室町砂場

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室町砂場
Muromachi Sunaba1.JPG
室町砂場
(2016年4月15日撮影)
店舗概要
所在地 103-0022
東京都中央区日本橋室町
四丁目1番13号
座標 北緯35度41分21.71秒 東経139度46分18.27秒 / 北緯35.6893639度 東経139.7717417度 / 35.6893639; 139.7717417座標: 北緯35度41分21.71秒 東経139度46分18.27秒 / 北緯35.6893639度 東経139.7717417度 / 35.6893639; 139.7717417
開業日 月曜 - 土曜日
閉業日 日曜、祝祭日、第三土曜日
正式名称 室町砂場
店舗数 2店(室町本店、赤坂支店)
営業時間 平日 午前11時30分 - 午後9時
土曜日 午前11時30分 - 午後4時
駐車台数 無し台
前身 本石町砂場
最寄駅 JR山手線神田駅
JR総武線新日本橋駅
東京メトロ銀座線三越前駅
東京メトロ銀座線神田駅
最寄IC 首都高速神田橋出入口
外部リンク 公式ウェブサイト
寛政10年(1798年)、『摂津名所図会』、「砂場いづみや」の表口の挿絵[1]
寛政10年(1798年)、『摂津名所図会』、「砂場いづみや」の店内の挿絵[1]
寛政10年(1798年)、『摂津名所図会』、「砂場いづみや」の店内の挿絵[1]
嘉永2年(1849年)、『二千年袖鑒』、「津国屋」の表口の挿絵[2]

室町砂場(むろまちすなば)は、東京都中央区日本橋室町四丁目にある1869年明治2年)に創業のそば屋店舗

概要[編集]

幕末の慶応年間(1865年-1868年)、そば屋の砂場本家「糀町七丁目砂場藤吉」で働いていた村松とくが、働いていた「糀町七丁目砂場藤吉」から暖簾分けを受け、高輪魚籃坂(現・港区三田高輪近辺)に開業したのが始まり。維新後の1869年明治2年)、魚籃坂から日本橋本石町二丁目に「本石町砂場」として移転、この時の明治2年を創業年としている。1923年大正12年)の関東大震災後、東京市土地区画整理と町名の整理が実施され、1932年昭和7年)の町界変更により室町四丁目となり、「室町砂場」と改称した。

砂場」の名は、豊臣秀吉大坂城を築いたとき、大坂の和泉屋という菓子屋が、資材の砂置き場に蕎麦屋を開店し、「砂場」と呼ばれていたのに始まる。徳川家康江戸城を築くときは、江戸に進出し糀町(現・麹町)に店を構えた。

沿革[編集]

  • 1583年天正11年) - 豊臣秀吉大坂城築城に着手。
  • 1629年寛永6年) - 大坂城が完成した後、砂場跡地一体帯を整備した新町に、官許の遊郭が建設され、新町遊郭は江戸吉原 (東京都)京都島原 (京都)、と並び称される一大遊里となる。
  • 1730年享保15年) - 『絵本御伽品鏡』、長谷川光信画、千草屋新右衛門、享保15年(1730年)には、「いづミや」という暖簾を掛けた麺類屋がある、当時の大坂市中の名物を狂歌とともに紹介した絵本である[3]
  • 1757年宝暦7年) - 『大坂新町細見之図澪標』、「廓名物之分」、宝暦7年(1757年)には、大坂城築城のさいの、資材の砂や砂利の置き場になった新町砂場地域には、「和泉屋」と「津国屋」の2軒の麺類屋があった[4]。細見とは、江戸・吉原の妓楼や遊女名、玉代などを事細かに記した遊郭案内書[5]。「和泉屋」と「津国屋」の初代は、どちらも和泉国(現・大阪府南部)の出身である。
  • 1777年安永6年) - 『富貴地座位』、安永6年(1777年)には、三都(京・江戸・大坂)の名物を紹介しており、浪花名物の「和泉屋」について記している。
  • 1798年寛政10年) - 『摂津名所図会』、寛政10年(1798年)には、「砂場いづみや」として挿絵入りで紹介している[1]。挿絵は店の表口の様子と店内の光景をで、いかにも大店らしい立派な構えで、牡蠣殻葺きの庇の下には「すな場」と染め抜かれた暖簾がかけられている。店内は広大な土間に座敷の島がいくつも置かれ、座敷の間の通路は町中の往来のように広い。店の裏側には、鰹節の蔵、そばの蔵、麦の蔵、醤油の蔵に、臼十二と書かれた臼部屋がある[5]
  • 1849年嘉永2年) - 『二千年袖鑒』、伊豫屋善兵衛、嘉永2年(1849年)には、「津国屋」の外観を描いた挿絵がある、牡蠣殻葺きの庇の下に「すなば」と書かれた暖簾がかけられている[2]。牡蠣殻葺きは享保頃(1716年-1736年)から江戸や大坂などの町屋で防火上用いられた、店構えは「和泉屋」の表口の様子と似ている[5]
  • 1865年-1868年慶応年間 - 砂場本家「糀町七丁目砂場藤吉」で働いていた村松とくが、暖簾分けにより、高輪の魚藍坂(現・港区三田高輪近辺)に開業した。
  • 1869年明治2年) - 日本橋の本石町二丁目に移転、「本石町砂場」初代・村松とく、として創業、女性が暖簾分で独立するのは異例のことだった。
  • 1932年昭和7年) - 町界変更により室町四丁目とり、「室町砂場」と改称した。
  • 1933年(昭和8年) - 暖簾会「砂場長栄会」を結成、「室町砂場」二代目・村松豊太郎は相談役を務める。
  • 1937年(昭和12年) - 「赤坂砂場」二代目・松村幸一生まれる。
  • 1945年(昭和20年) - 「室町砂場」二代目・村松豊太郎亡くなる。
  • 1955年(昭和30年)11月 - 「砂場長栄会」から暖簾会「砂場会」に受継がれ、会長「虎ノ門大坂屋砂場」稲垣一男、副会長「南千住砂場」長岡源太郎、ほか2名、相談役「巴町砂場」萩原長康と「室町砂場」三代目・村松茂となる。
  • 1956年(昭和31年)11月1日 - 「砂場」と「すなば」の商標登録が正式に認可、会員数は28軒。その後、商標登録は「す奈ば」、「寿那ば」、「寿奈ば」が加えられた。
  • 1964年(昭和39年) - 「室町砂場」三代目・村松茂の弟・村松亀次郎が赤坂に支店「赤坂砂場」を開業した。
  • 1974年(昭和49年) - 「室町砂場」の店舗は表通りから奥に引っ込み、4階建てのビルとなる。
  • 1978年(昭和53年) - 「室町砂場」三代目・村松茂亡くなる。
  • 1985年(昭和60年)3月 - 大阪新町南公園に「ここに砂場ありき」の石碑が建立され、二代目会長「巴町砂場」萩原長昭ほか出席し除幕式[6]
  • 1987年(昭和62年) - 『そば屋の旦那衆むかし語り』、松村茂、藤村和夫聞き書き、昭和62年によれば
「砂場というのれんの発生は、御存知の通り、大阪らしゅうございますね。私の子供の頃、角文字の半纏があり、背中に丸の中の砂の字の大紋があって、衿字に角で砂場と書いてあり、上に"丸の中に大"としてありました。ですから父なども、やはり大阪のものではないかと申しておりました。半纏といっても普段の印半纏ではなく祝儀不祝儀の出入の人に着てもらう方のです」 — 『そば屋の旦那衆むかし語り』、松村茂、昭和62年より抜粋
  • 1988年(昭和63年) - 「赤坂砂場」初代・村松亀次郎亡くなる。
  • 1990年平成2年) - 「室町砂場」四代目・村松良一急逝する。
  • 2016年(平成28年) - 現在、「室町砂場」五代目・村松毅が暖簾を受継いでいる。

交通アクセス[編集]

鉄道

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『摂津名所図会』、秋里籬嶌著、竹原春朝齋図画、森本太助、寛政10年(1798年)、国立国会図書館蔵書。
  2. ^ a b 『二千年袖鑒』、伊豫屋善兵衛、堀田両平氏寄贈、嘉永2年(1849年)、国立国会図書館蔵所。
  3. ^ 絵本御伽品鏡』 - 国立国会図書館デジタルコレクション - 長谷川光信画、千草屋新右衛門、享保15年(1730年)、2016年4月11日閲覧。
  4. ^ 大坂新町細見之図澪標』 - 国立国会図書館デジタルコレクション - 靖中菴畫、「廓名物之分」、和泉屋卯兵衞、宝暦7年(1757年)、2016年4月11日閲覧。
  5. ^ a b c 『蕎麦屋の系図』、岩崎信也著、「砂場の系図」、光文社、2011年(平成23年)7月20日、国立国会図書館蔵書、2016年2月20日閲覧。
  6. ^ 「老舗そば屋の碑 江戸のツルッ 大阪生まれ」 - 朝日新聞、2011年(平成23年)5月11日、2016年4月10日閲覧。

関連項目[編集]

近隣施設[編集]