子蘭

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子蘭(しらん、生没年不詳)は、中国戦国時代末期のの公子で政治家懐王の子で姓は、氏は。諱は不明。字は子蘭。賢者を妬む無能な佞臣と評される。

経歴[ソースを編集]

紀元前299年に連年の戦で敗北続きで楚は劣勢であった。懐王は秦王昭襄王から武関(現在の陝西省商洛市丹鳳県)に招かれ会談するため秦に赴こうとした。公族屈原や昭雎と言った高官はかつて秦が約束を破った事を持ち出し、信用ならないと猛反対したが親秦派だった子蘭は懐王に入秦を勧め、懐王はその言葉に従い入秦したところ、囚われて抑留される事となり、紀元前297年に一度逃亡したものの結局捕まり紀元前296年に秦で亡くなった。

懐王が秦で抑留されると、子蘭の兄である公子横が人質となっていたから帰還し、頃襄王として即位した。子蘭はその令尹(宰相)として就任し、その後上官大夫の靳尚の誣告を用いて屈原を左遷した。

頃襄王7年(紀元前292年)、かつて懐王が子蘭の勧めで入秦した後、楚に返されなかった事を理由に子蘭は兄から令尹を罷免され、その後病死した。

参考文献[ソースを編集]