宮城県古川工業高等学校

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宮城県古川工業高等学校
Furukawa Technical Highschool.JPG
過去の名称 古川商業専修学校
私立青年学校古川商業専修学校
公立青年学校宮城県志田郡古川町商業専修学校
宮城県古川商業学校
宮城県古川工業学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮城県の旗 宮城県
校訓 友愛 誠実 勇気・健康
設立年月日 1934年4月12日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程、定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 (全日制)
土木情報科
建築科
電気電子科
機械科
化学技術科
(定時制)
機械科
電気科
高校コード 04154J
所在地 989-6171
宮城県大崎市古川北町四丁目7番1号

北緯38度35分0.1秒 東経140度57分54.6秒 / 北緯38.583361度 東経140.965167度 / 38.583361; 140.965167座標: 北緯38度35分0.1秒 東経140度57分54.6秒 / 北緯38.583361度 東経140.965167度 / 38.583361; 140.965167
外部リンク 公式サイト
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宮城県古川工業高等学校の位置(宮城県内)
宮城県古川工業高等学校

宮城県古川工業高等学校(みやぎけん ふるかわこうぎょうこうとうがっこう)は、宮城県大崎市古川北町四丁目にある県立工業高等学校、通称は「古工」(ふるこう)、または「古川工業」(ふるかわこうぎょう)。「宮城のスポーツ名門校」として知られている。

沿革[編集]

年表[編集]

年号 沿革
1934年4月12日 古川商業専修学校として開校。
1936年3月31日 私立青年学校古川商業専修学校と改称。
1936年4月27日 公立青年学校宮城県志田郡古川町商業専修学校と改称。
1938年3月19日 宮城県古川商業学校と改称(古川町立)。
1944年3月11日 宮城県古川工業学校と改称。
1947年4月21日 古川町より宮城県に移管。
1948年4月1日 宮城県古川工業高等学校と改称。
1997年 新校舎が完成。

概要[編集]

宮城県内には理数科のある高校が少なかったことから、理数系を志望する者は高専や工業高校を受験する傾向があり、大崎市内では古川工業がその役割を果たしてきた。古川駅から近いため県内各所からのアクセスが良いこともあり入試倍率が高く、特に電子科は県内トップクラスの倍率であった。1990年代は同じ大崎市内の進学校である古川高校が普通科のみだったこともあり、偏差値がさして変わらない時期が長らく続いた。

就職率が大変高い学校として知られ、卒業後は東北電力などの地元大手企業への就職が多かったが、2000年代以降は東北学院大学工学部東北工業大学日本大学工学部などに進む者も多数おり、稀にではあるが国公立大学へ進む者もいる。また、運動部は私立大学へ進み競技を続ける者も多数いる。

全ての運動部が県大会優勝もしくは上位入賞し全国大会出場経験のある「スポーツ強豪校」である。特に男子バレーボール部は名門でバレーボール全日本蘇武幸志藤井直伸)を二人輩出している、宮城県の高校バレーボールを題材にした漫画『ハイキュー!!』の伊達工業高校のモデルにもなった。硬式野球部2011年甲子園に出場しており宮城を代表する強豪校であり、自転車競技部も数多くのプロ競輪選手を輩出している。その他バスケットボール部ハンドボール部、卓球部柔道部陸上部スキー部、ダンス部なども県下トップクラスの実力を持つ強豪校であり大変、部活動の盛んな学校として知られている。

設置学科[編集]

  • 全日制課程
    • 土木情報科
    • 建築科
    • 電気電子科
    • 機械科
    • 化学技術科
  • 定時制課程
    • 電気科
    • 機械科

部活動 [編集]

運動部
硬式野球部は県大会上位には進出はするもののなかなか県大会を突破することができなかったが、卒業後に社会人野球や大学野球で活躍する者が多かった。少数ではあるが首都圏の大学野球へ進んだ者もいる。2011年に山田大貴(東北福祉大学)を擁し、第93回全国高等学校野球選手権大会初出場。県予選準決勝で優勝候補の東北・決勝で公立の強豪利府を下しての出場となった。くしくも利府の小原監督は以前、古川工業で10年以上に渡り指揮を執っており、当時はまだ無名であった手塚一志氏を外部コーチとして招聘するなどし強豪校としての礎を築いてたこともあり、OBの中には複雑な心境を抱えた者も少なくなかった。大崎市の高校では初の出場。1回戦(3日目第2試合)で、後に横浜(現・横浜DeNAベイスターズ)にドラフト1位指名された北方悠誠率いる唐津商と対戦。9対4で敗れた。主な進路としては東北学院大学東北福祉大東北工業大学石巻専修大学東日本国際大学等の東北地方の大学のほか金沢学院大学中部学院大学などの東北福祉大出身者が監督を務める大学への進学が目立つ。
1976年の長野インターハイにおいて蘇武幸志を擁して全国ベスト8。
文化部

定期戦[編集]

著名な出身者[編集]

スポーツ[編集]

技術者[編集]

文芸[編集]

文化[編集]

関東四校合同同窓会[編集]

アクセス[編集]

関連項目[編集]