実録三億円事件 時効成立

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実録三億円事件 時効成立
監督 石井輝男
脚本 小野竜之助、石井輝男
原作 清水一行『時効成立』
出演者 小川真由美
岡田裕介
絵沢萠子
音楽 鏑木創
撮影 出先哲也
制作会社 東映東京撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1975年11月22日
上映時間 86分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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実録三億円事件 時効成立(じつろくさんおくえんじけん じこうせいりつ)は1975年(昭和50年)11月22日に公開された日本映画。製作は東映

概要[編集]

1968年(昭和43年)12月10日に起こった三億円事件をヒントに架空の犯人像を想定して犯行を再現する[1][2]

キャスト[編集]

以下ノンクレジット

  • 競馬場の男:沢田浩二、高月忠
  • 記者:美原亮三
  • 刑事・カメラマン:泉福之助
  • 銀行員:高野隆志

スタッフ[編集]

  • 企画:太田浩児、坂上順
  • 原作:清水一行『時効成立』
  • 監督:石井輝男
  • 脚本:小野竜之助、石井輝男
  • 撮影:出先哲也
  • 録音:広上益弘
  • 照明:川崎保之丞
  • 美術:藤田博
  • 音楽:鏑木創
  • 編集:祖田富美夫
  • 助監督:福湯通夫
  • 記録:勝原繁子
  • スチール:遠藤努
  • 進行主任:東一盛
  • 装置:小早川一
  • 装飾:田島俊英
  • 美粧:住吉久良蔵
  • 美容:石川靖江
  • 衣装:河合啓一
  • 演技事務:山田光男
  • 現像:東映化学

製作[編集]

数々の便乗企画を産み出した岡田茂東映社長(当時)が、1975年(昭和50年)12月10日に公訴時効が成立する三億円事件を世間が再注目することを見越し、急遽石井輝男に製作を指示して作らせたキワモノ企画[3][4][5][6]。岡田は1975年夏に「12月に封切る。番組のアヤ(変化)をつける意味ではいい企画だ。空手アクションかなんかの二本立てで、カチッとした番組にするよ。ポルノ度の強いのをやる考えだ」と話し[5]、1975年夏に製作がスタート[5][7]、小野竜之助が単独で脚本に取り掛かった[7]。映画製作が公表された最初の映画タイトルは『三億円強奪/時効成立』だった[8]。事件の時効成立まで100日を切った1975年秋あたりから[7][9]、「海外にいる当時18歳の少年が容疑者」「中年のテストドライバーから犯人の手記を手に入れた」「事件そのものが警察の謀略」「七十年安保を前にして、多摩地区に住む過激派学生洗い出しのためのアパートローラー作戦の口実」など、事件の真相と称し、新聞、週刊誌などが洪水のように書き立てた[7]。岡田は「時効が迫った三億円事件を事件が時効になる12月に封切る。実録タッチと推理でガッチリゆく」と、捜査陣の焦りの気持ちに逆行するような発言をした[4]。キワモノ企画だけに、もし12月10日までに犯人が逮捕された場合、時効が成立した場合、原作とまるで違うイメージの犯人が現れた場合など予想がつかないので、いろいろな場合を想定し、差し換えることも検討していた[1][4]。映画公開直前、或いは公開中に、まるで違うイメージの犯人が逮捕されたり、映画の内容があまりに的外れの場合は、公開中止や打ち切りされる恐れもありリスキーな映画であった[10]

脚本[編集]

映画公開まで時間がなく資料調べに大わらわで[8]、原作クレジットの清水一行『時効成立』は『週刊現代』に連載中で、まだ一冊の本として纏まってはなかったが、『時効成立』の取材ノートを素に脚本の小野と石井で独自の犯人像を創作[3][7]。石井自身は「原作というのはない」と話している[1]。当時警視庁内偵中容疑者数人をミックスした犯人像を想定し、逃亡生活と捜査を交錯させながら描くという方向性が決まった[8]。この『時効成立』の犯人のモデルは実在の人物がおり[7]、警察が重要容疑者として絞っていた4人のうち、元捜査官で当時、興信所を開いている人物から、このうちの一人の資料を調べた結果、状況証拠が揃っていて、石井が岡田社長と相談し、岡田から「外れるかも分からないが、自信を持ってこいつが犯人と割り切ってやれ」と指示された[7]。1975年夏から小野が単独で書いていた脚本は、資料を全部ブチ込んでいたため300枚ぐらいあったが、石井は遅れて脚本に参加し180枚の映画台本に切った[7]

キャスティング[編集]

犯人は賭け事が好きで、女にだらしない当時30歳の男性と同棲中の35歳の情婦と設定し複数犯とした[7]。この男女を演じるのが岡田裕介小川真由美で、この賭け事が好きで、女にだらしない"やさ男"をイメージし[8]、「ウチ(東映)でそのイメージにぴったりの役者は誰だ?」となり、関係者が衆議一決したのが「社長の息子だ!」であった[8]。岡田茂はそれを聞き、息子の悪役に難色を示したが[8][9]、岡田裕介は「企画はかなりハチャメチャである。場合によっては無一文の映画になってしまうからである。しかしこのバクチに惚れて、私は参加することに決めた」と事件に強い興味を持っていたため、主演・犯人役を承諾した[10][11]。岡田がキャスティングされたのは1975年9月で[10]、岡田は現地にも出向いて自分なりに調査し企画にも参加したと述べている(ノンクレジット)[10]。刑事の葛木正男は平塚八兵衛をモデルにしたもので[12]、当初は石井の異常性愛路線の常連俳優で、当時コロンボ刑事として有名になっていた小池朝雄を起用する案もあったが[1]、石井が同じ東映東京撮影所のヒットシリーズだった『警視庁物語』に描かれている刑事よりもっと人間くさいものをという考えから金子信雄をキャスティングした[7]

撮影[編集]

一応、台本は完成していたが、犯人の行動だけを追った内容で[7]、マスメディアによる事件の報道合戦が凄く、新事実が続々出てくるため台本が変わり、スタッフ・キャストに二、三枚のコピーを配りながら撮影した[7]。またそれも現場で書き換えられることも多かった[7]小川真由美からの注文で、台詞や動きをその場で変えることもあったという[7]。小川真由美と金子信雄は共に文学座出身の舞台俳優であるが、金子の方が大分先輩なのに、小川が私の主演映画に出させてやるみたいな態度で金子に接し、二人が仲が悪く撮影が大変で、その分二人とも意地の張り合いで大熱演した[1]

犯行現場である府中刑務所裏での撮影は、1975年11月7日午前7時から大雨注意報が出て土砂降りの当地、第六監視塔前で行われた[7]。イメージより雨が少なく、ホースで水を増量させている[7]

逸話[編集]

  • 主演の岡田裕介は1970年の東宝赤頭巾ちゃん気をつけて』が大ヒットして一躍東宝の若手青春スターになり[13][14][15]、女性ファンも付き、当時の週刊誌にもよく取り上げられ、それらの記事には必ず父親は東映の幹部と書かれたため、岡田裕介が岡田茂の息子と誰でも知っていた[7][15][16]。東映の看板俳優は複数年契約など種類もあるが、それ以外の役者は一年ずつの契約更新だった[12]。専属俳優の契約更改の正否は演技課長を介して撮影所長の決裁を受け、本社の岡田茂社長のもとへ至る[12]。東映の契約俳優は他の芸能事務所所属の俳優と違い、気安さもあって監督やベテランスタッフから人前でも「このド下手!」とこき下ろされる存在[12]。当然社長の息子と現場で絡む本作では、専属俳優にとっては、仕事の出来不出来がそのまま更改条件の直接的評価になりかねない変な気分で、演り辛い現場であったと、本作で金子信雄の部下の刑事を演じた五野上力は話している[12]

同時上映[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 映画魂 1992, pp. 230-232、354.
  2. ^ 実録三億円事件 時効成立/東映チャンネル実録三億円事件 時効成立 - 東映ビデオオンラインショップキネマ旬報』、キネマ旬報社、1975年12月下旬号、 181-182頁。
  3. ^ a b 樋口 2009, pp. 169-172.
  4. ^ a b c 週刊サンケイ』、産業経済新聞社、1975年12月11日号、 31頁。
  5. ^ a b c 映画界のドン 2012, p. 59.
  6. ^ 『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1975年11月上旬号、 179-180頁。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 山中登美子「監督のいる風景8 石井輝男監督 『実録三億円事件 時効成立』の場合」、『映画情報』1976年1月号、国際情報社、 52–54頁。
  8. ^ a b c d e f 「岡田裕介が演じる"3億円犯人"像」、『週刊平凡』1976年10月23日号、平凡出版、 102頁。
  9. ^ a b 「息子までポルノに使う?東映岡田社長」、『週刊現代』1975年9月18日号、講談社、 32頁。
  10. ^ a b c d 美浜勝久「洋画ファンのための邦画マンスリー 11月21日⇒12月30日」、『ロードショー』1976年1月号、集英社、 149頁。
  11. ^ 長瀬智也主演「クロコーチ」が挑む3億円事件は、なぜ何度もドラマ化されるのか
  12. ^ a b c d e 五野上力「東映大部屋俳優の回想 一寸参虫Ⅱ 男優と女優のブルース(下)」、『映画論叢43』2016年11月15日号、国書刊行会、 15–16頁。
  13. ^ 八森稔「日本映画ニュース・スコープ 〈スポットライトスペシャル 岡田裕介〉 『プロデューサーをやってから役者の大変さがわかりました』」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1983年3月下旬号、 110-111頁。
  14. ^ 「BIG人間インタビュー(第41回) 岡田裕介(30) 度胸とカンで勝負! プロデューサーの冒険」、『週刊明星』、集英社、1979年12月9日号、 36–43頁。
  15. ^ a b 吉本准一「〈気になるスター 岡田裕介〉『プロデューサーをやってから役者の大変さがわかりました』」、『映画情報』1985年2月号、国際情報社、 20–21頁。
  16. ^ 「〈観客の目〉 "赤頭巾ちゃん"映画化に気をつけて」、『週刊文春』1970年3月30日号、文藝春秋、 20頁。大橋貢「こんにちは、岡田裕介です」、『映画情報』1970年7月号、国際情報社、 66頁。「げいのう 三船敏郎二世も進出」、『サンデー毎日』1970年8月2日号、毎日新聞社、 33頁。「〈ビッグ特集パワー'71 ヤングプライバシー〉 初共演の御曹司2人ボヤキ対談 岡田裕介×三船史郎『 お互いアサ~ッヨワイよなあ』」、『月刊明星』1971年4月号、集英社、 70–71頁。

参考文献[編集]