宗像正氏

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宗像正氏 / 黒川隆尚
時代 戦国時代前期
生誕 明応9年(1500年)?
死没 天文16年閏7月15日1547年8月30日)?[1]
天文20年3月4日1551年4月9日)とも[2]
改名 宗像正氏→黒川隆尚
主君 大内氏
氏族 宗像氏
父母 宗像氏佐(うじすけ)
兄弟 正氏、氏続(※氏男は氏続の弟または息子)、氏俊(深田氏)
猶子:氏続氏男(黒川隆像)
庶子:氏貞

宗像 正氏(むなかた まさうじ)は、戦国時代武将大内氏の家臣で、宗像神社大宮司

生涯[編集]

生年には1500年、1512年など諸説があって明確ではない。1508年、時の宗像神社大宮司であった従兄弟の宗像興氏(おきうじ、船岡山合戦で戦死、こちらも参照)から家督を譲られて、大宮司となる。その後は大内義興に仕えて尼子氏大野氏との戦いのために出雲安芸を転戦した。

1527年、弟の氏続(うじつぐ)を猶子として、大宮司の家督を譲った。1528年、義興の死後は大内義隆に仕えたが、このとき義隆から周防黒川郷を与えられたため、偏諱(「隆」の1字)を与えられて黒川隆尚(くろかわ たかひさ)と改名した。そして間もなく、家督を譲っていた弟の氏続を除いて、再び家督に復帰している。正氏には庶子として氏貞がいたが、死の直前の1547年に家督を猶子の氏男(黒川隆像)(氏続の息子または弟)に譲って隠居し、同年のうちに死去した。没年には1551年説もある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『古代豪族系図集覧』(東京堂出版、2006年)p.422
  2. ^ 伊東尾四郎編『宗像郡誌 中編』(1931年)