宇土氏

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宇土氏(うとし/うとうじ)は、日本の氏族。肥後国宇土郡本貫として勢力を張った。

紀姓宇土氏[編集]

初期の宇土氏は紀氏の流れを汲んでいたとされ、平安時代から鎌倉時代にかけて勢力を拡大したというが、文献上宇土氏が紀姓を名乗るのは建久6年3月日付の「甲佐所領文書案文」が初例となる。平安時代にはむしろ、旧富合町に拠点を置いていた在郷の肥君系木原氏の勢力下にあったようである。

菊池系宇土氏[編集]

紀姓宇土氏が衰退した後の鎌倉時代の末期、肥後国守護であった菊池氏の一族から、地名を取って宇土と名乗る一族が現れた。

壱岐守宇土高俊は(後入道して道光とも称する)鎌倉時代末期から南北朝時代の人物で、1348年(正平3/貞和4年)正月2日に自領の宇土津へ懐良親王一行を迎えて以来、一貫して南朝方として振る舞い、1352年(正平7/観応3年)の大宰府攻防戦における軍功が認められ、安国寺料所の高樋保(現・菊池市泗水町久米)・長講堂領六ケ庄(現・上益城郡嘉島町六嘉)を得ている。しかし一方では1361年(正平16/康安元年)、恵良惟澄から「郡浦においては道光代に城郭を構え云々」と押領を訴えられているが、郡浦領は当時阿蘇大宮司領、すなわち南朝方の領地である。この時は征西将軍宮懐良親王・肥後国守護菊池武光から押領分の返却が命ぜられているが、高俊は実力でこれを排除し、この後も郡浦庄押領を続けた。

しかし、1370年(応永3/建徳元年)九州探題に補任された今川了俊の九州計略によって、1390年(明徳元/元中7年)9月までには宇土氏は降伏している。だが了俊の降伏者処遇は所領安堵という基本方針だったため、宇土氏の郡浦庄への進出はその後も継続される。

室町時代末期、名和氏の一族ともされる宇土忠豊の養子に菊池持朝の子である為光が入り、宇土為光と名乗った。

為光は野心に溢れる人物で、1484年文明16年)に肥後国人の相良為続と結んで甥の菊池重朝を討とうとするが、赤熊の戦いで重朝軍に敗北、宇土城を棄てて八代の名和顕忠の許へ逃亡した。この縁が元で為光と顕忠は姻戚関係を結んだとみられる。

数年後、押領した郡浦領の返還を条件に、阿蘇氏の斡旋で為光は宇土城に復帰するも、1499年明応8年)に豊福城で再び挙兵し破れる。しかし1501年文亀元年)になって三度叛旗を翻し、菊池武運(後に能運に改名)を玉祥寺原の戦いで破って隈府城を攻略、肥後守護職を簒奪し、宇土氏の最盛期を作り上げた。

だが1503年(文亀3年)、能運の逆襲に遭って敗北、筑後国に逃走したが現地で捕縛され、子重光・孫宮光丸とともに処刑され、菊池系宇土氏はここに滅亡する。

名和系宇土氏[編集]

菊池系宇土氏の滅亡後、宇土城には菊池氏家臣の城為冬が城代として入城する。しかし1504年(文亀4/永正元年)、肥後守護菊池能運の急死に伴う混乱に際し為冬は宇土城を棄て本国へ帰還した。こうして空き城となった宇土城へ入城するのが、宇土為光の娘婿であった名和顕忠である(名和系宇土氏初代)。以後対外的には「宇土殿」と称されるが、宇土氏を自称するのは天文22年5月21日付後奈良院口宣案写から、名和系宇土氏3代の名和行興まで下るとみられる。

顕忠は先に阿蘇氏へ割譲された郡浦庄の回復を試みているが、阿蘇氏の抵抗を排除することができないままに推移し、郡浦支配が達成出来るのは1550年(天文19年)、行興の代まで待たねばならなかった。

宇土入城以前の名和氏は相良氏との抗争の過程で八代郡を失い、僅かに益城郡守富庄のみを有する状態であったため、宇土郡東部及び益城郡での活動が主となる。中でも最大の争点となったのが、益城郡豊福庄にあった豊福城をめぐる抗争であった。この城をめぐって相良氏と、約80年間に合計9回も所有権を奪い合っている。

名和系宇土氏は以後4代行憲・5代行直を経て、戦国時代末期、1587年(天正15年)の九州征伐に際して6代顕孝は豊臣秀吉に降伏し、所領を安堵されるが、同年に生じた肥後国人一揆に際して中立を保ったため、秀吉の嫌疑を恐れた名和顕孝は自ら大坂へ赴いて弁明すべく、弟の顕輝を宇土城代とした。その顕輝は、翌1588年(天正16年)4月に、肥後鎮圧に来た秀吉軍からの城明け渡し要求を拒否して篭城するが敗れ、城外へ逃れるも捕えられ殺害されて、名和系宇土氏はここに滅びる。

系譜[編集]

実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
宇土忠豊
 
 
 
為光[1]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
重光
 
 
 
名和顕忠
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宮満丸武顕
 
 
 
宇土行興
 
 
 
行憲
 
 
 
行直
 
 
 
 
 
 
 
 
 
顕孝顕輝
  1. ^ 菊池持朝の子。

関連項目[編集]