宇喜多秀監

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宇喜多秀監
時代 江戸時代 後期
生誕 文化9年1月25日1813年1月25日
死没 不明
別名 通称:五郎、作蔵、孫九郎
氏族 宇喜多氏
父母 父:宇喜多秀美、母:モト(平七の娘)
養父:宇喜多秀種
兄弟 秀邑、弥助、孫四郎、秀監、出来蔵、留次郎、アツバ、タカ、シム
セツ(彦三郎の娘)、サト(松平定吉の娘)
秀萃

宇喜多 秀監(うきた ひでかた)は、江戸時代後期の人物。宇喜多秀美の五男。

生涯[編集]

文化9年(1812年)、八丈島に配流された大名・宇喜多氏の嫡家・宇喜多孫九郎家に生まれる。

長兄・秀邑の死後、孫九郎家の家督は半六家から養子に入った秀種が継承したが、後に、秀種が半六家を継承することになり、秀監に孫九郎家の家督が譲られた。

明治2年(1869年)の赦免状に見える宇喜多孫九郎は、秀監の子秀萃(ひでむれ)であることから、それ以前には没したと思われる。

八丈島を離島後、孫九郎家は秀萃に後継男子なく、分家・浮田半平家から秀一(浮田秀典の子)を養子に迎えている。しかし、男子にめぐまれず、家系断絶をあやぶみ、秀萃の娘・春が養女を迎え、浮田忠平家の侍郎(浮田佐武郎の兄)を娶らせて「宇喜多」を名乗らせ、秀一の死後、家督は侍郎の子秀臣が継承している。

参考文献[編集]

  • 立石定夫『戦国宇喜多一族』(新人物往来社、1988年)ISBN 978-4-404-01511-2
  • 近藤富蔵 『八丈実記 第1巻-第7巻』 緑地社、1964-1976。