宮崎敏郎

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宮﨑 敏郎
横浜DeNAベイスターズ #51
20130803 Tosiro Miyazaki, infielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
2013年8月3日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県唐津市
生年月日 (1988-12-12) 1988年12月12日(29歳)
身長
体重
172 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手二塁手一塁手
プロ入り 2012年 ドラフト6位
初出場 2013年5月20日
年俸 1億6,000万円(2019年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する佐賀県唐津市出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

佐賀県立厳木高等学校への在学中には、1年生の春から投手でベンチ登録。2年生の夏から「4番・投手」を務めるとともに、公式戦で通算24本塁打を放ったが、春夏秋を通じて全国大会と縁が無かった。

日本文理大学への進学後には、1年生の秋から三塁手のレギュラーに定着。九州大学野球のリーグ戦では、2度の首位打者、3度のMVP、ベストナインを獲得した[2]。また、2年生から2年続けて全日本大学野球選手権に出場。3年生の時には、5番打者として、チームのベスト8進出に貢献した。さらに、4年生の時には主将も務めている。

就職活動では10社以上の企業に不採用となったが[3]、大学卒業後の2011年にはセガサミーへ入社。同社の硬式野球部では、打線で1番や3番を任されるとともに、2年目にはチーム事情から二塁を守った[4]2012年に東京第3代表として出場した第83回都市対抗野球大会では、初戦の日本通運戦において、8回裏に逆転満塁本塁打。チームに3年振りの勝利をもたらすとともに[5]、勝負強さを印象付けた。

2012年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから6巡目で指名を受けて入団した[6]。背番号は51。ちなみに、セガサミーのチームメイトである外野手赤堀大智も、横浜DeNAからの4巡目指名で入団している。

横浜DeNA時代[編集]

2013年は、春季キャンプ中に左外腹斜筋の肉離れを起こした影響[7]で、開幕一軍入りを逃した。しかし、イースタン・リーグでは、公式戦の開幕直後からクリーンアップに定着。4月中旬の公式戦で3試合連続本塁打を記録した。5月19日にプロ入り後初の出場選手登録を果たす[8]と、5月20日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)8回表に代走として一軍公式戦にデビュー。「日本最北の野球場(旭川スタルヒン球場)で初めて開催されたナイトゲーム」である6月2日の北海道日本ハムファイターズ戦では、「6番・三塁手」として、一軍で初めてのスタメンに起用された。この試合では、第1打席の2点適時打によって、一軍での初安打と初打点を記録[9]。8回裏の第4打席では、この年のセントラル・リーグの新人選手では最も早く、一軍での初本塁打を放った[4]。シーズン通算では、一軍公式戦33試合の出場で、2本塁打、5打点、打率.250を記録。三塁手として11試合、4試合で二塁手として4試合にスタメン出場した(いずれも無失策)。また、61試合に出場したイースタンリーグの公式戦では、7本塁打を放っている。

2014年は、オリックスバファローズから移籍したアーロム・バルディリスや、シーズン途中に入団したユリエスキ・グリエルが、いずれも内野のレギュラーに定着。他の日本人内野手が一軍で台頭したこともあって、一軍公式戦への出場は5試合にとどまった。シーズン初の出場選手登録2日後の4月26日には、二塁手として阪神タイガース戦(横浜)に出場。9回表無死1塁で大和が投前犠打を試みた際に、一塁のベースカバーへ入った。しかし、犠打を捕球した山口俊投手が二塁に送球すると思い込んで目をそらしたため、山口から一塁への送球を捕れなかった[10]。このプレーで一軍初失策を記録すると、内野手出身の一軍監督・中畑清から「野球の世界にないボーンヘッド」と酷評された[10]あげく、出場選手登録からわずか2日で登録を抹消。結局、一軍公式戦では5試合の出場にとどまった。

2015年は、シーズン中盤以後、従来の正二塁手・石川雄洋に代わって、主に二塁手として一軍公式戦のスタメンに起用される機会が増えた。7月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)では、「3番・二塁手」としてスタメンに起用されると、9月10日の同カードではトニー・バーネットからソロ本塁打を放った。宮崎がこの年に一軍公式戦で放った本塁打も、バーネットが公式戦で浴びた本塁打も、この一打のみであった。一軍公式戦通算では、58試合の出場で打率.289を記録。二塁手として35試合、一塁手として3試合、三塁手として1試合でスタメンに起用された。

2016年には、レギュラーシーズンの開幕当初から正二塁手の座を石川と争った後に、セ・パ交流戦からスタメン起用の機会が増加。6月14日の対日本ハム戦(札幌ドーム)からは、主に5番打者を任される一方で、8月上旬には一時7番打者としてスタメンに起用された。一軍公式戦では、レギュラーシーズンにおけるセントラル・リーグ(セ・リーグ)の最終規定打席に届かなかったものの、101試合の出場(スタメン起用83試合)で打率.291、11本塁打、36打点とプロ入り後自己最高の成績を記録。36試合で5番打者、24試合で3番打者を務めるなど、打線の中軸を担いながら、チームを球団史上初めてのクライマックスシリーズ(CS)進出に導いた。守備面では、二塁手として36試合、三塁手として27試合、一塁手として20試合でスタメンに起用されている。チームのレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでは振るわず、クライマックスシリーズ・ファイナルステージでの敗退が決まった直後には、アレックス・ラミレス監督がシーズン終了記者会見の席上「(4番打者の)筒香嘉智との勝負を余儀なくされるほど(相手投手に警戒される力量)の打者を5番に据える必要がある」[11]というコメントを残した。

2017年には、一軍公式戦の開幕から5番打者として打率3割を記録していたが、4月中旬に脇腹を痛めて一時戦線を離脱した。5月3日の対巨人戦(東京ドーム)から一軍に復帰すると、6月11日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)で規定打席に到達するとともに、打率(.327)でセ・リーグの2位に急浮上[12]。6月15日の対千葉ロッテマリーンズ戦で唐川侑己から一軍公式戦初の満塁本塁打、7月5日の対阪神戦で一軍公式戦初の1試合5安打を記録するなどの活躍を背景に、オールスターゲームにもセ・リーグの監督推薦選手として初出場を果たした[13]。8月22日の対広島戦(いずれも横浜)では、3点ビハインドで迎えた9回裏無死1塁から3番打者の筒香による2点本塁打、4番打者のホセ・ロペスによる同点ソロ本塁打に続いてソロ本塁打を記録。2年連続の一軍公式戦レギュラーシーズン2桁本塁打を達成するとともに、チームをサヨナラ勝利[14]、8回表からの登板で2イニングを無失点に抑えていた新人投手・尾仲祐哉を一軍公式戦初勝利へ導いた[15]。DeNAで3人以上の打者が一軍公式戦で連続本塁打を放った事例は(前身球団を含めて)12年振り10度目だが、NPBのチームが3者連続本塁打によって逆転サヨナラ勝利を収めた事例は、パシフィック・リーグを含めても一軍公式戦史上初だった[16]。なお、横浜スタジアムでは、9月6日の対ヤクルト戦でも延長11回裏に先頭打者として松岡健一からサヨナラ本塁打を放っている[17]。さらに、シーズンの中盤から打率でセ・リーグの首位に立つ[18]と、最終打率.323で首位打者のタイトルを初めて獲得した。「首位打者&盗塁ゼロ」は2001年の福浦和也、2012年の阿部慎之助に続いて史上3人目の珍記録であった。チームの2年連続レギュラーシーズン3位で臨んだCSでは、阪神とのファーストステージ突破を経て、広島とのファイナルステージ全5試合で打率.368、2本塁打をマーク。チームを19年振りの日本シリーズ進出へ導いた。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも、全6試合で打率.400、2本塁打と好調を維持したが、チームは2勝3敗で迎えた第6戦に延長11回サヨナラ負け。シリーズ終了後に、ベストナイン(三塁手部門)を受賞した。

2018年は「5番・三塁手」で開幕スタメンに名を連ね、主にクリーンナップの一角として活躍。オールスターゲームではファン投票で選出され、第2戦で西武の菊池雄星から球宴初安打となる本塁打を記録した[19]。8月17日の対広島戦では、1対4で3点ビハインドの8回に4番打者の筒香による満塁本塁打に続いてソロ本塁打を放った後、後続の6番打者ネフタリ・ソトもソロ本塁打を放ち、前年に引き続いて2年連続で横浜スタジアムでの対広島戦で3者連続本塁打記録の一角になった。最終成績は1試合欠場したのみの142試合で打率.318、28本塁打、71打点だった。なおこの年は宮崎以外に筒香嘉智、ホセ・ロペス、ネフタリ・ソトも20本塁打以上を記録し、20発カルテットとなった。球団では41年ぶりの快挙となった[20]

選手としての特徴[編集]

バッティングフォーム
(2013年8月3日、横浜スタジアムにて)

「豆タンク」と称される小柄な体型(横浜DeNAでの身長は公称で172cm)ながら、打席では左足を上げてからのフルスイングで、右方向を中心に広い角度にわたって長打力を発揮[21]。セガサミー時代の2年間に3番を任されたのも、「放っておけばずっと打撃練習(に明け暮れていたこと)」に加えて、「スイングが速く、(打席で)我慢できる分だけ、投球を捉える能力が高かった」からという[4]。また、バットを投手側に傾けるようにしながらタイミングを取る独特の打撃フォームは、小学生のときから変わらないという宮﨑のオリジナルフォームである[22]

また、50メートル走6秒台前半の俊足と、遠投100メートルの強肩の持ち主でもある。ただしDeNAでは、入団した2013年から2018年まで、一軍の公式戦で盗塁を記録していない。日本プロ野球で創設2年目の1937年以降にレギュラーシーズンで首位打者になった日本人選手で、公式戦へのデビュー以来全く盗塁を記録しないままこのタイトルを獲得した選手は、宮﨑が初めてである[23]

人物[編集]

その体型と風貌から「ハマのプーさん」と呼ばれている[24]。なお、子供の頃は髪の量が多かったことから「ウニ」と呼ばれていたという[25]。また、チームメイトのG後藤武敏には、その鮮やかな当たりが落合博満を思わせるということで、「小さい落合」の意味で「コチアイ」というニックネームを付けられている[26]

前年までと比べ、101試合と大幅に出場試合数を増やして飛躍のシーズンになった2016年は、夏に行われたインタビューにて、「毎日毎日、必死でやっています。全力でやっているので、そういうところを見てもらえたら。試合に出してもらえるんだったらどこでもいい。どこでも守りますし、どこの打順でも打たせてもらえるんだったら、そこで結果を出したいと思います」と述べている[27]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2013 DeNA 33 58 52 7 13 2 0 2 21 5 0 0 0 1 2 0 3 11 1 .250 .310 .404 .720
2014 5 13 13 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .154 .154 .231 .385
2015 58 163 152 13 44 8 0 1 55 10 0 0 0 1 6 0 4 21 5 .289 .331 .362 .693
2016 101 335 302 31 88 16 0 11 137 36 0 0 0 0 25 0 8 30 12 .291 .361 .454 .815
2017 128 523 480 53 155 28 1 15 230 62 0 0 0 1 38 1 4 47 23 .323 .377 .479 .856
2018 142 590 551 71 175 34 0 28 293 71 0 0 0 0 38 3 1 45 16 .318 .363 .532 .894
NPB:6年 467 1682 1550 175 477 89 1 57 739 184 0 0 0 3 109 4 20 157 57 .308 .360 .477 .837
  • 2018年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



一塁 二塁 三塁




































2013 DeNA - 4 7 7 0 1 1.000 11 10 16 0 3 1.000
2014 - 3 9 5 1 2 .933 1 0 0 0 0 ----
2015 3 19 1 0 0 1.000 40 67 88 0 12 1.000 1 0 0 0 0 ----
2016 21 165 10 1 5 .994 42 59 84 1 15 .993 29 16 42 2 3 .967
2017 5 16 1 0 1 1.000 6 12 14 1 4 .963 119 49 209 8 18 .970
2018 3 4 0 0 0 1.000 - 140 79 211 11 23 963
通算:6年 32 204 12 1 6 .995 95 154 198 3 34 .992 301 154 478 21 47 .968

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 51 (2013年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2018年12月6日閲覧。
  2. ^ 神宮つかめ文理大 九州大学野球決勝T(大分合同新聞)[リンク切れ]
  3. ^ 華がなく、社会人は10社以上落ち。DeNA・宮崎敏郎が超無名だった頃。(3/4)”. Sports Graphic Number. 文藝春秋 (2017年6月19日). 2017年6月19日閲覧。
  4. ^ a b c 【とっておき】DeNA・宮崎は「放っておけばずっと打撃練習」サンケイスポーツ、2014年1月26日閲覧
  5. ^ ミスター大興奮 セガサミー逆転満塁弾で3年ぶり白星 スポーツニッポン 2012年7月18日閲覧
  6. ^ DeNAドラフト指名 赤堀と宮崎の入団決まる 産経新聞 2012年11月7日閲覧
  7. ^ DeNAドラフト1位白崎&6位宮崎が離脱 日刊スポーツ 2014年1月26日閲覧
  8. ^ 【DeNA】山口ら抹消、宮崎ら登録日刊スポーツ、2014年1月26日閲覧
  9. ^ 【DeNA】宮崎初スタメン初安打初打点
  10. ^ a b “キヨシ「野球の世界にないボーンヘッド」”. 日刊スポーツ. (2014年4月27日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140427-1291622.html 2016年3月16日閲覧。 
  11. ^ ラミレス監督「1、2位を争うにはもう少しの力が必要」”. サンケイスポーツ. 2016年11月26日閲覧。
  12. ^ DeNA宮崎が規定打席到達で打率2位に”. デイリースポーツ. 2017年8月22日閲覧。
  13. ^ マイナビオールスターゲーム2017出場者”. 日本野球機構. 2017年8月22日閲覧。
  14. ^ DeNA3連発サヨナラ勝ち、宮崎「むっちゃ緊張」”. 日刊スポーツ. 2017年8月23日閲覧。
  15. ^ DeNA新人の尾仲、3連発呼び込む好投でプロ初星「実感があまりない」”. デイリースポーツ. 2017年8月23日閲覧。
  16. ^ DeNA劇的勝利 前身・大洋時代には「幻」の3連発サヨナラ”. スポーツニッポン. 2017年8月23日閲覧。
  17. ^ DeNA宮崎サヨナラ弾「負けるような雰囲気ない」”. 日刊スポーツ. 2017年9月7日閲覧。
  18. ^ DeNA宮崎、初の首位打者へ 練習の虫、開花”. 毎日新聞. 2017年8月23日閲覧。
  19. ^ “DeNA宮崎「完璧に捉えた」球宴初安打が本塁打”. 日刊スポーツ. (2018-011-06). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201807130000864.html 2018年11月6日閲覧。 
  20. ^ “DeNA、41年ぶり20発カルテット!ロペスが「完璧」先制3ランで5年連続大台”. SANSPO.COM. (2018年9月9日). https://www.sanspo.com/baseball/news/20180909/den18090905020002-n1.html 2018年11月6日閲覧。 
  21. ^ 2012年ドラフト DeNA6位指名:宮崎敏郎内野手スポーツニッポン、2014年1月26日閲覧
  22. ^ #51 宮﨑敏郎「試合に出してもらえるならどこでも」日々必死に、全力で”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト. 2016年12月13日閲覧。
  23. ^ 宮崎敏郎プロ初の通算盗塁0で首位打者”. 日刊スポーツ. 2017年12月29日閲覧。
  24. ^ 【DeNA】“ハマのプーさん”宮崎が逆転満塁弾!”. スポーツ報知. 2017年6月16日閲覧。
  25. ^ サンデー・ジャポン 2016年6月26日(日)(サンベイジャポン)”. gooテレビ. 2017年6月16日閲覧。
  26. ^ DeNA、宮崎5の5で5連勝!虎退治1差で6日にも2位浮上へGO!(2/4)”. サンケイスポーツ. 2017年10月15日閲覧。
  27. ^ #51 宮﨑敏郎「試合に出してもらえるならどこでも」日々必死に、全力で”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト. 2016年12月13日閲覧。

関連項目[編集]