安田富男

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安田富男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1947-10-07) 1947年10月7日(73歳)
身長 150cm(引退時)
体重 51kg(引退時)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 中山美浦・加藤朝治郎(1968年-1981年)
美浦・加藤修甫(1981年-1985年)
美浦・フリー(1985年-2001年)
初免許年 1968年
免許区分 平地競走障害競走
騎手引退日 2001年9月2日
重賞勝利 38勝(うち地方交流1勝)
G1級勝利 1勝
通算勝利 8293戦752勝
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安田 富男(やすだ とみお、1947年10月7日 - )は、千葉県船橋市出身の騎手評論家

オッズの低い騎乗馬でしばしば好走を見せ、「穴男」、「泥棒ジョッキー」などと称された。史上初めてJRA全10場において重賞を勝利した記録も持つ。

経歴[編集]

少年時代[編集]

生い立ち[編集]

男3人、女1人の四人兄弟の次男で、父は香具師ブリキ職人などをして生計を立てていた。小学生の時から授業をさぼっては悪さをし、悪友たちと入場料を払わないで遊園地に入って遊ぶために、いつも船橋競馬場の横を通っていたという。そこで知り合った厩務員が小さな体を見て「騎手にならないか」と勧誘を受けた[1]

函館孫作(1947年)

船橋で調教師をしていた函館孫作の目にも留まり、実家まで函館がスカウトに来たという。学校よりも面白そうだと思った安田は、函館厩舎で働いた。しかし、従来のさぼり癖から1週間で飽きてしまい、辞めざるをえなくなる。この時に騎手になるなら中央がいいだろうという人より、近所にいた馬主の紹介を受け[2]、中学在籍時より母の知り合いであった中山競馬場の加藤朝治郎厩舎に住み込みで働くことになる[3]。船橋の時とは違い厩舎から中学に通うようになったが、「テレビを見ながら白いご飯を食べられるのが嬉しかった」ため辛抱ができたという[4]

馬事公苑入所[編集]

中学校でも相変わらず授業をサボるもなんとか卒業し[5]1963年4月馬事公苑騎手養成長期課程に第14期生として入所した。身長は115cm、体重は28kgと非常に小柄な体での入所であった[6]。同期生には小島太田島良保目野哲也池上昌弘平井雄二らがいる。1つ下の福永洋一柴田政人岡部幸雄伊藤正徳らが「花の15期生」と呼ばれて脚光を浴びるようになった時、安田らは自分たちを「ずっこけ14期生」と呼んでいたという。エリートやスターや優等生が並ぶ後輩たちとは対照的に、やんちゃな面々が揃う14期生の中で一番ずっこけていたのは安田であったという[7]。入学後は授業を真面目に受けないなど不真面目な面があり、小柄過ぎたために成長を待たされたこともあって、騎手免許を取得したのは小島・田島から2年遅れの1968年であった[6]

騎手時代[編集]

同期では他にも池上が1年遅れの1967年、平井が3年遅れの1969年に騎手デビューを果たした。初年度は14勝、2年目の1969年は26勝と最初こそ順調な出だしであった[8]

1970年代[編集]

初年度の成績に慢心したことで、1970年以降4年間は1桁の勝利数を続けて低迷[8]。騎乗依頼も目立って減っていき、2年目には308あった騎乗回数は、4年目の1971年は67回、5年目の1972年は70回という有り様であった[9]。騎手になると「酒と女」がモチベーションとなり、新人の時にはすでに「夜の人気者」となっていたという。安田曰く「初騎乗の時には、お姉ちゃんが20人ぐらい来ていて『とみおちゃーん』って言うから、手をふったら、競馬会から怒られてね」と振り返っており[10]、ローカル開催では長期滞在をさせてもらえず、朝まで飲んでいて調教中に馬上で寝ていたこともあった[11]。遊び癖から借金も作ってしまい、取り立てが仕事場にも来るようになってほか、家財道具を売り払うなど生活も困窮。不安に駆られた安田は「デタラメな自分に何か規律を与えるものを」との思いで本格的に創価学会の信仰に取り組むようになり[12]、平地競走に専念し始めた1974年には14勝とデビュー年の勝利数に戻して復活。同年4月にはノボルトウコウ小倉大賞典を制して重賞初勝利も挙げた。

GIジョッキーに[編集]

1976年には菊花賞グリーングラスに騎乗し、単勝12番人気ながらテンポイントトウショウボーイクライムカイザーといった強豪を破って優勝。生涯唯一のGI級レース及び八大競走制覇を果たし、これが唯一の京都競馬場での重賞勝ちとなった。安田は「菊花賞に乗れる可能性がある」だけで有頂天になり、菊花賞と同じ日には東京で主戦を務めてきたプレストウコウが特別レースに出走を予定していたが、二者択一を迫られた安田はグリーングラスを選んだ[13]。まだ出走が確定していない4日前の11月10日に自宅に友人知人10数人を集め、菊花賞の前祝いでどんちゃん騒ぎをやったという[14]。部屋には色とりどりの菊の花が飾られ、築地から魚を仕入れて板前も呼ばれた。本番当日は前日夜半にかなり降った雨による馬場の悪化に密かな希望を抱く。早朝に自らの足で芝コースを歩いて緩み具合を確認し、競馬開始後は関係者席から各レースの馬や騎手の動きを凝視した[15]。この年に初めて30勝台となる31勝を挙げ、全国18位に躍進。

それから年によってばらつきはあったが、着実に勝ち星を伸ばして成績も安定していく[16]。以降は関東の中堅騎手として定着し、主にローカル開催を中心に騎乗を続けた。1977年に8番人気のミトモオーで新潟記念を制すると、1978年クイーンカップを最低人気のキクキミコで勝利した。

1980年代[編集]

1981年には当時の一流馬が顔を揃えた毎日王冠を9番人気のジュウジアローで追い込んできてファンを呆然とさせたという[17]。1981年には師匠の加藤朝治郎が亡くなったため、息子の加藤修甫厩舎に所属。12歳年上の修甫は安田を弟のように可愛がったが、何かにつけて反抗的な態度をとる安田を殴って叱ることもあった[18]1982年には朝日杯3歳ステークスを7番人気のニシノスキーで制してGI級レース2勝目、1984年阪神4歳牝馬特別を8番人気のダイナシュガーで制すなど伏兵馬で重賞を勝っていった[19]1985年からはフリーとなるが、有力馬の依頼が増えた1987年には自己最高の59勝を挙げて全国8位に付け、生涯唯一のベスト10入りも経験した。GIでもユーワジェームスで菊花賞3着・有馬記念2着、アサカツービートで天皇賞(秋)3着であった。1988年スプリングステークスに勝って5戦4勝のモガミナインが皐月賞で1番人気になるも6着、東京優駿も7着に終わった[20]。1987年にはロータリーザハレーで函館タマツバキ記念を制し、JRA全10場中9場目の重賞勝利を挙げる。1989年京成杯では、スピークリーズンに騎乗し勝利、平成初のJRA関東地区重賞競走勝利騎手となった。

1990年代[編集]

競走後にはファンから「富男」コールで祝福され、シーズン終了後には東京競馬記者クラブ賞特別賞を受賞した。1993年にはユキノビジン桜花賞優駿牝馬ともにベガの2着に入り、二冠牝馬の引き立て役になった[21]。1996年にはノーブルグラス札幌スプリントステークスを制し、史上初となるJRA全場重賞勝利を達成した(後述)。1997年にはシルクライトニングで皐月賞2着に入るが、東京優駿でスタート直前に落鉄して発走除外[22]1999年大崎昭一が引退したことに伴い現役最年長騎手となったが、晩年は肝臓を患って酒を控えながら騎乗を続けていた[23]

2001年夏に引退を表明し、同年9月2日付で騎手を引退。当日は第2回最終日の新潟競馬場で騎乗し、午前中に2勝を挙げたほか、昼休みには引退式が行われた。第4競走3歳未勝利・バンダムプレジャーが最後の勝利となり、第11競走新潟2歳ステークス・メイセイプリマが最後の騎乗となった(10頭立ての8着)。通算8293戦752勝。

引退後[編集]

引退翌日の9月3日競馬予想会社「シンクタンク」情報ルートに就任。デイリースポーツ評論家としても活動していたが、「やはり馬に関わる仕事がしたい」と一念発起。栃木県那須郡那須町の「貴悦牧場」で場長などをしながら経験を積み、ノウハウを得て独立。那須塩原市地方競馬教養センター内に競走馬の育成牧場「TOMY」を開設し[24]、夫人と従業員2人を合わせた4人で運営している。南関東認定厩舎(外厩)にも認定されており、何頭か管理もしている。2014年には脳梗塞で倒れたが、現在は回復している。

史上初のJRA全場重賞制覇[編集]

1996年にはノーブルグラス札幌スプリントステークスに優勝し、史上初のJRA全場重賞勝利を達成。国営競馬時代の1952年中京競馬場が開場されて全部10場が整備されて以来初めての記録であり[25]、夏場を除き、トップ騎手は大競走が多く組まれる東京・中山・京都・阪神に騎乗が集中することが多いため、自ら「この記録は有名人じゃできないでしょう。脇役じゃないとね。だから、落ちこぼれの勲章ですよ。」と語っている[26][注釈 1]。なお10場制覇のうち、重賞初勝利を挙げたノボルトウコウ一頭で3場分の勝利を挙げている。同馬は当時から安田のお気に入りの馬で、引退後に種牡馬となった際には、産駒の馬主と中央での受け入れ先厩舎を確保するため、関係者に依頼して回った[27]。自身も「忘れられない馬」と語っている[28]

勝利年 施行場 競走名 優勝馬名
1996年 札幌 札幌スプリントステークス ノーブルグラス
1987年 函館 タマツバキ記念 ロータリーザハレー
1975年 福島 七夕賞 ノボルトウコウ
1974年 新潟 関屋記念 ノボルトウコウ
1978年 中山 クイーンカップ キクキミコ
1976年 東京 目黒記念(春) ハクバタロー
1975年 中京 中日新聞杯 サンポウ
1976年 京都 菊花賞 グリーングラス
1984年 阪神 報知杯4歳牝馬特別 ダイナシュガー
1974年 小倉 小倉大賞典 ノボルトウコウ
  • それぞれの競馬場の重賞初勝利時のみを記載する。

成績[編集]

騎乗成績[編集]

区分 1着 2着 3着 4着以下 出走数 勝率 連対率
1968年 平地 13 4 19 90 121 .107 .140
障害 1 4 7 12 24 .042 .208
14 8 26 102 145 .096 .152
1969年 平地 24 21 44 188 277 .087 .162
障害 2 2 4 23 31 .065 .129
26 23 48 211 308 .084 .159
1970年 平地 3 4 9 88 104 .029 .067
障害 2 2 4 15 23 .087 .174
5 6 13 103 127 .039 .087
1971年 平地 3 2 6 54 65 .046 .077
障害 0 0 0 2 2 .000 .000
3 2 6 56 67 .045 .076
1972年 平地 7 6 3 54 70 .100 .186
1973年 平地 7 14 16 98 135 .052 .156
障害 1 0 1 3 5 .200 .200
8 14 17 101 140 .057 .157
1974年 平地 14 16 13 155 198 .071 .152
1975年 平地 26 22 16 131 195 .133 .246
1976年 平地 31 26 31 176 264 .117 .216
1977年 平地 16 19 17 149 201 .080 .174
1978年 平地 28 27 23 143 221 .127 .249
1979年 平地 19 21 29 161 230 .083 .174
1980年 平地 25 43 37 173 278 .090 .245
1981年 平地 25 18 23 168 234 .107 .184
1982年 平地 34 24 19 178 255 .133 .227
1983年 平地 43 33 34 220 330 .130 .230
1984年 平地 37 41 38 253 369 .100 .211
1985年 平地 32 45 37 250 364 .088 .211
1986年 平地 40 43 46 250 379 .106 .219
1987年 平地 59 38 44 256 397 .149 .244
1988年 平地 36 42 40 289 407 .088 .192
1989年 平地 28 26 23 198 275 .102 .196
1990年 平地 9 11 17 166 203 .044 .099
1991年 平地 21 27 27 167 242 .087 .198
1992年 平地 24 15 14 131 184 .130 .212
1993年 平地 19 26 21 169 235 .081 .191
1994年 平地 24 20 18 177 239 .100 .184
1995年 平地 20 23 24 202 269 .074 .160
1996年 平地 26 19 23 280 348 .075 .129
1997年 平地 22 24 28 242 316 .070 .146
1998年 平地 17 25 24 247 313 .054 .134
1999年 平地 10 13 17 246 286 .035 .080
2000年 平地 4 9 13 160 186 .022 .070
2001年 平地 6 9 8 80 103 .058 .146
平地 752 756 796 5,989 8,293 .091 .182
障害 6 8 16 55 85 .071 .165
総計 758 764 812 6,044 8,378 .090 .182
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1968年3月9日 3回中山4日1R 4歳未勝利 ハギラツキー 10 9 10着
初勝利 1968年3月16日 3回中山6日3R 4歳以上50万下 ホースワン 7 6 1着
重賞初騎乗 1969年4月6日 2回中山4日11R アラブ王冠・春 キビタキ 10 10 7着
重賞初勝利 1974年4月14日 1回小倉8日8R 小倉大賞典 ノボルトウコウ 15 1 1着
GI級初騎乗 1975年12月14日 5回中山6日9R 有馬記念 ノボルトウコウ 13 11 9着
GI級初勝利 1976年11月14日 5回京都4日9R 菊花賞 グリーングラス 21 12 1着

主な騎乗馬[編集]

※括弧内は安田騎乗時の優勝重賞競走、太字はGI級レース、斜体は当時統一格付けのない地方競馬主催の交流競走。

著書[編集]

  • 『泥棒ジョッキー・安田富男の競馬に勝つ!』(KKベストセラーズ、1991年)
  • 『安田富男のジョッキーぶった斬り!』(イーストプレス、2004年)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、安田はノーブルグラスで札幌スプリントSを制するよりも先に、カリブソング1994年ブリーダーズゴールドカップ(札幌)を制していたが、同競走の主催者はJRAではなくホッカイドウ競馬であったため、全場勝利には算入されていない。

出典[編集]

  1. ^ 江面弘也「昭和の名騎手」三賢社、2020年4月30日、ISBN 4908655162、p177
  2. ^ 江面、p177
  3. ^ 木村 p.85
  4. ^ 江面、p178
  5. ^ 江面、p178
  6. ^ a b 木村 p.85
  7. ^ 江面、p178
  8. ^ a b 木村 pp.87-88
  9. ^ 江面、p179
  10. ^ Number978号「日本ダービー革命元年」『ダービーB面史 元年ダービーあの人は、今。』、2019年5月16日文藝春秋
  11. ^ 江面、p179
  12. ^ 木村p.88
  13. ^ 江面、p180
  14. ^ 江面弘也「名馬を読む2」三賢社、2019年8月30日、ISBN 4908655146、p112
  15. ^ 思い出のグリーングラス 菊花賞の狙い方(3)
  16. ^ 江面、p181
  17. ^ 江面、p181
  18. ^ 江面、p181
  19. ^ 江面、p181
  20. ^ 江面、p182
  21. ^ 江面、p182
  22. ^ 江面、p183
  23. ^ 江面、p183
  24. ^ Horseman's Room (9) (PDF)” (日本語). ブルーインベスターズ (2009年6月10日). 2012年9月20日閲覧。
  25. ^ 安田の後、1997年武豊2004年藤田伸二2016年横山典弘2018年秋山真一郎が全場重賞制覇を達成している。
  26. ^ 優駿』1996年9月号 p.57
  27. ^ 更級 pp.180-181
  28. ^ 優駿、p.56

参考文献[編集]

  • 更級四郎『馬ものがたり』(講談社、1992年)ISBN 4062061708
  • 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896912982
  • 『優駿』1996年9月号(日本中央競馬会)「優駿・ロングインタビュー 安田富男 - 落ちこぼれの勲章」