孫小

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孫 小(そん しょう、生没年不詳)は、北魏宦官は茂翹。本貫咸陽郡石安県

経歴[編集]

孫瓚の子として生まれた。父は後秦の安定護軍となったが、赫連勃勃に敗れて殺害され、孫小は捕らえられて去勢された。427年始光4年)、北魏が統万を平定すると、孫小は平城に移され、東宮内侍をつとめた。しばらくして西台中散に転じ、太武帝の征戦のたびに従軍して、しばしば戦功を挙げた。450年太平真君11年)、太武帝が南征して瓜歩に進軍すると、孫小は左衛将軍の号を加えられ、泥陽子の爵位を受けた。451年正平元年)、太武帝が都の平城に帰還すると、孫小は給事中となり、太僕たちをたばねた。後に冠軍将軍・并州刺史として出向し、中都侯の爵位を受けた。郭祚を并州主簿として任用し、書記の職務を委ねた。冀州刺史に転じ、当時の牧伯で及ぶ者がいないと評された。性格は残忍で、養子たちを仇でも見るように鞭打っていたといわれる。

伝記資料[編集]