守山市 (愛知県)
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もりやまし 守山市 | |
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廃止日 | 1963年2月15日 |
廃止理由 |
編入合併 |
現在の自治体 | 名古屋市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
面積 | 33.99km2. |
総人口 |
67,786人 (1963年) |
守山市役所 | |
所在地 | 愛知県守山市大字守山字茶臼15番地[1] |
座標 | 北緯35度11分48.6秒 東経136度57分18.9秒 / 北緯35.196833度 東経136.955250度座標: 北緯35度11分48.6秒 東経136度57分18.9秒 / 北緯35.196833度 東経136.955250度 |
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守山市(もりやまし)は、かつて愛知県に存在した市。現在の名古屋市守山区に該当する。昭和の大合併で、愛知県では唯一廃止された市である[注 1]。名古屋市のベッドタウンとして発展したが、守山市が誕生してすぐに名古屋市と合併の動きがあり、市として存在した期間は9年程である。
庄内川、矢田川沿いに位置し、東部は標高100m前後の丘陵地帯である。「守山」は「森山」が転じた地名と推測され[注 2]、近世以前は「森山」と表記される文献もある。
同名の市として滋賀県守山市があるが、滋賀県守山市は1970年に市制施行であり、重複とはなっていない。
歴史[編集]
- 戦国時代初期、尾張国山田郡が分割され、春日井郡と愛知郡に編入される[注 3]。
- 1521年(大永元年) - 松平信定により、守山城が築かれる[2]。
- 1535年(天文4年) - 三河国岡崎城主・松平清康が、守山城で家臣の阿部正豊に暗殺される[2](森山崩れ)。
- 江戸時代、この地域は尾張国春日井郡であり、尾張藩領であった[3]。
- 1878年(明治11年) - 大森垣外村と牛牧村が合併し、大森垣外村となる[4]。
- 1880年(明治13年)2月5日 - 春日井郡が東春日井郡と西春日井郡に分割され、この地域は東春日井郡となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 -
- 1897年(明治30年) - 旧日本陸軍第3師団第5旅団歩兵第33連隊が名古屋市中区から移駐。
- 1906年(明治39年)7月16日 - 二城村、高間村、大森村、小幡村が合併し町制施行。守山町となる[2]。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 東春日井郡志段味村を編入。即日市制施行し、守山市となる(愛知県下18番目の市)[2]。
- 1963年(昭和38年)2月15日 - 名古屋市に編入される(名守合併)。名古屋市13番目の区の守山区となる[2]。
名古屋市への編入への経緯[編集]
- 1951年(昭和26年)、当時の守山町長により、守山町は市制移行事項を議会に提案し可決される。1953年(昭和28年)には守山町、旭町、志段味村の2町1村での合併、市制が計画される。しかし、旭町は単独市制を望み離脱[注 4]。そのため、守山町と志段味村とで合併し、守山市となる。
- 1955年(昭和30年)、第1回市議会議員選挙の結果、名古屋市との合併を推進する議員多数を占めることとなる。また、住民からも名古屋市との合併を望む声が多かったため、1960年(昭和35年)に住民投票を実施して合併の賛否を問うことが決定する。しかし、1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風の被災復興のため、延期となる。
- 1961年(昭和36年)10月、住民に世論調査を行い、名古屋市との合併に賛成が81.94%に及ぶ。この結果を踏まえて、1962年(昭和37年)1月に守山市は名古屋市への合併を申し入れる。同年9月に名古屋市議会は合併受け入れを議決する。
市長[編集]
- 加藤千一(1954年6月1日 - 1955年2月 前・守山町長)
- 黒田毅(1955年2月 - 1963年2月14日)
教育[編集]
大学[編集]
高校[編集]
- 愛知県立緑丘商業高等学校(現・愛知県立緑丘高等学校)
- 守山女子商業高等学校(現・菊華高等学校)
中学校[編集]
- 守山市立守山中学校(現・名古屋市立守山中学校)
- 守山市立守山東中学校(現・名古屋市立守山東中学校)
- 守山市立守山西中学校(現・名古屋市立守山西中学校)
- 守山市立志段味中学校(現・名古屋市立志段味中学校)
小学校[編集]
- 守山市立大森小学校(現・名古屋市立大森小学校)
- 守山市立小幡小学校(現・名古屋市立小幡小学校)
- 守山市立守山小学校(現・名古屋市立守山小学校)
- 守山市立廿軒家小学校(現・名古屋市立廿軒家小学校)
- 守山市立鳥羽見小学校(現・名古屋市立鳥羽見小学校)
- 守山市立瀬古小学校(現・名古屋市立瀬古小学校)
- 守山市立志段味東小学校(現・名古屋市立志段味東小学校)
- 守山市立志段味西小学校(現・名古屋市立志段味西小学校)
公共機関など[編集]
- 国立療養所志段味荘(現・国立病院機構東尾張病院)
- 守山市立守山市民病院(現・名古屋市立東部医療センター守山市民病院→守山いつき病院)
- 守山警察署
- 自衛隊守山駐屯地
交通[編集]
鉄道[編集]
名所・旧跡[編集]
出身有名人[編集]
脚注[編集]
注[編集]
- ^ 愛知県では、平成の大合併で尾西市が廃止されている。
- ^ 江戸時代に記された「尾張国地名考」には、続日本紀に『和銅3年正月初て守山戸を充て諸山の木を伐ことを禁むとあれば爰も古へ山守を置かれたる所歟。』との記述があり、これが「守山」の地名の由来としているが、定かではない。
- ^ 山田郡分割時期は不明。1496年(明応5年)の文献には山田郡の名は記載されているが、1524年(大永4年)の文献には山田郡の名は記載されていないこと、太閤検地では山田郡は記載されていない事から、1500年頃と推測される。
- ^ 旭町は1970年(昭和45年)12月1日に単独で市制施行。尾張旭市となる。
- ^ 1944年休止、1969年廃止
- ^ かつては瀬古駅が存在したが、1942年4月1日以前に廃止。
- ^ 名古屋市守山区となった後の1964年(昭和39年)4月1日に新守山駅が開業であるが、守山市であった1959年(昭和34年)1月には、地元住民による守山駅設置地元対策協議会が発足し、守山市議会には中央線守山駅対策委員会が組織され、1960年(昭和35年)に建設が開始される。
出典[編集]
- ^ 愛知県守山市役所 1963, p. 奥付.
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1989, p. 1341.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1989, p. 1340.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1989, p. 297.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1989, p. 1024.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1989, p. 785.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1989, p. 296.
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 『守山市史』愛知県守山市役所、愛知県守山市役所、1963年2月1日(日本語)。全国書誌番号:63003506。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- マイホームタウン守山 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)(守山歴史散歩)