宮里町 (薩摩川内市)

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宮里町
—  大字  —
宮里町の位置
宮里町
座標: 北緯31度48分54.5秒 東経130度17分13.1秒 / 北緯31.815139度 東経130.286972度 / 31.815139; 130.286972
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 川内地域
人口 (2011年4月1日現在)
 - 計 1,838人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 895-0056

宮里町(みやざとちょう Miyazato-Chō)は、鹿児島県薩摩川内市大字[1]。旧薩摩郡隈之城村大字宮里、薩摩郡川内町大字宮里川内市宮里町郵便番号は895-0056。人口は1,838人、世帯数は833世帯(2011年4月1日現在)[2]。地名の由来に関しては#地名の由来を参照。

目次

地理

薩摩川内市の西部、川内川の下流域に位置している。字域の北方には宮内町五代町、南方には隈之城町青山町、西方には高江町、東方には西開聞町、若松町、冷水町がそれぞれ接している。

字域の北方には川内川が東西に流れており、それに沿って鹿児島県道43号川内串木野線が通っている。県道43号沿線には清水、川畑、城、中央部に植松、堀之内の2集落が散在している。中央部を東西に流れ、川内川に合流する平良川流域に水田が広がっており、南東部には平ノ山台地の北東部に畑地がある[3]

地内の安養寺には「ニッデさあの墓」と呼ばれている安養寺丘古墳[4]がある[5]

小字

小字は、上床、樋水、清水、月見田、植松、蒐袋、前田、堀之内、川畑、居園、中水流、下水流、中洲、北田、麦生田、志奈尾田、永原、日吉、宮田、中俣、西田、真菰田、甑園、砂畑、古城、平良、安養寺、下中須、猫岳、西牟田、岩崎、会下、溝添、志戸、池尻、鶴島、笠立、床並、永野、三滝平、三滝、西郷、永原、橋口、樋口、竹原、高山、石踊、車田、島田、福田、深稲葉、谷口山、高原、上高原、春花田、野中、奈瀬田、平畑、山口、井手元、柿迫、谷口、所ケ鼻、石水、綿打川、田平、大野、大谷、三日月、溜池平がある[6]

地名の由来

宮里という地名の由来には主に以下の3説がある[5]

  • 瓊々杵尊の宮居地があったことに由来するという説
  • 屯倉があったことに由来するという説
  • 対岸の宮内(現在の宮内町)にある八幡宮(新田神社)が古くは宮里の地にあったという説

歴史

宮里という地名は平安末期頃より郷名として見え、宮里郷は近世に入り隈之城郷宮里村となった。江戸期には薩摩国薩摩郡隈之城郷(外城)のうちとなり、村高は「御秘文雑集」及び「天保郷帳」では北郷宗次郎の分領として1,127石余とあり、「旧高旧領」では1,115石余であったとある[7]

1889年(明治22年)に町村制が施行され、宮里村は東手村、西手村、向田町と合併し隈之城村の大字「宮里」となり、1929年(昭和4年)に隈之城村は平佐村、東水引村が新設合併し川内町の大字「宮里」となった。1940年(昭和15年)に川内町が市制施行し、川内市の大字「宮里町」(2004年の新設合併によって薩摩川内市となった際も同様)となった[7]

施設

公共
  • 川内川宮里公園
  • 陸上自衛隊川内演習所
教育
  • 清水丘保育園

小・中学校の学区

市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[8]

大字 小字 小学校 中学校
宮里町 全域 薩摩川内市立川内小学校 薩摩川内市立川内中央中学校

交通

道路

県道

河川

脚注

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  1. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
  2. ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年4月25日閲覧。
  3. ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.763
  4. ^ 埋蔵文化財情報データベース 2011年1月23日閲覧。
  5. ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.609
  6. ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.1106
  7. ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.610
  8. ^ 薩摩川内市 義務教育. 薩摩川内市役所. 2010年12月10日閲覧。

関連項目

座標: 北緯31度48分54.5秒 東経130度17分13.1秒

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