宗谷臨時要塞

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1947年9月2日に米軍により撮影された宗谷臨時要塞付近の航空写真。宗谷岬先端付近には監視哨、各種施設や兵舎。写真下部には4つの砲台跡が確認できる。(国土地理院ホームページより)

宗谷臨時要塞(そうやりんじようさい)とは、宗谷海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍要塞である。

概要[編集]

満州事変以後、ソ連海軍ウラジオストク艦隊の増強を図った。そのため、日本軍は宗谷海峡に要塞を建設し、ソ連艦隊の外洋への進出を阻止しようとした。

1939年8月、西能登呂砲台とともに着工が発令され、1940年2月、宗谷海峡の両岸で砲台工事に着手、翌年9月に竣工した。

1943年8月と10月には、海峡を抜けようとした潜水艦に砲撃を行った。これにより、アメリカ潜水艦「ワフー」の撃沈に貢献した。しかし、1945年6月には、バーニー作戦で日本海に潜入していたアメリカ潜水艦8隻が宗谷海峡を浮上通過したにも関わらず、探知できなかった。

終戦後、両岸の施設共に老朽化した状態で残されている。

年譜[編集]

  • 1940年(昭和15年)2月 宗谷砲台・西能登呂砲台着工
  • 1941年(昭和16年)8月 宗谷要塞司令部設置
    • 9月 宗谷砲台・西能登呂砲台竣工
  • 1943年(昭和18年)8月 国籍不明潜水艦に砲撃。

主要な施設[編集]

宗谷岬

西能登呂岬

野寒布

声問

最終所属部隊[編集]

  • 上級組織 - 第5方面軍 (日本軍):樋口季一郎中将
    • 宗谷要塞司令部(クサンル 現稚内市緑町):芳村覚司少将
      • 宗谷要塞重砲兵連隊:平野恒三郎中佐[3]
        • 連隊本部(クサンル 現稚内市緑町)
        • 第1中隊(大岬 現稚内市宗谷岬)
        • 第2中隊(西能登呂 現樺太島)
        • 第3中隊(野寒布 現稚内市ノシャップ)
        • 第4中隊(声問 現稚内市声問)
      • 第3要塞歩兵隊:浅田一郎大尉    
      • 第4要塞歩兵隊  
      • 独立歩兵第649大隊:端健之助大尉    
      • 独立野砲兵第37大隊
      • 高射砲隊     
      • 宗谷陸軍病院(現在の市立稚内こまどり病院) 

歴代司令官[編集]

  • 佐沢秀雄 大佐:1941年8月1日 -
  • 平野恒三郎 中佐:1943年3月1日 - ※宗谷要塞砲兵連隊長兼務
  • 芳村覚司 少将:1945年3月9日 -

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 浄法寺朝美『日本築城史 - 近代の沿岸築城と要塞』原書房、1971年。
  • 歴史群像シリーズ『日本の要塞 - 忘れられた帝国の城塞』学習研究社、2003年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。

関連項目[編集]