安藤信馨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安藤信馨
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和5年10月27日1768年12月5日
死没 文化9年10月22日1812年11月25日
改名 勝蔵(幼名)→信馨
別名 林又三郎(通称)、重馨
戒名 慈光院殿正円魏山口宗大居士
墓所 東京都杉並区永福の栖岸院
官位 従五位下、従四位下、伊勢守、長門守、
対馬
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
陸奥磐城平藩
氏族 安藤氏
父母 父:安藤信成
兄弟 信厚信馨、信邦
正室:久世広誉の娘
継室:内藤信凭の娘
信発信由
養子:信義
養女安藤信厚娘、久留島通嘉正室)

安藤 信馨(あんどう のぶきよ)は、陸奥磐城平藩の第2代藩主。安藤家第7代。重馨(しげきよ)とも。

生涯[編集]

明和5年(1768年)10月27日、磐城平藩主安藤信成の次男として生まれる。兄の信厚が廃嫡されたため、世子となる。文化7年(1810年)の父の死去で家督を継いだ。しかしほどなく、文化9年(1812年)10月22日に死去した。享年45。

長男の信発が早世し、五男の信由も当時まだ幼少だったため、兄・信厚の長男の信義を養子として跡を継がせた。