内で奴隷を取得する社会もあったが、多くの社会において同じ共同体や同一民族のものを奴隷にすることは避けられる傾向にあった。同一民族の戦争捕虜は殺されるか売却されることが多く、奴隷にすることはかなり稀で、奴隷化を禁じている社会もあった[8]。このため、主人と奴隷の民族は異なることが多かった[9]人種が奴隷制に大きな役割を果たしたのは新大陸であり、またイスラム圏でも強い相関が存在したが[10]、そのほかの社会でも人種は決して奴隷化と無関係ではなく、民族ほどではないにせよ相関が存在した[11]。特殊な技術を持つ奴隷は価値が高く、多くの社会において技術のない奴隷よりは高い待遇を受けることができた[12]

奴隷は所有者の財産であり、本質的には個人的な財産所有を認められていなかったものの、奴隷の存在するすべての社会において主人の許可の元で財産を所有することは認められていた。ただし「主人の許可の元で」の財産所有であるため、本来の所有権は主人に所属しており、当該奴隷が死去すればその財産は再び主人の下へと戻り、家族への相続権はすべての社会において認められていなかった[13]。ほとんどの社会において、奴隷は結婚家族を持つことができた[14]

解放と逃亡[編集]

奴隷が解放されることはほとんどの社会で存在し、解放された奴隷は解放奴隷として独特な地位を占めることが多かった。解放奴隷は多くの場合自由民からは一段低い立場と見なされた[15]。またすべての社会において、解放奴隷は元の主人の保護下に置かれた[16]

逃亡はどの社会でも禁止されていたが、実際に逃亡奴隷は多く、なかでも16世紀以降の新大陸においてはマルーンと呼ばれる逃亡奴隷が大量に発生し、しばしば山岳地帯や辺境に共同体を築き上げ、またその地域のアメリカ先住民と通婚して同化し、白人と戦闘を行った。山岳に立てこもってイギリス軍と長期にわたる戦闘を繰り広げたジャマイカのマルーンや、内陸に一大勢力を築いたブラジルのキロンボなどが知られている[17]。19世紀半ばに奴隷制廃止運動が盛んになると、南部の奴隷州から北部の自由州へと奴隷の逃亡を手助けする地下鉄道と呼ばれる秘密結社が結成され、多くの奴隷がこのルートで逃亡していった[18]。また奴隷が反乱を起こすことも歴史を通じてみられ、共和政ローマにおける3度の奴隷戦争、なかでも第三次奴隷戦争(スパルタクスの反乱)や、9世紀アッバース朝統治下メソポタミアで起きたザンジュの乱などのように、一国を揺るがすような大反乱へとつながることもあった。

歴史[編集]

古くから一般に家長権のもとに家族の構成部分として家内労働に使役されたが(家父長制奴隷)、古代ギリシア古代ローマカルタゴや近世のアメリカ大陸などでは、プランテーション、鉱山業などの生産労働に私的、公的に大規模に使役された(労働奴隷)。

歴史上、とくに大規模な奴隷制として、15世紀から19世紀半ばまで大西洋地域に成立した近代奴隷制が挙げられる。このシステムは15世紀ポルトガルマデイラ諸島で、スペインカナリア諸島で推し進めたサトウキビ農園に直接の起源を持つ[19]。これらの島々に作られたプランテーションにおいては奴隷が労働力として多数使用され、供給はギニア湾岸の黒人諸地域からなされていた。クリストファー・コロンブスの新大陸発見と同時に現地住民の奴隷化も進められたものの、半世紀もしないうちに歯止めがかかり、代わってアフリカ大陸からの奴隷供給が主流となった。

熱帯亜熱帯でのゴム煙草砂糖などのプランテーション農業や鉱山など、一次産品における労働では、労働者が生産物の直接的消費者とならないため、私有財産を持たない奴隷は効率的であった。しかし、二次産品以降の工場労働者は、製品の消費者となり得るため、賃金労働が進められた。国の工業化が進むと、内需拡大策の一つとして、一次産品の労働者についても賃金労働が推し進められた(大土地所有制は維持される)。

18世紀半ば以降イギリスで奴隷貿易廃止運動が活発化し、1807年にイギリス国会で奴隷貿易禁止法が成立した[20]ことで、奴隷貿易は終結へと動き始めた。最大の海運国であるイギリスの奴隷貿易廃止は他国の奴隷貿易にも甚大な影響を与え、19世紀前半には奴隷貿易は衰退の一途をたどった。これにより外国からの奴隷の供給が停止し、奴隷制諸国は国内での奴隷調達を余儀なくされるようになった。この動きはやがて加速し、1834年にはイギリスが奴隷制を廃止する[21]など、奴隷制そのものの廃止へと進んでいった。アメリカ合衆国南部においては奴隷制プランテーション農園主の政治的発言力が大きく、奴隷制がむしろ強化される傾向にあったのに対し、北部諸州では奴隷制がすでに廃止されており、やがて合衆国が西部へと版図を広げ加盟州が拡大していくのに伴い、奴隷制は南北の対立の焦点となっていった。この対立は数度の妥協を挟んで先鋭化していき、1860年に奴隷制度反対派の共和党・エイブラハム・リンカーン大統領の当選によって破局を迎え、1861年に南北戦争が勃発することとなった。この戦争の中で1863年にリンカーンが奴隷解放宣言を行い、南部の降伏とともにアメリカでも奴隷制が廃止された。ブラジルでは奴隷制廃止が遅れたものの、1888年に奴隷制は廃止されることとなった[22]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p257 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  2. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p268-271 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  3. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p366-369 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  4. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p305 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  5. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p341 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  6. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p339-341 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  7. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p362-364 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  8. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p395 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  9. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p396 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  10. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p391 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  11. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p393-394 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  12. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p396-397 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  13. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p400-401 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  14. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p409 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  15. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p537 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  16. ^ 「世界の奴隷制の歴史」(世界人権問題叢書41)p525-526 オルランド・パターソン著 奥田暁子訳 明石書店 2001年6月20日第1刷発行
  17. ^ 「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」p254 池本幸三・布留川正博・下山晃著 人文書院 1995年10月5日初版第1刷発行
  18. ^ 「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」p253 池本幸三・布留川正博・下山晃著 人文書院 1995年10月5日初版第1刷発行
  19. ^ 「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」p54-55 池本幸三・布留川正博・下山晃著 人文書院 1995年10月5日初版第1刷発行
  20. ^ 「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」p314 池本幸三・布留川正博・下山晃著 人文書院 1995年10月5日初版第1刷発行
  21. ^ 「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」p314-315 池本幸三・布留川正博・下山晃著 人文書院 1995年10月5日初版第1刷発行
  22. ^ 「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」p321 池本幸三・布留川正博・下山晃著 人文書院 1995年10月5日初版第1刷発行

参考文献[編集]

  • F. Engels, Der Ursprung der Familie, des Pricateigentums und des Staats, 1884.
  • ジャイルズ・ミルトン 『奴隷になったイギリス人の物語』 仙名紀 訳 アスペクト,2006 ISBN 4-7572-1211-9