学校法人郁文館夢学園

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学校法人郁文館夢学園(がっこうほうじんいくぶんかんゆめがくえん)は、日本学校法人

概要 [編集]

棚橋一郎によって1889年11月13日に開設された私立郁文館が母体。2003年3月18日ワタミフードサービス社長の渡邉美樹が理事長に就任。2006年4月1日に学校法人名を郁文館夢学園、国際高校をグローバル高校と改称している。傘下に郁文館中学校・高等学校郁文館グローバル高等学校を設置している。

体制[編集]

  • 理事長:渡邉美樹
  • 高等学校・グローバル高等学校校長:宮崎宏
  • 中学校校長:宮崎宏

沿革[編集]

  • 1888年11月 - 東京府本郷区駒込蓬莱町28番地(現:東京都文京区向丘二丁目19番1)に設立、私立郁文館と命名する。初代校長に棚橋一郎
  • 1889年5月1日 - 所在地住所が東京府東京市本郷区駒込蓬莱町28番地へ変更。
  • 1943年7月1日 - 所在地住所が東京都本郷区駒込蓬莱町28番地へ変更。
  • 1943年8月 - 財団法人へ改組
  • 1947年3月15日 - 所在地住所が東京都文京区駒込蓬莱町28番地へ変更。
  • 1951年1月 - 学校法改正により、学校法人郁文館学園に改組
  • 1965年 - 住居表示により、東京都文京区向丘二丁目19番1となる。
  • 1988年11月 - 創立100周年記念式典を日本武道館にて挙行
  • 1993年4月 - 国際高等学校開校
  • 2003年3月 - 経営不振により経営権がワタミ創業者の渡邉美樹に移譲
  • 2006年4月 - 学校法人名を郁文館夢学園、郁文館国際高等学校を郁文館グローバル高等学校へ改称。
  • 2010年4月 - 郁文館中学校・高等学校・グローバル高等学校の3校がすべて共学校となる。

改革[編集]

渡邉美樹が理事長に就任した際、以下の事項を実施した。

職員に対し実施した事項
  • 全職員に対し「私たちの学校経営は先生が生徒のために死ねる経営です。その経営についてこられない人はどうぞやめてください」と話、理念集などによりプライベートな時間はなく、子どものために24時間365日、全身全霊捧げること求めた。
  • 教師の携帯電話番号を生徒に教えさせ、「365日24時間電話していい」と伝えるよう指示。
  • 職員の給料削減
生徒に対し実施した事項
  • 校内又は登下校時に携帯電話を使用した、教師への暴言又は暴力、他生徒へのいじめ、法を犯した、またはそれに準じた行為をした生徒には400字詰め原稿用紙100枚の反省文を書かせ、提出するまでは授業を受けさせない方針とした[1]
その地学園施設の改革

1992年10月に長野県内に完成した「奈良原研修センター」の負債が深刻で渡邉美樹が改革に乗り出した時点で28億円も存在した。この研修センターはバブル期に建設されたもので、都には研修施設と申請しておきながら実際には「ホテルハイランドアカデミー奈良原」という名前でホテル営業も行っていた[2]「ホテルハイランドアカデミー奈良原」営業当時の写真

改革初期に渡邉が視察に向かったところ学生が使用する施設とされながらも豪華なバーラウンジに高級ワインやウイスキーが並んでいたり、客室のベッドは1台数十万円の高級品を使ったり、輸入物の調度品が所狭しと並んでおり明らかに「研修施設」の様子では無かった[3]

もともと予算10億円で計画していたものを前理事が「どうせ作るなら一流のものに」という考え方で50億円まで建設費が膨れ上がり、さらにはホテルの稼働率を都心の一流ホテル超えの70%と想定していたりと計画の雑さが祟り結局1993年1月に開業したところ稼動率が10%程度で虚偽申請している以上大々的な営業はできず10億円かかる維持費に対して売り上げが年間1億7000万円となり大赤字で法人の経営を悪化させる一因となった[4]

自治体に申請しなければいけない営利活動を虚偽報告で営業していた事は都の知るところになり「売却するか、もしくは収益事業として改めて申請して賃貸にするか」の判断を迫られ「ホテルハイランドアカデミー奈良原」を賃貸にする方向で調整が進んでいた。しかし買い手が見つからず、ホテル時代の豪華な設備を残したまま生徒たちの林間学校の会場として使われていたが、不良資産として学園の経営を悪化させる一因となった[5]

渡邉は就任1年目にして個人保証で30億円の資金を借り入れ不良債務を返済することに成功した[6]他、渡邉が推進する「夢教育」の一環として行う「夢合宿」の会場として行うため勉強に必要のない設備を売却し長期間放置されていた部分を3000万円で改修。その他60人しか収容できなかった客室に2段ベッドなどを入れて7人まで宿泊可能にし収容人数200人を確保しホテル時代の面影を完全に消し去った。2004年2月から始まった改修は2004年4月に終了し、新入生を迎えて最初の「夢合宿」が行われることになった[7]


この改革実行により職員の人件費を7割ほどに削減、30名の教師は退職し、14人の生徒が退学となった[8][9]。また3年ほどで郁文館夢学園への志願者数は3分の1ほどに減少することとなり、渡邉美樹就任以前の勢いを失ったと評されている[10]

不祥事[編集]

教師へのパワーハラスメント[編集]

2009年9月、学校法人郁文館夢学園に2005年4月から2009年3月まで教師として勤務していた男性が、中傷を受け不当に解雇されたとして、同校を相手取り訴訟を、近く東京地方裁判所に起こすことが分かった。この男性の陳述書によると、渡邉美樹理事長によるパワーハラスメントが校内で日常的に行われており、渡邉は男性教師の髪形が気に入らないとし、ハサミで教師の髪を自ら「これは断髪式だ」と言い、切ったとしている。この件について当時の校長が調査した結果、この「断髪式」が事実であった事を認めた[11]

生徒の死亡事故[編集]

2012年、高校1年生の男子生徒が校庭の脇にある地下への吹き抜けから約10メートル下に転落して死亡した[12]。吹き抜けの上に張られたネットに落ちていたゴミ袋を拾うため、転落防止の柵(高さ約1メートル)を越えた際に誤って転落したとみられる[12]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 渡辺美樹理事長の学校法人生徒に反省文100枚書かせるなどして退学者続出”. 2013年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月31日閲覧。
  2. ^ 渡邉美樹著「さあ、学校をはじめよう 子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日」p.75
  3. ^ 渡邉美樹著「さあ、学校を始めよう 子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日」p.80
  4. ^ 渡邉美樹著「さあ、学校をはじめよう 子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日」p.84
  5. ^ 渡邉美樹著「さあ、学校を始めよう 子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日」p.204
  6. ^ 渡邉美樹著「さあ、学校を始めよう 子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日」p.99
  7. ^ 渡邉美樹著「さあ、学校を始めよう 子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日」p.206
  8. ^ 『週刊文春』2013年6月27日号
  9. ^ ワタミ会長、ブラック&“斬新な”学校経営で教員大量退職…「不満なら辞めろ」”. ビジネスジャーナル/Business Journal | ビジネスの本音に迫る. 2020年3月14日閲覧。
  10. ^ https://www.schoolnetwork.jp/jhs/maniax/2017-03/pdf/JHManiax201703_tokyo23.pdf
  11. ^ 「ワタミ」会長の渡邉美樹氏、髪切りパワハラ? 理事長務める学校の元教師が提訴へ:社会:スポーツ報知
  12. ^ a b 学校の吹き抜けで高1男子が転落死 東京・文京” (日本語). 日本経済新聞 電子版. 2020年7月10日閲覧。

関連項目[編集]