宮城県気仙沼向洋高等学校

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宮城県気仙沼向洋高等学校
Miyagi Prefecture Kesennuma Koyo High School 1.jpg
過去の名称 気仙沼町立水産補習学校
郡立本吉水産学校
県立水産講習所
宮城県水産試験場気仙沼分場講習部
県立宮城県気仙沼水産学校
宮城県気仙沼水産高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮城県
校訓 尚志・創造・力行
設立年月日 1901年4月
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 情報海洋科
産業経済科
機械技術科
専攻科 漁業科
無線科
学期 3学期制
高校コード 04164F
所在地 988-0235
宮城県気仙沼市長磯牧通78番地

北緯38度50分3.3秒 東経141度34分35.2秒 / 北緯38.834250度 東経141.576444度 / 38.834250; 141.576444座標: 北緯38度50分3.3秒 東経141度34分35.2秒 / 北緯38.834250度 東経141.576444度 / 38.834250; 141.576444
外部リンク 公式サイト
Portal.svg ウィキポータル 教育
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宮城県気仙沼向洋高等学校(みやぎけん けせんぬまこうようこうとうがっこう)は、宮城県気仙沼市長磯牧通にある県立高等学校

概要[編集]

  • 設置学科 全日制課程 
    • 情報海洋科
      • 海洋類型
      • 情報電子類型
    • 産業経済科
      • 食品開発類型
      • 食品ビジネス類型
    • 機械技術科
      • 機械システム類型
      • エンジンシステム類型
    • 専攻科
      • 漁業科
      • 無線科

下記沿革にもあるように、元々水産系高校として発足した学校のため、現在も年1回(基本的に10月頃)の長期航海があり、宮城県教育委員会の実習船「宮城丸」を用いてハワイまでの往復航海を行う。なお学科によっては宮城県水産高等学校との合同実習となる場合がある。

沿革[編集]

  • 1901年2月 - 気仙沼町立水産補習学校の設置を決議する
  • 1901年4月 - 開校
  • 1902年4月 - 郡立本吉水産学校に昇格する
  • 1921年3月 - 県立水産講習所として県に移管される
  • 1927年3月 - 宮城県水産試験場気仙沼分場講習部に改組
  • 1942年1月 - 宮城県水産講習所に改組
  • 1945年4月 - 県立宮城県気仙沼水産学校となる
  • 1948年4月 - 宮城県気仙沼水産高等学校に昇格する
  • 1977年4月 - 波路上地区に校舎を移転
  • 1994年4月 - 宮城県気仙沼向洋高等学校に校名変更
  • 2011年3月 - 東日本大震災により校舎、敷地が津波により甚大な被害に遭ったものの、震災時に学校にいた生徒・教職員は全員無事だった[1]
以降、仮校舎が完成するまでそれぞれ気仙沼西高校本吉響高校米谷工業高校での授業となる。
  • 2011年11月 - 気仙沼高校の第二グラウンドに建設した仮設校舎にて授業開始。
  • 2015年 - 複数の生徒が校内で女子生徒を盗撮していた不祥事が明らかになった。関わった生徒の中に硬式野球部員がおり、日本高野連は第97回全国高校野球選手権宮城大会に出場させない措置を取った。
  • 2016年 - 被災した旧校舎について、南校舎を震災遺構として保存する一方で、それ以外の校舎は解体する方針が決まる[2]
  • 2018年8月 - 長磯牧通地区に新築する新校舎に移転[3]。波路上の旧校舎は南校舎に加えて北校舎も震災遺構として保全されることになる。
  • 2019年3月10日 - 旧校舎が「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」としてオープン[4]

部活動[編集]

  • 運動部
    • 柔道部、相撲部、ラグビー部、硬式野球部、卓球部、ヨット部、男子バスケットボール部、女子バスケットボール部、男子バレーボール部、女子バレーボール部、バドミントン部、テニス部
  • 文化部
    • 写真部、ハイテク部、VFC同好会、電波研究会、軽音楽部

交通[編集]

※波路上旧校舎(震災遺構)は陸前階上駅下車徒歩20分

震災[編集]

2011年の東日本大震災では4階までが津波で水没するなどの被害を受けた。(前述)

2017年2月、校舎を破損した状態で震災遺構として保存するために、建築基準の適応外とする震災遺構保存条例案が市議会に提出されている[5]。保全される校舎は当初南校舎だけであったが、2018年2月には北校舎も追加で保全されることになった。2019年3月10日から「気仙沼市東日本大地震遺構・伝承館」として一般公開されている[4][6]

出身者[編集]

  • 水上不二 - 児童文学作家 (1904生)
  • 畠山重篤 - 養殖漁業家、京都大学・社会連携教授、著述家 (1943生)

脚注[編集]

関連項目[編集]