宮内洋

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みやうち ひろし
宮内 洋
本名 宮内 洋
生年月日 (1947-06-14) 1947年6月14日(71歳)
出身地 日本の旗 日本東京都杉並区
身長 179 cm[1][2][3][注釈 1]
血液型 B型[1][5]
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇歌手
活動内容 1968年東映ニューフェイス
1973年:『仮面ライダーV3』主演
1975年:『秘密戦隊ゴレンジャー
1977年:『快傑ズバット』主演
配偶者 既婚
事務所 オフィス28
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ
キイハンター
仮面ライダーV3
秘密戦隊ゴレンジャー
快傑ズバット
ジャッカー電撃隊
吉宗評判記 暴れん坊将軍
Gメン'75
特警ウインスペクター
特救指令ソルブレイン』『超力戦隊オーレンジャー
映画
麻薬売春Gメン
惑星大戦争
仮面ライダー THE FIRST

宮内 洋(みやうち ひろし、1947年6月14日[1][2][3][注釈 2] - )は、日本の俳優[1]。本名同じ[2][3][7]

東京都[1][2][3]杉並区出身[7]日本大学商学部経営学科卒業[7][8]。丹波プロダクション[2]東映俳優センターを経て[3]オフィス28所属。

来歴[編集]

三人兄弟の次男であり[9]南満州鉄道勤務の父が仕事の関係で在住していた旧満州の奉天にて出生[要出典]。日本本土への引き揚げの後、小学校1年生まで千葉県銚子市で過ごす[10]。学生時代に俳優を志し、丹波哲郎に師事する[7][11]

1968年春に東映ニューフェイス第12期生となる[11]。同期には、片山由美子ひろみどりらがいた[12]。翌年(1969年)、テレビドラマあゝ忠臣蔵』に同期の榊浩子とともにレギュラーに抜擢されデビューし、1年間京都で過ごす[13]。同年、映画『やくざ刑罰史 私刑!』で映画初出演も果たした[14]

『あゝ忠臣蔵』終了時期に、東京から『キイハンター』の撮影用台本が届き、国際警察捜査官・檀俊介役に抜擢される[15]。ゲスト出演を経て正式にレギュラー入りし、2年目にはマルベル堂のプロマイドの売り上げで千葉真一と1位、2位を争うほどの人気を得た[16]1972年の映画『麻薬売春Gメン』では、準主演格で神奈川県警の刑事役を演じ、千葉と共演している[17]

1973年に『仮面ライダーV3』の主役・風見志郎役に抜擢。1975年の『秘密戦隊ゴレンジャー』以降は『快傑ズバット』『ジャッカー電撃隊』と特撮ヒーローものに立て続けに出演。1990年代には『特警ウインスペクター』『特救指令ソルブレイン』『超力戦隊オーレンジャー』でヒーローを指揮する役柄を演じている[18]

時代劇においても、必殺シリーズ第3作『助け人走る』に「島帰りの龍」役[19]、『吉宗評判記 暴れん坊将軍』では御庭番・薮田助八役で[20]それぞれレギュラー出演している。また、刑事ドラマでは、桜木健一主演の人気シリーズ『刑事くん』に第3部から出演し[21]、『Gメン'75』には第227話からレギュラーに加入した[22]

1975年に東映を退社し、丹波プロダクションに入ってからは、他社作品への出演が増え、東宝特撮映画『惑星大戦争』にも出演している[7]

2001年(平成13年)の『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』で、24年ぶりに番場壮吉/ビッグワン(声)を演じた。また、2011年(平成23年)4月公開の『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』で、仮面ライダーV3とズバットの声を演じ、同年6月公開の『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』で、アオレンジャーの声と番場壮吉/ビッグワンを演じている。

2015年4月26日千葉県銚子市のふるさと大使に就任した[23]

人物[編集]

  • 既婚で[24]、一男あり。息子は東京都中野区バーを経営している[25]
  • 特技は、空手(三段)[8][26]柔道(初段)[8][26]剣道(三級)[26]乗馬[3]スキューバダイビング[3][8]。俳優の京本政樹との対談の中で「剣道だけが級止まりで浮いている。段をとっておけばよかったと後悔している」と述べている[26]
  • ファンサービスにも熱心であり、子供からのファンレターに対しては平仮名を用い、子供にも読めるよう字を崩さずに書くことを心掛けている[11][27]
  • 「特撮ヒーロー番組とは子供達に正義の心を教える教育番組に外ならない」とのポリシーを示しており[28][29]、「愛と、勇気と、正義と、希望。そういったものを与えるのがヒーローであります[30]」と、今もなお一貫してヒーローの美学を説き続けている。
  • 自身が主演をつとめた4本の作品について均等に思い入れがあり、京本政樹の「これまでの中で一番思い入れのある作品は」という質問に対して「全部です」と答えている[31]
  • 『特救指令ソルブレイン』に出演当時、「今まで4本の変身物に出演してきたのに、今も『ソルブレイン』のようなお子様番組に出演して、どうしてお子様番組ばかりに出演するのか」と訊かれることがあったという。それに対して「お子様番組って何ですか? 内容は子供に分かりやすく作っているかも知れないが、映像のプロが心血注いで作った作品をお子様番組と呼ぶのは心外だ」と反論している[31]
  • 2012年4月9日に行われた映画のイベント(『秘密戦隊ゴレンジャー』で共演した誠直也とのトークイベント)で、2008年閉塞性動脈硬化症で体内に人工血管を入れる大手術を受けていたことを明かしている。手術は8時間に及び、処置が遅ければ生命の危険もあったという[32]。この手術について、バラエティ番組のインタビューで「本当に人造人間になってしまったかな。」と答えている[33]
  • 神社仏閣を見たら、必ず一礼してから通る」と発言するなど、礼節を重んじている。

エピソード[編集]

『仮面ライダーV3』[編集]

経緯
仮面ライダーV3』への出演はオーディションではなく、関係者によりリストアップされた候補者の中から内定し、面接が行われた[34]。『キイハンター』の裏磐梯でのロケ時に、制作スタッフから『V3』のことを知らされぬまま、毎日放送の東京支社へ向かうよう指示される[35][29][36]。到着すると、見ず知らずの人に「宮内洋、来ましたー!」と呼び捨てにされてたので、ムッとしたという[注釈 3]。面接だと知らぬまま待っていたため、関係者にふてぶてしい態度をとっていたが、それが豪胆なように見られ、逆に気に入られた[注釈 4]。アクションができるか?バイクに乗れるか?と聞かれ、その場でも『V3』の話はでず、翌日、福島へ戻ってから「次の仮面ライダーに決定」と連絡をもらった[36]。師匠の丹波哲郎に相談したところ、「スーツアクターのオファーが来た」と勘違いされた[38][39][40]
演技について
出演が決定してからビデオデッキを購入して、『仮面ライダー』を録画して撮影前の演技プランを立てていたが[35][11][27][40][38]、何本か見たら…「勝った!!」と思っていた[41]。その理由を「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられる」と思ったからである[41]。「身体の動かし方」「カメラからの見え方」などを教わった経験で[注釈 5]、変身前のアクションシーンを増やしてもらうよう、スタッフに依頼していた[35][41]。千葉から学んだことを活かし、“アクション俳優”として普通の役者にはできないようなシーンに挑戦したいという気持ちや[43]、役者をやっている以上、1分1秒でも長く映っていたいという理由もあった[35][41]。『V3』やその他の特撮作品では必ず手袋を着用している理由として、スタントで怪我をするのを防ぐためであるが、これは千葉のアイデアを取り入れたものであるという。千葉が離陸するセスナ 172に飛びつくスタントを『キイハンター』でしているが、宮内ものちに同じアクションをこなしている。
前作の1号2号が唸るように声を出しているのに対し、V3は差別化を図るべく叫ぶにしたとこと。『V3』後半では変身時の掛け声が「変身、ブイスリー!!」から、対カニレーザー戦より「変身、ブイスリャー!!」に変わるが[要検証]、これは本人が「その方が(イ段の音より、ア段の音の方が)エコーが綺麗だから」と意識して変えたものだそうである[44][45][27]。変身時以外のセリフでは「ブイスリー」を貫いている。
アクションについて積極的に意見を出しており、その場で思いついたアイデアも多かったという[11]。『仮面ライダー』では素面とスーツの割合が4:6であったものを『V3』では7:3に逆転させている[35][40]。バイクで転倒する1カットを狙うためだけに強引に頼み込んで九十九里浜でロケを行ったこともあった[11][40]。のちの『仮面ライダーシリーズ』にゲスト出演したとき(『仮面ライダーストロンガー』第35話など)、バイクを走らせながら「変身ポーズ」をし、ロープウェーから両手のみでぶら下がるスタントもこなしている[注釈 6]。打ち合わせにも必ず参加しており、脚本でV3が台詞をいう場面を風見志郎の台詞に変えるよう要望を出している[11][40]
主題歌について
主題歌「戦え! 仮面ライダーV3」も宮内の歌唱によるものであり、当時発売されたレコードはミリオンセラーを記録した。このレコード収録で、テスト版を収録した水木一郎が宮内の収録指導に当たったが、宮内の言葉遣いが悪いと水木は不快に感じたため、後日イベントの合間に宮内と水木は喧嘩となり互いの思いの丈をぶつけ合った。しかし直後に二人で大笑いとなり、その後は親友になったと水木は語っている[47]
宮内の歌声はコーラスによってフォローされることになった。ソロによる宮内版V3主題歌テープは現存し、NGテイクにもかかわらずストロンガー最終回で使われた。宮内本人はこの使用を知らなかったらしくNHKBSにて生放送された石ノ森作品の特番において同作最終回をゲスト席で見ていた宮内も「知らなかった…」と苦笑していた。『怪獣VOW』(宝島社)でのインタビューによると宮内は、演歌などと違い譜面通りに歌わなければならず、アレンジを利かせられない歌は相当苦手だとのこと[要文献特定詳細情報]
特撮で有名になる以前からもレコードを出したこともあったが全く売れず、店頭で顔出しキャンペーンを行ってようやく数百枚売れるレベルだったため、非常に悲しかったと語っている[48]
後年の活動
後続の作品への客演も多く、昭和仮面ライダーシリーズでは最多出演である[40]
このように、初めて演じたヒーローである仮面ライダーV3・風見志郎には強い思い入れを持っており、「風見志郎は俺以外にはやらせない」と、近年『仮面ライダー THE FIRST』の書籍[要文献特定詳細情報]で語っている。
『THE FIRST』では、亡き小林の跡を継ぎ、宮内は1シーンのみだがおやっさん(立花藤兵衛)役を演じており、役が発表されたおり「当時から憧れた藤兵衛の役ができてとてもうれしい」とインタビューで語った[要文献特定詳細情報]

スーパー戦隊シリーズ[編集]

  • 秘密戦隊ゴレンジャー』出演のオファーを受けた際、宮内はアオが脇役と勘違いし当初は断っていたが、原作者石森の「アカレンジャー = 宮本武蔵、アオレンジャー = 佐々木小次郎、というスタンス」との説得でようやく受諾した[49][50][11][27][51][52]。オファーの時点でレギュラーを3本抱えていたため、撮影は週に1日程度しか参加できず[11]、アオレンジャーのアフレコのみという回が10本ほどある[52]
  • ジャッカー電撃隊』では、テコ入れにより宮内が演じる番場壮吉 / ビッグワンが物語の中心となったが、本来の主演である丹波義隆丹波哲郎の長男であり、宮内は主役を取ったようで気が引けたと述べている[53]。また、当時『快傑ズバット』で主演を務めており、「隊長の役」と聞いて基地から司令を出す役なら撮影日数が少なくて済むと考えていたが、実際には変身する役であったため驚いたという[54][55]。衣装は宮内の意見で作られ、立ち回りで映えるようにジャケットの裏側を赤にしている[56]
  • 超力戦隊オーレンジャー』では、5人の参謀役として務めていた。演技については『特警ウインスペクター』『特救指令ソルブレイン』で演じた正木俊介とは衣装が変わったこと以外に特別な違いはなかったと述べている[56]。撮影にて、夏期にメンバーで旅館に泊まっていたところ、さとう珠緒が「なんでこんなに暑いのに靴下をはいているんですか」と尋ねたところ、宮内は「もし子供がこんな格好を見ていたら格好悪いだろ。ヒーローは常に格好良くないといけない」と語り、さとう珠緒はその態度に感服したと語った[57]

『快傑ズバット』[編集]

  • 宮内は当初『快傑ズバット』に乗り気でなかったと語られることがあるが、宮内本人は最初に企画を聞いた時に脚本ができていなかったので「ホンを見せてください」として保留にしたのが、プロデューサーの平山亨に「OKが出なかった」と伝わったのではないかと述べている[58]。脚本を読んだ宮内は自身にしかできないと思い即OKを出したという[58]
  • 撮影ではアドリブなどを自由にやることができ、宮内はズバットに変身せずすべて早川健でやりたかったと述べている[58]
  • オープニングなどで行っている肩をすくめたジェスチャーは『ゴレンジャー』出演当時、ハワイのKIKU-TV主催のショーに出演した際に、サイン会で地元の子供が肩をすくめる仕草をしていた姿がヒントになっている[59][60]
  • 『快傑ズバット』は作品自体好評にも拘わらず玩具商品が売れなかったため、作品が打ち切りになってしまい、玩具メーカー主導の特撮番組の制作体制を嘆いている[59][58]。当人はこれを「企業の宿命」だと自伝などで語っている[要ページ番号]
  • 『快傑ズバット』LD最終巻には初回プレス分すべてにサインを記し[61]、総集編『快傑ズバット メモリアル』では初回特典のトレーディングカードに1枚1枚直筆サインをしている[62]

交友関係[編集]

  • 石ノ森章太郎とは『仮面ライダーV3』の頃には会っておらず、『ゴレンジャー』のオファー時に説得を受けたのが事実上の初対面であった[11]。後年、石ノ森からV3の色紙を描いて贈呈すると言われていたが、石ノ森が死去したため実現しなかった[11]
  • “おやっさん”こと立花藤兵衛役を演じた小林昭二は、主役を張りつい調子に乗る宮内を叱ったり、アドバイスをするなど非常に面倒見がよく、宮内にとっては公私ともに「おやっさん」であった[63][27]
  • 『仮面ライダーV3』はハワイでも放送されていたため、同じくハワイで放送されていた『人造人間キカイダー』主演の伴大介とはともにハワイのイベントに出演することが多い[27]
  • 『ゴレンジャー』で共演した畠山麦は、自宅が近所にあり仲が良かった[50]。『快傑ズバット』の第29話に畠山は悪役で出演しているが、出演依頼は宮内自身が行った[64][65]
  • 歌手の水木一郎は、自身と宮内の性格は似ていると称しており、1度本気の喧嘩をした後に仲良くなったという[66]

その他[編集]

  • 『ゴレンジャー』や『快傑ズバット』では、風見志郎が別のヒーローになったと思われないように年齢設定を上げ、風見志郎では腰を落として相手に向かっていたところを新命明では怪人と対等な目線に立ち、番場壮吉や早川健では上に立った物言いで余裕を見せるなど、腰の高さ・目線・台詞回しなどを変えている[52][67]
  • 特警ウインスペクター』の正木俊介役は、師である丹波哲郎が『キイハンター』や『Gメン'75』で演じたようなボス役であるということで引き受けたが、丹波のように表に出ないのではなく変身しない役でも積極的にアクションを入れるよう要望している[56]
  • 仮面ライダー』で一文字隼人/仮面ライダー2号役を演じた佐々木剛は、宮内の日頃から自身を律し、ヒーローとしてのイメージを保ち続けている姿勢を評価している[68]
  • 『V3』の後番組である『仮面ライダーX』で主演を務めた速水亮は、「火薬の爆発」が苦手だったと語っており、自ら火薬の量を増やして派手なアクションを演じていた宮内について「変わってるよなぁ」と評している[69]
  • 仮面ライダー (スカイライダー)』にゲスト出演した際、爆発の中をオートバイで走り抜けるシーンを自ら演出し、主演の村上弘明には、アクションについて「どんどん自分で提案したほうがいい」とアドバイスを送ったという[70]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

舞台[編集]

  • 河内山宗俊(1983年、京都南座
  • 雪之丞変化(1986年、コマ・プロダクション/1987年、中日劇場
  • そうでしょうか(1987年、俳優座
  • 花と龍(1988年 コマ・プロダクション)
  • 通天閣高い(1988年、京唄子劇団
  • 女座長の唄(1989年 京唄子劇団)
  • 恋の連舞(1989年、コマ・プロダクション)
  • 雪之丞変化(1990年 京唄子劇団)
  • 滝の白糸(1990年、コマ・プロダクション)
  • 嫁と旅役者(1991年、京唄子劇団)
  • 女ねずみ小僧異聞 天命燃ゆ(1991年、コマ・プロダクション)
  • 川びらきと祝囃子(1991年、京唄子劇団)
  • 赤い風車と花笠道中(1993年、京唄子劇団)
  • 晴姿若様剣法(1994年、コマ・プロダクション)
  • 絢爛義経絵巻(1995年、コマ・プロダクション)
  • ドラキュラ・イン・ジャパン 愛・時をこえて(1997年、御園座・新歌舞伎座)
  • 花嫁衣裳(1997年、京唄子劇団)
  • 海道一の暴れん坊 石松道中双六(1998年、京唄子劇団)
  • 石松初恋旅(2000年、明治座)
  • 立春なみだ橋(2002年、明治座)
  • ザ・ドリフ3/5 夢の芝浜繁盛記(2005年、御園座)
  • おゆき(2006年、御園座)
  • ティーチャーズ〜職員室より愛をこめて〜(2007年・2009年、東映梅田芸術劇場
  • 緋牡丹お竜(2008年、新歌舞伎座)
  • 女優(2010年、ヒューマンピクチャーズ)
  • 奇々怪々〜老ノ坂のもののけ達〜(2013年、カートプロモーション
  • to U 〜友情を超えた狂気を君に贈る〜(2014年、ライラックプロモーション
  • トウキョウ演劇倶楽部プロデュース公演Vol.7/ ブラックジャックによろしく〜がん患者編〜(2014年、六行会ホール)
  • 音楽劇 赤毛のアン(2015年、国連クラシックライブ協会)
  • カフェ・パラダイス(2016年、Office ENDLESS)

その他のテレビ番組[編集]

ゲーム[編集]

パチンコ[編集]

  • CRぱちんこ仮面ライダーV3 - 風見志郎 / 仮面ライダーV3

CM[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

音楽[編集]

シングル
アルバム
  • 特警ウインスペクター ヒット曲集(1990年、日本コロムビア) - 挿入歌「燃やせ! 瞳を」
  • 石ノ森章太郎 男も泣けるTV主題歌集(1998年、テイチク) - 「地獄のズバット」

著書[編集]

  • 宮内洋 『ヒーロー神髄』 風塵社1998年ISBN 9784938733551。 ※芸能生活30周年記念出版。ヒーロー = 宮内洋と、人間 = 宮内洋の両面を披露

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 宮内の著書『ヒーロー神髄』ではデビュー時の身長を176 cmとしている[4]
  2. ^ 宮内の著書『ヒーロー神髄』では生年月日を1945年6月14日としている[6]
  3. ^ 宮内は後から知るが、毎日放送が『仮面ライダー』の制作会社で、呼び捨てにしたのは宮内が所属していた東映の部長・平山亨だった[36]
  4. ^ 東映プロデューサーの平山や阿部征司は後年「ドアを蹴破って入ってきた」と述べているが、宮内は「そこまではやっていない」「そんな事をする訳がない。私にだって常識はありますよ。」と否定している[37][29][36]
  5. ^ 宮内は『キイハンター』で千葉真一が爆発の中を駆け抜けるシーンを横から見ていると、カメラを通して観るよう指導され、その迫力の違いに驚愕した[41]。横から見ていると火薬と千葉の間を安全のために距離を取っていたが、レンズの位置からみると今にも火薬でやられてしまうような迫力だったと宮内は語っている[41]。また、『キイハンター』当時行われた裏磐梯ロケの記事では、千葉から転落する際のアクションがぎこちないと注意を受け、千葉のアドバイス通りに本番に臨んだら一回でOKだったと紹介されている[42]
  6. ^ 特に『V3』ではスタッフに何度も頼んで変身後のアクションシーンを変身前に変更してもらったと述懐している[46]

出典[編集]

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  2. ^ a b c d e 『日本タレント名鑑'83』 VIPタイムズ社、1982年、212頁。
  3. ^ a b c d e f g 『日本タレント名鑑2004』 VIPタイムズ社、2004年、360頁。ISBN 978-4990124229。
  4. ^ ヒーロー神髄 1998, p. 29.
  5. ^ 京本 1992, p. 106.
  6. ^ ヒーロー神髄 1998, p. 24.
  7. ^ a b c d e 『日本映画人名事典』男優編〈下巻〉、キネマ旬報社1996年、737頁。ISBN 978-4873761893。
  8. ^ a b c d 『テレビ・タレント人名事典』第5版、日外アソシエーツ2001年、1037頁。ISBN 978-4816916779。
  9. ^ ヒーロー神髄 1998, p. 12.
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  12. ^ ヒーロー神髄 1998, p. 31.
  13. ^ ヒーロー神髄 1998, pp. 35-36.
  14. ^ ヒーロー神髄 1998, p. 47.
  15. ^ ヒーロー神髄 1998, pp. 50-51.
  16. ^ ヒーロー神髄 1998, pp. 60-61.
  17. ^ 麻薬売春Gメン 作品情報・映画レビュー”. KINENOTE(キネノート). キネマ旬報社. 2018年12月15日閲覧。
  18. ^ キャラクターランド 2015, p. 43, 「ヒーロー俳優、宮内洋の系譜」.
  19. ^ ヒーロー神髄 1998, pp. 150-153.
  20. ^ ヒーロー神髄 1998, pp. 161-168.
  21. ^ ヒーロー神髄 1998, pp. 154-156.
  22. ^ ヒーロー神髄 1998, pp. 169-174.
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  73. ^ 誠直也&宮内洋、不仲説一蹴!ゴレンジャー以来の共演…映画「死ガ二人ヲ─」”. スポーツ報知. 2012年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月1日閲覧。
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参考文献[編集]

  • 秘密戦隊ゴレンジャー大全集:ジャッカー電撃隊講談社テレビマガジン特別編集〉、1988-06-31ISBN 4-06-178409-9。
  • 京本政樹 『京本政樹のHERO考証学』 バンダイ〈B-CLUB SPECIAL〉、1992年7月1日ISBN 489189234X。
  • 『快傑ズバット大全』 ブレインナビ 編、双葉社2002年。ISBN 978-4575293715。
  • 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』(講談社
    • 『Vol.2 仮面ライダー2号』、2004年7月9日ISBN 4-06-367092-9。
    • 『Vol.3 仮面ライダーV3』、2004年8月10日ISBN 4-06-367088-0。
    • 『Vol.5 仮面ライダーX』、2004年11月10日ISBN 4-06-367094-5。
  • 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日ISBN 978-4-06-218566-0。
  • 岡謙二 『不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説』 ソニー・マガジンズ 編、ソニー・マガジンズ1999年ISBN 4789713385。
  • 雑誌インタビュー
    • 「秘蔵写真で綴る!! 宮内洋大全集」、『HYPER HOBBY PRESENTS キャラクターランド』Vol.1、徳間書店2015年6月1日、 pp.42-50、 ISBN 978-4-19-730134-8。
    • 「特撮ヒーロー界のレジェンドが語る“ヒーローの在り方”」『俺たちのPLAY-BACK 昭和マガジン VOL.2 ボクらのスーパー戦隊』 ダイアプレス〈DIA Collection〉、2015年6月18日、pp.54-58。ISBN 978-4-8023-0030-8。