姜慶植

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姜 慶植(カン・キョンシク、1936年5月10日 - )は、大韓民国政治家官僚

生涯[編集]

ソウル大学校法科大学を卒業。1977年12月から1982年1月まで経済企画院次官補を務め、大統領府経済担当首席秘書官金在益らとともに安定・自律・開放を主眼に置いた経済安定化政策を主導した。

1982年1月から1982年6月まで財務部次官、1982年6月から1983年10月まで財務部長官を務め、金融実名制を推進したが、政界の反発により失敗した。

1997年3月、経済副総理兼財政経済院長官に就任。折しもアジア通貨危機が深刻化し韓国へも波及、同年11月にはIMF救済金融要請(IMFによる韓国救済)を行った[1]

脚注[編集]

  1. ^ 【コラム】民心は熱く、国民は善良だ=韓国”. 中央日報 (2016年11月28日). 2019年6月28日閲覧。

参考資料[編集]


公職
先代:
韓昇洙
大韓民国の旗 大韓民国財政経済院長官
第42代:1997
次代:
林昌烈
先代:
咸秉春
大韓民国の旗 大韓民国大統領秘書室長
1983 - 1985
次代:
李奎浩
先代:
羅雄培
大韓民国の旗 大韓民国財務部長官
1982 - 1983
次代:
金滿堤
先代:
鄭寅用
大韓民国の旗 大韓民国財務部次官
1982
次代:
金興起