宇喜多秀親

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宇喜多秀親
時代 江戸時代前期
生誕 寛文9年(1669年
死没 正徳2年10月23日1712年12月4日
別名 通称:孫九郎
戒名 秀顕院法誉雄心居士
氏族 宇喜多氏
父母 父:宇喜多秀正、母:マス(奥山忠次の娘)
兄弟 浮田正忠、女子
イクノ(菊池正武の娘)
秀保(孫九郎)

宇喜多 秀親(うきた ひでちか)は、江戸時代前期の人物。宇喜多秀正嫡男。母は優婆夷宝明神社の神職奥山宮内忠次(奥山忠久の次子)の娘マス。

生涯[編集]

寛文9年(1669年)、八丈島に配流された大名・宇喜多氏の嫡家(宇喜多孫九郎家)の嫡男として生まれる。

父秀高の没後、家督を継承。

その後、地役人菊池正武の娘イクノを娶り、1男秀保をもうける。

元禄17年(1704年)、曾祖父宇喜多秀家の木像を、その胎内に秀家秀高秀正の和歌の直筆、及び法名を納めて、宗福寺に安置する

正徳2年(1712年)、難破船の船員を原因とする天然痘の大流行がおこり、島内で1000人余りの死者を出す。宇喜多7家(孫九郎・忠平・半平・半六・半七・次郎吉・小平治)のうち、秀親を始め、浮田正忠(浮田忠平)・浮田秀心(浮田半平)・浮田継栄(浮田半六)・浮田継真(浮田半七)の5家の当主も天然痘により死去した。

参考文献[編集]

  • 立石定夫『戦国宇喜多一族』(新人物往来社、1988年、絶版)ISBN 978-4-404-01511-2
  • 近藤富蔵 『八丈実記 第1巻-第7巻』 緑地社、1964-1976。