存在の概念がない世界

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存在の概念がない世界(そんざいのがいねんがないせかい、英語:No concept of existence in world)とは、比較文化英語版認知考古学英語版において、哲学観念心理学行動科学を用いて推測する作業仮説による検証法弁証法)・思考実験の一つで、「存在概念がない社会」ともいう。

概要[編集]

「存在の概念」は1960年に哲学の領域において、ウィリアム・アール(William Earle)が『The Journal of Philosophy』に発表した「Concept of Existence」という論文に起因する[1]。これを 1990年代行動分析学犯罪心理学)の分野において学生に「行動理由がない行動衝動)」を論証立証させるため、専攻の異なる学生たちの意見を聞かせ、多角的視点からディスカッションすることで信憑性の高い一つの結論を導き出させる思考ゲームから始まったとされるのが、存在の概念がない世界になる。

歴史学においてこの手法は、主に文字記録文書)がない時代における事象を検証する際に用いられる。

比較文化では、「外界情報がない場所(閉ざされた空間)」を指すとともに、そこへ外部の文化異文化)がもたらされた時(文化伝播文化移入英語版)に生じるアカルチュレーションシンクレティズムクレオール化などの現象が「どのように発生するのか」「どう発展したのか」といった過程を推測する。認知考古学では、「他の存在を知らない」中で形成された文化の独創性の源を探求する。

また、近年では民俗学においても導入が進められており、隔絶された孤島における文化形成の研究に役立てられている[† 1]

存在の概念がない世界は、「文化空間における認知的閉鎖(世界に人間は自分たちだけと思い込む)と局所実在論(どこかに別の存在がありいつか接触する)」が前提となっている[† 2]

実践例[編集]

この手法が注目されたのは、2012年にスイスイタリアドイツフランスオーストリアスロベニアに跨るアルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群世界遺産に登録された際、この論証を根拠に用いた推薦書[2]ユネスコ世界遺産センターへ提出し、学術的価値を精査する諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)がその内容を高く評価したことによる。この手法を採用したのは、歴史観考古調査方法と調査時期が異なる複数の国によるトランスバウンダリー申請であったため、共通の結論を見出さない限り統一性・一貫性のなさを指摘されることを避ける必要があったことによる。

杭上住居英語版の分布範囲はアルプス山脈を挟んだ南北両裾に点在しているが、アルプスの北と南では石器仕様土器意匠が異なり、出土人骨鑑定から異なる民族であった可能性も示唆されている。しかし、その初期段階ではアルプスを越えることは不可能と考えられており、文化循環の形跡も見られず、北と南では「互いに存在の認識はなかった」。にも関わらず、なぜ共通する住居様式が成立したのか。詳しい検証手順は煩雑なため省くが、

敵対部族やから逃れるため必然的に水上生活となったことが偶然にも同時期に多発した(偶発的多元発生論・文化的特異点)と言ってしまえばそれまでだが、船上生活や浮草を集めた浮島を作るといった選択肢もあり得たはずで、図らずしも示し合わせたかのようにを打ち込みその上に家屋を建てるという行為はが最も身近で加工しやすい素材であり、その技術的ルーツはドナウ川流域の豊富な森林資源の中で育まれたダヌビアン文化英語版[† 3]にあったが、発生源文化が衰退したことで忘れられ、離れた場所で似た様式が形成された

と推論した。これはクルガン仮説とも合致する。さらに文化交流が行われるようになった後は、アイスマンなどの存在と役割を引き合いに出している[3]

応用編[編集]

認知考古学ともども日本考古学においてはまだ必ずしも受け入れられている手法ではない。考古学は自然科学の領域という考えが強いため、暗黙知的な論証は的であるとして受け入れられにくい。

しかし、例えば縄文時代石棒から縄文人精神世界を推測し宗教観に言及するなど、情緒的な検証も行われている。その縄文人はもともとは大陸から渡ってきたが、日本列島が孤立し何世代も経て外界の記憶が失われた後、稲作を携えた弥生文化の担い手が渡来してくるまで、他の世界は縄文人にとって「存在の概念がない世界」だった[† 4]。「他の存在を知らない」中で、どのように縄文土器が作られるようになったのか? その発生はたった一人の発明が広がったのか、偶発的多元発生だったのか? 列島内でも東北の縄文人と九州の縄文人は互いの存在を認識していたのか? 地理的隔たりに言語コミュニケーション障害はなかったのか? さまざまな疑問が呈され、明確な答えが考古資料からだけでは導き出せないこともあり、北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群が世界遺産を目指しながらも正式推薦候補になれない理由の一端がここにある。また、複数の道県に跨るシリアルノミネーションであり、1万年もの時間差がある物件をひとまとめにする必要性もあり、国際シンポジウムで海外の研究者から存在の概念がない世界の論法を用いることの検討を促された[† 5]

ただし、学問の領域を超えた連携は困難な状況にある。

宗教界[編集]

いくつかの宗教における天国での様相として肉体が伴わず苦痛苦悩から解き放されるとしていること、仏教での「無我(の境地)」も自身の煩悩世俗のといった要因を感じさせない状態にあること、これらを存在の概念がない世界に例えることがある。

演出・設定[編集]

SF作品などでの設定演出として、存在の概念がない世界が描かれることがある。例えばゾンビ映画を観る我々はゾンビという存在を知ったうえで鑑賞するが、作中ではゾンビという知識や情報がなく(つまりゾンビ映画も存在しない世界)、初めて現れたゾンビという存在にどう対処すればよいか分からずパニックになることにより、ストーリーに緊張感が生まれる。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ イコモスから派遣され「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の現地調査を行ったクリストフ・サンド(島文化研究家)も論文などで用いている
  2. ^ 近隣集落間の狭い範囲(同一言語でのコミュニケーション可能範囲)での交流は除外する
  3. ^ 日本ではドナウ文明と雑括される
  4. ^ ただし、物証として確認されていないだけで、九州北部や日本海沿岸には縄文時代を通して単身の漂流者が流れ着いた可能性は充分に考えられ、このような不確定要素を排除しきれない
  5. ^ ユネスコが世界遺産に先史時代の遺跡の推薦を推奨しているが、この手法が評価されたことで、同様の論証を展開しなければ不利になりかねない

出典[編集]

関連項目[編集]