
安達了一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリックス・バファローズ #3 | |
---|---|
![]() 2020年8月9日 京セラドーム大阪にて | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 群馬県高崎市 |
生年月日 | 1988年1月7日(33歳) |
身長 体重 |
179 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手(主に遊撃手) |
プロ入り | 2011年 ドラフト1位 |
初出場 | 2012年5月12日 |
年俸 |
9,000万円(2020年)[1] ※2019年から3年契約。 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
安達 了一(あだち りょういち、1988年1月7日 - )は、オリックス・バファローズに所属する群馬県高崎市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
高崎市立北小学校では少年野球チームには所属せずソフトボール少年であった。高崎市立第一中学校入学後に軟式野球を始め、主に捕手、外野手としてプレーしたが、内野を守ること[2]もあった。中学3年では同校が平成4年に全国準優勝した時以来の県大会出場を果たした。(県大会ベスト8)。群馬県立榛名高等学校時代は、1年時から三塁手のレギュラーに定着。2年時の秋から主将となり、遊撃手となる。3年時の夏は、群馬大会4回戦で敗退[2]。高校時代は盗塁をしていなかった[3]。
高校卒業後は、関甲新学生野球連盟に加盟している上武大学に進学。3年時の秋に打率.394と最高出塁率.535の好成績を残し、MVPとベストナインを受賞。4年時にはクリーンナップを務め、春には首位打者(.425)、最多本塁打(4本塁打)、最多打点(17打点、リーグタイ記録)の三冠に輝く[4]。夏には大学日本代表候補強化合宿にも招集され、秋の第40回明治神宮野球大会では4番として同校の準優勝に貢献したが、ドラフトでの指名は無かった[2]。
大学卒業後の2010年に東芝へ入社すると、1年目からレギュラーに定着。第81回都市対抗野球大会では、1番・遊撃手として打率.391を記録し、同チームの優勝に貢献。新人王にあたる若獅子賞を受賞した。2年目の2011年は第39回IBAFワールドカップメンバーに選ばれるが第1ラウンド敗退[2]。連覇のかかった第82回都市対抗野球大会では、10月27日に日本生命との2回戦で逆転負け。自身も海田智行の前に3打数無安打と抑え込まれた[2]。しかし、試合終了から数時間後に開かれたNPBドラフト会議で、試合会場の京セラドーム大阪を本拠地に用いるオリックス・バファローズから1巡目で指名。高橋周平への指名重複による抽選で独占交渉権を逃した末の再指名だったが、本人はドームから宿舎に戻るバスの中で、チームメイトから指名を知らされたという[2][4]。背番号は、東芝時代と同じ3[2]。
オリックス時代
2012年、春季キャンプで右手親指付け根を骨折した[5]影響で、開幕を二軍で迎えた。5月10日に一軍昇格を果たすも打撃不振とウイルス性胃腸炎で二軍落ち。2度目の昇格後の7月7日の対ロッテ戦でようやくプロ入り初打点・初安打を記録した。その後も腰痛を抱える大引啓次に代わって遊撃手として先発出場することもあったが、守っては自身の悪送球から失点を招いたり、走塁では一塁への帰塁の際に二塁ベースを踏み忘れアウトになるなどミスが目立ち[6]、9月17日に二軍降格。9月30日に一軍へ再び昇格すると、終盤戦で活躍した。10月7日の西武戦で初の猛打賞、翌8日の福岡ソフトバンクホークス戦での適時打でシーズン最終打点を記録した。この年は同期入団の川端崇義がシーズンを通じて一軍で活躍したが、安達自身は一軍公式戦で50試合の出場で、打率.159、4打点と低調。ウエスタン・リーグの公式戦では、34試合の出場で、打率.269、2本塁打11打点を記録した。
2013年は森脇浩司監督のもとでキャンプから積極的に起用され二番・遊撃で自身初の開幕スタメンに抜擢された。4月5日の西武戦では、岸孝之からプロ入り初本塁打を放った。 シーズン序盤から中盤にかけては山本和作と併用が続き守備固めでの出場も多かったが夏場からはショートのレギュラーに定着。131試合に出場し打率.235、本塁打5本、糸井嘉男に次いでチーム2位となる16盗塁を記録した。
2014年、一軍公式戦143試合に出場するとともに、チームのパシフィック・リーグ優勝争いに貢献。リーグ5位の29盗塁を記録した。
2015年、一軍公式戦139試合の出場で、自己最多の11本塁打・55打点を記録。一軍選手の戦線離脱が相次いだチーム状況の下で、一軍公式戦への出場試合数が2年続けてチームトップに達したが、盗塁数は16、打率は.239にとどまった。
2016年、自主トレーニング期間中の1月23日に、潰瘍性大腸炎で緊急入院。春季キャンプ期間中の2月10日に退院した後は、キャンプに合流せず、単独でリハビリに専念した[7]。公式戦開幕直後の4月上旬には、ウエスタン・リーグのデーゲームでフル出場が可能になるまでに体調が回復。同月12日には、シーズン初の出場選手登録を経て、日本ハムとのナイトゲーム(京セラドーム大阪)にスタメンで一軍復帰を果たした[8]。復帰後は、前年に続いて正遊撃手に定着するとともに、一軍公式戦118試合の出場でプロ入り後自己最高の打率.273を記録。22試合へ出場した7月には、月間通算の安打数(30安打)と打率(.380)がいずれもパ・リーグで最高だったことから、自身初のリーグ月間MVPを受賞した[9]。
2017年、2年振りに公式戦を一軍でスタート。一時は「3番・遊撃手」に固定されたが、5月第2週終了時点でリーグ規定打席到達者の最低打率(.170)を記録するなど、打撃面で不振を極めた[10]。遊撃守備中の打球処理に支障を来すほどの体調不良も重なったため、5月中旬には一時、出場選手登録を抹消された[11]。その後再び一軍に昇格し、「3番・遊撃手」で出場した6月2日の対巨人戦(東京ドーム)では、決勝ホームランを含む4安打の活躍でヒーローインタビューを受けている。一軍公式戦には、通算で109試合へ出場。打率は.203ながら、前年1本だった本塁打は3本にまで増えた。「1番・遊撃手」に起用された9月20日の対楽天戦(Koboパーク宮城)では、シーズン2度目の猛打賞などで攻守にわたってチームの勝利に貢献したことから、試合後にヒーローインタビューを受けている[12]。しかし、この試合の1週間後(9月27日)に、潰瘍性大腸炎が再燃していることが病院の検査で判明。再び登録を抹消されると、シーズン最終盤の10月2日まで入院した[13]。
2018年、一軍公式戦の開幕から戦線を離脱することなく、正遊撃手として140試合に出場。主に下位打線を担いながら、チームトップの20盗塁を記録したが、打率は.219にとどまった。しかし、守備面で高い評価を得たことなどから、オールスターゲームのパ・リーグのプラスワン投票で2位に選ばれた。1位の大田泰示(日本ハム)が故障で出場を辞退したため、大田の補充選手として、7月13日に京セラドーム大阪で催された第1戦に「9番・遊撃手」としてスタメンで初出場。2回裏の第1打席で初安打と初盗塁を決める[14]と、遊撃の守備でもジャンピングキャッチなどのファインプレーを披露した[15]。シーズン終了後には、球団との間で、翌2019年からの3年契約を締結。契約更改後の記者会見では、「病気(潰瘍性大腸炎)を抱えて(チームに)迷惑を掛けたので、複数年(契約)はありがたい」という表現で、早ければ同年中に取得予定の国内FA権を行使せずにチームへ残留する意向を示した[16]。
2019年、一軍公式戦の開幕から「9番・遊撃手」としてスタメンに起用されたが、開幕5試合を終えた時点で8打数無安打3失策と不振を極めたため、4月4日に出場選手登録を抹消[17]。さらに、「野球生活では初めて」という左太腿裏の肉離れを抹消中に発症したため、1ヶ月もの戦線を離脱した[18]。セ・パ交流戦終盤の6月14日から一軍に復帰。抹消中には大城滉二が正遊撃手へ定着していたが、「一軍の正三塁手が定まっていない」というチーム事情を踏まえて、復帰後は主に三塁を守っていた[19]。6月23日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)10回表の打席では、小田裕也に続いて三塁打をマーク。後続打者の後藤駿太と福田周平も三塁打を放ったことから、公式戦では日本プロ野球史上2回目(1950年以降の2リーグ制では初めて)の1イニングチーム4三塁打を達成した[20]。8月には月間打率.292を記録したほか、6日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で一軍公式戦434日振りの本塁打を放つ[21]など好調だった。同月の中旬から体調を崩した[22]影響で、9月にも一時戦線を離脱した[23]ため、一軍公式戦への出場は56試合にとどまった。この年で3年契約の1年目を終えたが、シーズン終了後に現状維持(推定年俸9,000万円)という条件で契約を更改[24]。
![]() |
2021年3月5日、DeNAとのオープン戦前に体調不良を訴え、PCR検査を実施したところ、新型コロナウイルスの陽性判定を受けた[25]。14日に10日間の隔離期間を終え、再度のPCR検査で陰性の結果が出たため、16日に二軍練習に合流した[26]。
選手としての特徴
守備
オリックス入団後のインタビューで「周囲の人からは『(遊撃以外のポジションを守るなど)幅を広げた方が良い』と言われるが、自分は『野球を長く続けたい』というより、『ショート(遊撃)を守りたい』という思いが強い」「『ショートを守れなくなったらもう引退しようかな』と思っている」と語るほど、「遊撃手」というポジションへのこだわりが強く[27]、堅実かつ大胆なプレーと守備力の高さに定評がある[28]。 UZRは2015年に遊撃手として29.0を記録[29]。潰瘍性大腸炎を発症した2016年以降のシーズンも、14.8→11.6→9.4と高い水準で推移している[30]。2019年の公式戦では、大城が正遊撃手を務めていた関係で、三塁の守備に就く機会も多かった。
打撃
右打席から左方向へと長打を放つなどの意外性が魅力だが、潰瘍性大腸炎を発症した2016年シーズンを境に、長打率が.323→.278→.277と低下。また、以前はIsoDの値が比較的高かったが、2016年頃からは早打ちの傾向が見られる。
オリックスでは安達が入団してからの一軍公式戦で1安打完封負けを4回(2014年・2019年に各1回、2020年に2回)喫しているが、安達はいずれの試合でもチーム唯一の安打を放っている(上記の4例目に該当する2020年9月11日の対ロッテ戦終了時点)[31]。
人物
2014年には、1月18日に、福岡県出身で3歳年下の一般女性と結婚した。9月12日には、自身と同じ群馬県出身のチームメイト(中山慎也・小島脩平・後藤駿太)と共に、同県から「ぐんま観光特使」を委嘱。2016年1月31日で任期を満了するまで務め上げた[32]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | オリックス | 50 | 103 | 88 | 8 | 14 | 5 | 0 | 0 | 19 | 4 | 2 | 2 | 6 | 2 | 7 | 0 | 0 | 23 | 0 | .159 | .216 | .216 | .432 |
2013 | 131 | 470 | 395 | 52 | 93 | 13 | 2 | 5 | 125 | 30 | 16 | 5 | 38 | 1 | 27 | 1 | 9 | 80 | 4 | .235 | .299 | .316 | .615 | |
2014 | 143 | 601 | 486 | 73 | 126 | 13 | 5 | 8 | 173 | 50 | 29 | 10 | 45 | 4 | 58 | 0 | 8 | 79 | 8 | .259 | .345 | .356 | .701 | |
2015 | 139 | 593 | 506 | 57 | 121 | 16 | 3 | 11 | 176 | 55 | 16 | 15 | 29 | 4 | 48 | 0 | 6 | 68 | 11 | .239 | .310 | .348 | .658 | |
2016 | 118 | 488 | 403 | 51 | 110 | 15 | 1 | 1 | 130 | 34 | 6 | 6 | 35 | 4 | 42 | 0 | 4 | 53 | 4 | .273 | .344 | .323 | .667 | |
2017 | 109 | 380 | 316 | 40 | 64 | 9 | 3 | 3 | 88 | 26 | 4 | 3 | 17 | 0 | 37 | 0 | 10 | 61 | 5 | .203 | .306 | .278 | .584 | |
2018 | 140 | 514 | 465 | 44 | 102 | 12 | 3 | 3 | 129 | 41 | 20 | 5 | 16 | 5 | 25 | 1 | 3 | 64 | 8 | .219 | .261 | .277 | .538 | |
2019 | 56 | 179 | 155 | 18 | 43 | 6 | 1 | 2 | 57 | 20 | 10 | 2 | 4 | 1 | 18 | 0 | 1 | 29 | 5 | .277 | .354 | .368 | .722 | |
2020 | 78 | 311 | 266 | 32 | 77 | 9 | 2 | 2 | 96 | 23 | 15 | 4 | 16 | 2 | 26 | 1 | 1 | 48 | 9 | .289 | .353 | .361 | .713 | |
通算:9年 | 964 | 3639 | 3080 | 375 | 750 | 98 | 20 | 35 | 993 | 283 | 118 | 52 | 206 | 23 | 288 | 3 | 42 | 505 | 54 | .244 | .315 | .322 | .637 |
- 2020年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2012 | オリックス | 13 | 21 | 43 | 0 | 5 | 1.000 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 21 | 23 | 42 | 3 | 3 | .956 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2013 | 22 | 42 | 39 | 1 | 9 | .988 | - | 122 | 160 | 364 | 11 | 68 | .979 | - | |||||||||||
2014 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 143 | 190 | 434 | 13 | 80 | .980 | - | |||||||||||
2015 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | 139 | 203 | 449 | 16 | 84 | .976 | - | |||||||||||
2016 | - | - | 117 | 178 | 347 | 13 | 63 | .976 | - | ||||||||||||||||
2017 | - | - | 105 | 164 | 316 | 7 | 63 | .986 | - | ||||||||||||||||
2018 | - | - | 140 | 200 | 417 | 7 | 69 | .989 | - | ||||||||||||||||
2019 | - | 19 | 6 | 21 | 2 | 3 | .931 | 38 | 43 | 89 | 3 | 17 | .978 | - | |||||||||||
2020 | - | - | 78 | 119 | 209 | 4 | 45 | .988 | - | ||||||||||||||||
通算 | 37 | 64 | 83 | 1 | 14 | .993 | 24 | 6 | 23 | 2 | 3 | .935 | 903 | 1280 | 2667 | 77 | 492 | .981 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
- 2020年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- 月間MVP:1回 (野手部門:2016年7月)
記録
- 初記録
- 初出場:2012年5月12日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(京セラドーム大阪)、8回裏にアーロム・バルディリスの代走で出場
- 初打席:2012年5月17日、対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)、7回表に山口鉄也から空振り三振
- 初先発出場:2012年5月19日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、6番・二塁手で先発出場
- 初打点:2012年7月7日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(QVCマリンフィールド)、2回表に渡辺俊介から中犠飛
- 初安打:同上、6回表に大谷智久から中越二塁打
- 初盗塁:2012年10月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(京セラドーム大阪)、7回裏に二盗(投手:菊池保則、捕手:岡島豪郎)
- 初本塁打:2013年4月5日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(京セラドーム大阪)、7回裏に岸孝之から左越ソロ
- 節目の記録
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2018年)
背番号
- 3 (2012年 - )
関連情報
出演
映画
- インクレディブル・ファミリー(2018年8月1日、ディズニー) ※声の出演[33]
脚注
- ^ オリックス - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2019年11月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g 無心 安達了一『週刊ベースボール』2011年12月12日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/12, 104-107頁。
- ^ “オリックス・バファローズ 安達 了一選手【後編】 「『バスター&ラン』を成功させる極意」 | 2015年インタビュー” (日本語). 高校野球ドットコム. 2019年9月2日閲覧。
- ^ a b 安達 3の0の悔しさから一転1位指名に「うれしい」 スポニチ Sponichi Annex、2011年10月28日
- ^ オリックス1位安達が骨折 開幕絶望
- ^ 「忘れるな、踏んで帰ろう一塁へ」安達、帰塁も残念アウト 2012.09.11 L-Bs
- ^ オリックス安達が練習再開、4月下旬の復帰目指す日刊スポーツ 2016年2月15日
- ^ 難病克服のオリ安達 一軍登録即先発へ日刊スポーツ 2016年4月12日
- ^ オリックス安達初の月間MVP サポートに「感謝」日刊スポーツ 2016年8月5日
- ^ 松田がワースト10脱出、安達が最下位/パ打率日刊スポーツ 2017年5月15日
- ^ オリックス安達が体調不良で登録抹消 疲労が蓄積日刊スポーツ 2017年5月14日
- ^ 【オリックス】安達、今季2度目の猛打賞!守備でも金子助ける美技披露スポーツ報知 2017年9月20日
- ^ オリックス 安達が大腸炎で入院スポーツニッポン 2017年9月27日
- ^ 2018年7月13日(金) 京セラドーム大阪 【オールスターゲーム】 パシフィック・リーグ vs セントラル・リーグ 第1戦投打成績
- ^ 【オリックス】球宴初出場の吉田正、ホームランダービー22発&試合2安打「疲れました」スポーツ報知 2018年7月13日
- ^ オリックス安達2600万円増「複数年ありがたい」日刊スポーツ 2018年12月27日
- ^ オリックス安達二軍降格決定 8打数無安打に3失策日刊スポーツ 2019年4月4日
- ^ オリックス安達「2番・DH」で約1か月ぶり実戦復帰 「交流戦までには戻りたい」FullCount 2019年5月31日
- ^ 【オリックス】安達が4月以来の一軍昇格…リーグワースト43失策の守備改善なるかスポーツ報知 2019年6月14日
- ^ オリックス 日曜日に今季初勝利!1イニング4三塁打は72年ぶりタイ記録!デイリースポーツ 2019年6月24日
- ^ オリックス安達434日ぶり1発「まさか入るとは」日刊スポーツ 2019年8月6日
- ^ オリックス安達が途中交代、疲労蓄積で体調不良日刊スポーツ 2019年8月17日
- ^ 安達、ロメロが登録外れる=プロ野球・オリックス時事通信社 2019年9月4日
- ^ オリックス安達は現状維持「ショートで」勝負決意日刊スポーツ 2019年11月26日
- ^ “オリックス安達了一が新型コロナ陽性判定 球団が発表、現在はホテルで隔離療養”. Full-Count. (2021年3月5日) 2021年3月5日閲覧。
- ^ “オリックス安達2軍練習へ合流 コロナ陰性”. 日刊スポーツ. (2021年3月16日) 2021年3月16日閲覧。
- ^ “難病を乗り越えたオリ安達了一。貫く“ショート”へのこだわり。” (2019年3月11日). 2019年3月12日閲覧。
- ^ “元G仁志敏久氏も高く評価するオリ安達の守備 「バックハンドの使い方が…」”. Full-Count (2018年8月4日). 2018年11月29日閲覧。
- ^ 『数字で斬る! 2015年プロ野球 パ・リーグ編』ベースボール・マガジン社、2015年、66頁。
- ^ “1point02.jp” (2019年3月12日). 2019年3月12日閲覧。
- ^ “オリックス安達だけの1安打試合は4度目 最多タイ” (2020年9月11日). 2020年9月14日閲覧。
- ^ “オリックス安達ら4選手をぐんま観光特使に”. 日刊スポーツ. (2014年9月12日) 2015年11月10日閲覧。
- ^ “「インクレディブル・ファミリー」で中田翔、柳田悠岐らパ・リーグ選手が声優初挑戦”. 映画ナタリー. (2018年6月21日) 2018年8月10日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 安達了一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 The Baseball Cube
- 安達了一 (@ryoichi3adachi) - Twitter
|
|