宝寿寺

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宝寿寺
宝寿寺
本堂(左)と大師堂(右)
所在地 愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
位置 北緯33度53分50.4秒
東経133度6分53.8秒
座標: 北緯33度53分50.4秒 東経133度6分53.8秒
山号 天養山
院号 観音院
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗単立
寺格 一之宮神社(小松町新屋敷)の別当寺
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 (伝)天平年間(729年748年
開基 (伝)道慈律師、聖武天皇勅願
中興年 1636年寛永13年)
中興 宥伝
正式名 天養山観音院宝寿寺
天養山觀音院寶夀寺
別称寺(保寿寺)
金剛寶寺

一國一宮別當寶
札所等 四国八十八箇所62番
四国(東予)七福神・布袋尊
法人番号 9500005004020 ウィキデータを編集
宝寿寺の位置(愛媛県内)
宝寿寺
宝寿寺
松山駅
松山駅
宝寿寺の位置
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宝寿寺(ほうじゅじ)は、愛媛県西条市小松町にある真言宗系の単立寺院(元高野山真言宗の寺院)。天養山(てんようざん)、観音院(かんおんいん)と号す。本尊十一面観世音菩薩四国八十八箇所霊場の第六十二番札所

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

ご詠歌:さみだれのあとに出たる玉の井は 白坪なるや一宮かわ

納経印:当寺本尊、四国(東予)七福神・布袋尊

縁起と歴史[編集]

聖武天皇勅願によって天平年間(729年748年大国主大神の信託により大国主大神ら三神を白坪の里(現在地より約1km北に中山川があり、その北岸あたり)に奉斎したという、その際、道慈によって、その法楽所として傍らに建立され金剛宝寺と名付けられた。

大同年間(806年810年空海(弘法大師)が逗留し光明皇后を模写した十一面観世音菩薩像を刻んで本尊とし、[1] また、この頃国司だった越智氏の夫人が難産で空海に祈念を頼み、空海は境内の玉ノ井(現存しない)の水を加持し越智夫人に与えたところ、夫人は玉のような男子を無事出産した。これに因み、寺名を宝寿寺に改め、本尊は安産の観音として信仰を集めるようになった[2]

1585年天正13年)羽柴秀吉による四国攻めで荒廃した。1636年寛永13年)宥伝上人によって当寺だけ新屋敷の現在地付近に移されて再興されたので、巡拝者は白坪の神社に札を納めた後、当寺で納経を行うこととなったが、その後の1679年延宝7年)藩主の命により洪水を避けるために今度は神社が当寺の横に移転された。その後に残っている納経帳によると、納経は本尊名ではなく「伊豫國一宮大明神 別當寶壽寺」[3]と書かれていた。

明治初期の廃仏毀釈によって当寺は神社と分離され廃寺となったが、大石龍遍上人によって1877年(明治10年)に神社の南隣に移し再興され、1921年大正10年)には予讃線鉄道工事にともない、さらに南側の現在地に移転した。[4]

霊場会退会と再加入[編集]

2015年3月に四国八十八か所巡りの寺院(札所)でつくる「四国八十八ヶ所霊場会」(以下「霊場会」)は宝寿寺の住職に対して同会の運営要領を遵守することおよび未払いの会費の支払を求めて民事提訴した[5][6]。訴状では宝寿寺側が参拝者への暴言などで遍路巡礼を妨害したと霊場会が主張する一方、宝寿寺側は妨害行為は無く、退会しているため運営要領を順守する必要は無いと主張していた[7]

2017年3月22日に高松地方裁判所丸亀支部において霊場会の請求は棄却され、宝寿寺の霊場会からの退会が認める判決となった[8]。同年3月30日に霊場会が控訴を断念して判決が確定した[5][9]

納経時間は判決確定後しばらくは、納経時間が8時~12時・13時~17時、納経料+白黒御影料(1体200円)の負担となっていたが、2018年6月1日から、納経時間は8時~17時(昼休み無し)で、白黒御影は納経帳と納経軸へ納経した場合は従来通り無償での授与になっている。

ただし、カラー御影は霊場会のものではなく、従来の白黒御影を黄色で着色して印刷した宝寿寺オリジナルのカラー御影であり(1体200円)、納経料は、納経帳:600円、掛軸:800円、白衣:300円だが、納経をしない場合は拝観料(車遍路の場合は駐車料金)として、300円の徴収であった。

なお、霊場会は宝寿寺が退会して空き番になった62番札所について、納経や朱印の拒否を防ぐことを目的として、61番札所の香園寺の駐車場に「六十二番礼拝所」として納経所を設置していた[10]

2019年12月1日より宝寿寺のすべてを86番札所の志度寺が引き継ぐことにより、霊場会に再加入し、それに伴って同年12月15日をもって「六十二番礼拝所」を閉鎖した。これにより霊場会に再加入後の参拝時間や納経料は他の札所と同様になり、駐車料金は無料となった。

文化財[編集]

県指定有形文化財
  • 孔雀文磬(けい)1面 – 肩幅17.2cm、裾張り18.8cm、中央高7.8cm、縁厚0.8cm、鋳銅製、鎌倉時代初期、1965年昭和40年)4月2日指定

境内[編集]

  • 本堂:本尊・十一面観音立像(総高約二尺、玉眼)※2018年(平成30年)1月~2019年(令和元)年12月1日まで特別開帳された。、本尊前仏・十一面観音立像、脇侍・不動明王立像(現在は正面に鎮座)、脇侍・千手観音立像、地蔵菩薩立像、布袋尊座像(四国(東予)七福神)他。
  • 大師堂:大師坐像、大師立像、大師肖像画。※大師堂の開帳は不定期であるが、2018年(平成30年)1月~2019年(令和元)年12月1日まで終日開帳された。
  • 稲荷社(祠)
  • 厄除の玉:この玉の穴に 厄除けの願いを一言云ってあの石に投げて割れたら願いが叶う。一回200円。
  • 真念遍路道標(愛媛県歴史文化博物館に長期展示中)
  • 石碑:本堂の対面に昭和期に立てられた前佛奉納記念碑があり、前田伍健の川柳「佛縁の宝寿大寿の観世音」が同氏の筆により刻まれている。
  • 庫裏

東側から境内に入ると右手に手水舎、稲荷社、大師堂が、その先に本堂が建っている。納経所は正面奥にあり、その背後は元本堂。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:あり(無料)

交通[編集]

鉄道
バス
道路

一之宮別当[編集]

一之宮神社
  • 西条市小松町新屋敷 地図
  • 祭神
    • 大国主之大神(おほくにぬしのおほかみ)
    • 大山積之大神(おほやまつみのおほかみ)
    • 事代主之大神(ことしろぬしのおほかみ)
  • 概要
    現在は、当寺とJR伊予小松駅の北側に当神社がある。この鳥居の右(北)脇に、別当宝寿寺跡の石碑が1992年平成4年)3月に建てられた。その裏の文によると、1679年延宝7年)当神社は藩主の命により白坪の里より当所に移されたとある。1653年承応2年)に澄禅が遍路をしたとき、その白坪にあった当神社が札所で、その別当の「保寿寺」はこの石碑の所にあった[11]。澄禅の旧友が当神社の社僧で当寺が住居であったので、その夜はそこに宿泊している。また、中山川の氾濫があり山側に神社が移されたり元の地に戻されたりが何度かあったと澄禅の日記に記されている。さらに、石碑には、明治元年の廃仏毀釈令により1879年(明治12年)3月に当神社南隣に移し、1923年(大正12年)5月に鉄道開通のため現在地(さらに南側)に新築移転とある。
    なお、伊予の一ノ宮は、大三島大山祇神社であり、中山川の河口の白坪にその三島明神を勧請したのがはじまりで、ゆえに、ここも一之宮と呼ばれていた[12]とされている。
    しかし、『空性親王四国霊場御巡行記(賢明 1638年)』には「大国主ノ一宮」と記されていて、祭神が異なる大山祇神社からの勧請ではなく、また、「一國一宮別當寶壽寺」の石碑もあり、他県の3箇所[13]と同様に、独自の発祥の歴史のある一国一宮として四国八十八箇所の札所に選ばれたことを否定できない。その場合、大山祇神社(実際は別宮であるが)は一国一宮[14]としてではなく唯一の日本総鎮守社として霊場札所に選ばれたと思われる[15]
  • 摂社
    魂神社(天照皇大神、外三柱)、和霊神社(山家公頼)、天満宮(菅原道真)、厳島神社(市杵島姫命、外三柱)、靖国神社(氏子戦没者の霊)

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
61 香園寺 -- (1.3km)-- 62 宝寿寺 -- (1.4km)-- 63 吉祥寺

参考文献[編集]

  • 橋本徹馬 『四国遍路記』 紫雲荘出版部 (1956)
  • 西村望 『四国遍路 – 八十八カ所霊場めぐり』 徳間書店 (1987/10)
  • 渡辺照宏 『お大師さま』青山書院 改訂新版 (2000/04)

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 橋本 徹馬 『四国遍路記』 紫雲荘出版部(1956)西村 望 『四国遍路 – 八十八カ所霊場めぐり』 徳間書店 (1987/10)
  2. ^ 『巡るめく四国 公式観光ガイド』渡辺照宏 お大師さま青山書院; 改訂新版 (2000/04)
  3. ^ 1825年巡拝の記録を参照
  4. ^ 橋本 徹馬 『四国遍路記』 紫雲荘出版部(1956)西村 望 『四国遍路 – 八十八カ所霊場めぐり』 徳間書店 (1987/10)
  5. ^ a b 判決文平成29年3月22日判決言渡 平成27年(ワ)第34号 妨害予防等 請求事件 判決文
  6. ^ “霊場会VS六十二番札所、遍路ルールで対立訴訟”. 読売新聞. (2016年7月20日) 
  7. ^ “四国霊場会の請求を棄却 遍路妨害訴訟”. 産経新聞. (2017年3月22日). https://www.sankei.com/west/news/170322/wst1703220032-n1.html 2020年6月7日閲覧。 
  8. ^ “お遍路訴訟、62番札所の脱退認める 霊場会の請求棄却”. 朝日新聞. (2017年3月22日). https://www.asahi.com/articles/ASK3Q3GX6K3QPLXB006.html 2020年6月7日閲覧。 
  9. ^ 霊場会控訴せず 六十二番礼拝所、別に設置へ /香川 2017年3月30日 毎日新聞社
  10. ^ 「四国お遍路八十八霊場」に異変、”62番目”が2つになる!?”. 女性自身 (2017年4月7日). 2018年11月18日閲覧。
  11. ^ 「一之宮から川を渡って一本松村を過ぎて新屋敷という所にある」と澄禅の『四国辺路日記 1653年』を解説した『江戸初期の遍路』柴谷宗叔著の287ページに記されている
  12. ^ 五来重『四国遍路の寺・上』160ページより
  13. ^ その3箇所は下一宮大粟神社土佐一ノ宮高賀茂大明神田村大明神
  14. ^ 各県4箇所の国分寺が札所として選ばれているのと同様に各県4箇所の一宮も選ばれている
  15. ^ 賢明、澄禅、真念、寂本、四国遍礼名所図会のいづれも、別宮(大山祇神社)以外の4箇所は一宮と表現されているが、別宮だけは三島宮などの表現で、一宮と表現している書物はない

関連項目[編集]