宇文忠之

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宇文 忠之(うぶん ちゅうし、生没年不詳)は、東魏官僚本貫河南郡洛陽県

経歴[編集]

宇文侃の子として生まれた。文章や歴史に通じて、太学博士を初任とした。534年、東魏が建国されると、中書侍郎に任ぜられた。裴伯茂が忠之の同僚であったが、いつも忠之のことをあなどり、忠之が色黒であったために「黒宇」と呼んでいた。後に忠之は国史の修撰にあたった。538年、通直散騎常侍を兼ね、副使の鄭伯猷をともなって南朝梁への使者に立った。543年、修国史のまま安南将軍・尚書右丞となった。しばらくして事件に連座して免官された。官爵を失ってから怏々として楽しまず、病をえて没した。

子に宇文君山があった。

伝記資料[編集]