宮原義周

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宮原 義周(みやはら よしちか、天明3年(1783年) - 安政5年(1858年))は、江戸時代後期の高家旗本宮原義潔の長男。通称は仙之丞。官位は正四位下左少将、弾正大弼。

高家旗本・宮原義潔の養嗣子義利(義潔の実弟)の養子となる。養父義利は家督を相続する前に死亡したものと推測される。享和元年(1801年)12月15日、将軍徳川家斉御目見する。文化2年(1805年)閏8月9日、部屋住ながら高家見習に召し出される。同年12月16日、従五位下侍従・摂津守に叙任する。後に弾正大弼に改める。同年12月21日、高家職に就く。文化6年(1809年)12月27日、家督を相続する。文化14年(1817年)11月1日、従四位下に昇進する。文政5年(1822年)6月25日、高家肝煎に就任する。文政8年(1825年)10月23日、従四位上に昇進する。文政10年閏6月15日、左少将に任官する。天保8年(1837年)11月13日、正四位下に昇進する。安政元年(1854年)9月22日、老齢と病気を理由に高家肝煎を辞職する。安政2年(1855年)11月16日、隠居して息子義直に家督を譲る。安政5年(1858年)死去、76歳。

正妻は織田秀綿の娘。